さぁ、出かけよう

作/ちょこふれーく



  海って知ってる?
  水たまり?
  ちがうよ、もっとずっと大きいやつさ・・・・・

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 第1話 さんたとねろ

さんたがうちに帰ってくると、リビングに一匹のイヌがいました。
イヌはさんたと同い年くらい、体はさんたより少し大きいです。
  
「さんた。仲良くするのよ」

さんたはクリスマスの日に、パパさんがママさんにプレゼントしたネコです。
ターキッシュ・バンという種類で、
全身が白い毛で覆われ、しっぽと頭に少し色がついています。
目は緑がかった濃いブルーで、ママさんはこの目が気にいって、
さんたをペットショップで選びました。
  
さんたはうちの中ではとってもやんちゃですが、
外に出ると急にしずかになってしまいます。
パパさんは、
「さんたはおくびょうだな」と言います。
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「いいか。このうちで一番えらいのはママさんだ。次がぼく」
「うん」
「だから、ママさんとぼくの言うことはちゃんと聞くように」
「パパさんは?」
「・・・・パパさんはいいや」

さんたは子分が出来たみたいで大いばりです。
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イヌは、ねろという名前でした。
ウエルシュ・コーギー・ペンブロークの血がはいった雑種で、
足としっぽがとても短いです。
キツネみたいな顔つきをしているのがこの種の特徴ですが、
ねろはどちらかというとタヌキ顔です。
  
ママさんの友達に、兄弟と一緒に飼われていたのですが、
大きくなるにつれ手が掛かるようになり、
ママさんの友達は5匹のうち2匹を泣く泣く手放すことにしました。
そのうちの一匹がねろです。

ねろは最初のうちは、前の飼い主が恋しくてか大人しかったのですが、
慣れてくるとご飯もちゃんと食べるようになったし、
パパさんの言うことも聞かなくなりました。
さんたともとっても仲良しです。
二匹はいろんなお話をするようになりました。
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「ねろはどんなところに住んでたの?」
「えーっと・・海が近くにあってぇ・・」    
「うみ?」

さんたは海を見たことがありませんでした。
海どころか、この街から出たことさえないのです。
この街のペットショップで産まれ、ペットショップで育ち、
そしてこの家に来たのです。

  
「なんだ。水たまりか」 
「全然ちがうよ。もっとずっとおっきいんだ」
ねろは前足を大きく広げて、「おっきい」を表現しました。
すっかり得意気です。
さんたは面白くありません。 
「なんだよ。ねろのくせになまいきだぞぉ」
「だってほんとだもん」    

  
その日の夜、ねろはさんたを海へ誘いました。
さんたに海を見せてあげたかったのです。
 
「ぼくが連れていってあげるよ」
  
さんたはあまり気乗りがしませんでした。
知らないところにいくのが怖いのです。
家のそとだって、さんたはちょっと怖いんです。
でも、怖いとは言えません。
  
「家にいなかったら、ママさんとパパさんが心配するよ」
  
ねろは、海の匂いがするからここからそんなに遠くない、
朝行けば夕方には帰って来られると説明しました。
ねろは久しぶりに海に行きたくて仕方がないようです。
一生懸命、海について話しました。
前足はずっと広げっぱなしです。    

結局断りきれず、次の日曜日、二匹は海に行くことにしました。
日曜日には、ママさんとパパさんは決まってお出かけするのです。
  

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 第2話 海へ行く

「じゃあ、ちゃんと留守番していてね。さんた、ねろ」

ママさんとパパさんはお買い物に出かけました。
ねろは朝からご機嫌です。しっぽがくるくるまわっています。
さんたは不安と期待が入りまじって、ヘンな感じでした。
まるで、前足と後ろ足が入れ替わったみたいです。

さんたは紙とペンを用意して、置手紙をしました。

 <海に行ってきます。心配しないで下さい>

手紙を書いていると、なんだか不思議と勇気が湧いてきました。
「心配しないで下さい」の言葉が、
自分自身に「心配いらない」と言っているような気がしました。

「すごいや!さんた、字が書けるんだね!」
さんたは字が書けませんでした。
でも、パパさんがお手紙を書いているのを、
となりで見ていたことがありました。
パパさんは言っていました。

「大事なのは気持ちさ。どんな文章か、じゃないよ」

さんたはめいっぱい気持ちを込めました。
きっと分かってくれる。さんたはそう思いました。

二匹は、ママさんがいつも鍵を開けておく、二階の窓から出ました。
さんたには簡単なものですが、ねろはちょっと大変でした。
なんてったって足が短いですから。
ゆっくりゆっくり、さんたの指示にしたがって降りました。
「ほら、次はこっちに移って!」
さんたはちょっといい気分です。

道案内はねろです。ねろには海の匂いがちゃんと分かっているようで、
迷わずずんずん進みました。
「ほら、こっち。海の匂いするでしょ」
でもさんたには分かりません。さんたはねろほど鼻が良くないし、
大体海がどんな匂いなのか、知らないのです。
適当に相槌を打って、ねろのあとに続きました。
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二匹が街のはずれまで来た頃、さんたが立ち止まって声を掛けました。

「そっちはダメだよ。ニャジラの縄張りなんだ」

ニャジラはこの街で一番強いネコです。体はさんたの3倍くらいあります。
さんたは怖くて、まだ遠くからしか見たことがなく、挨拶もしていません。
きっと見つかったら、ひどい目に遭わされてしまいます。
二匹はちょっと遠回りだけど、別の道で行くことにしました。
     

秋の空に、太陽が高くのぼりました。
低いところを吹く風が、ねろの毛をなびかせ、
さんたのひげをひくつかせます。
それは過ぎ去ってから気付くような素っ気ない風で、
さんたの小さな不安を膨らませました。

さんたの街を出てから、もう大分歩きました。
全てがはじめて見る光景です。
木の隙間からこぼれている陽の光に目を細めると、
まるで木そのものがさんたを見下ろし、
踏み潰そうとしているように見えました。
その度にさんたは、自分の影だけを見て、
それを追いかけるように歩きました。
最初の頃に比べるとさんたの歩幅は小さくなり、
そのぶん足の運びが「ぱたぱた」と慌しくなっています。
それでも、ねろは一向に足を休めようとはしません。
時々鼻をひくひくさせて、「ニッ」と笑ってまた歩き出すのです。
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「ほんとにこっちでいいの?」

とうとう耐え切れなくなって聞きました。
さんたは曲がり角のたびに、あれを曲がったら海だ!と思いつづけて
もう何十回も裏切られていました。

「うん。もう少しだよ。見て。お家に回りにいろんな木が植えてあるでしょ?
 あれは潮風でお家の壁が痛まないための風除けなんだ。海が近いんだよ」

足もとのまつぼっくりを蹴って、さんたは大きくため息をつきました。  


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 第3話 さんたの置手紙

「さんた、ねろ、ただいまー」

ママさんとパパさんが帰ってきたのは、3時ちょっと前でした。
ママさんはいっぱいお買い物してご機嫌♪
パパさんはいっぱい荷物を持たされてヘトヘトです。

「おみやげ買ってきたよー」
  
ママさんは、いつものようにねろが出迎えて来ないので
不思議に思いました。
そしてすぐ、さんたの置手紙を見つけました。 
しばらく手紙を見つめ、はっと気が付いたように走り出しました。

「パパ!さんたとねろがいないの!それにほら、これ!!」 
パパさんはソファーで「ぐてぇー」となっていました。
「うん???」

 ばちぃん!!

パパさんはママさんにひっぱたかれました。
「これ!さんたの置手紙よ!」
    
パパさんはチカチカする目で手紙を見ました。
でもチカチカしてよく見えません。

「手紙って。さんたはネコだよ・・・」
「でもこの足跡、さんたとねろのよ。二人ともいないし・・まさか家出・・」

ママさんはその場にひざをついて、下を向いてしまいました。
  
パパさんはやっと見えるようになった目で、手紙をもう一度見ました。
じっくり、ゆっくり。
そして、ママさんと同じようにその場に座り込んで、優しく言いました。
ママさんの肩は小さく震えています。  

「大丈夫だよ。こんなにワクワクした置手紙、家出なわけがないよ。
 二人とも足跡いっぱいつけて、とっても楽しそうじゃないか。 
 ちゃんと帰ってくるよ」 
「ほんとに?」
「うん。だから、おみやげ用意して待っていよう」

ママさんは真っ赤になった目をぐしぐしこすって、
よけい真っ赤になってしまいました。
でもパパさんのほっぺたのほうが、もっともっと真っ赤でした。


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 第4話 海が教えてくれたこと 

「見て!さんた。海だよ!!」

真ん中に木がずーっと植えてある大きな道路を渡ると、
突然目の下に砂浜が広がりました。その先にはもちろん海があります。
さんたはもうずっと下を向いて歩いていたので、
ねろに声を掛けられるまで気付きませんでした。    
  
「海!うみ!あれが海!」

さんたは海を見られたことより、やっと目的地に着いたことの方が嬉しくて、
思わず石段を駆け下りていました。
はじめて走る砂浜。うまく足を運べません。
さんたは、短い足で器用に走るねろを追いかけましたが、
海へは緩い下りになっていて、前のめりに転がってしまいました。
それを見てねろが笑います。
さんたもなんだか笑いがこみ上げてきました。
仰向けになったさんたのしっぽに、波が同じリズムで打ち寄せました。
   
二匹は波打ち際で、大はしゃぎしました。
波に濡れて色が変わっているところと、乾いているところ。
その境界線を踏まないように、ぴょんぴょん跳ねて行ったり来たり。
白から黒へ。黒から白へ。
ただそれだけのことにも二匹は夢中になりました。
海には人がほとんどいなくて、波の音しか聞こえません。
立ち止まったら孤独になってしまう、そんな気さえして、
それらを振り払うように二匹は波と戯れました。
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ぶつかった波が大きく跳ね上がり、目の前まで飛沫を届かせています。
二匹は遊びつかれて、釣り人が使う高台の上にいました。
そこに立っていると、まるで自分が海の上に立っているような気がしました。
さんたはそこで、はじめて海をしっかり見ました。
それは、さんたが思っていたよりずっと大きいものでした。
どこまで続いているのか、見当もつきません。
太陽はすっかり傾いて、海は赤く染まりました。

「これが海だよ」

ねろが海の方を見ながら言いました。
さんたはいろいろ言いたいことがあるはずなのに、
なにも言葉にならず
「ちょっと寒いね」
なんて思ってもいないことを言ってしまいました。
どうして思っていることが言えないのだろう、さんたははがゆく思いました。
ねろも同じように思っていましたが、そうなることが分かっていたようで、
静かに海を見ていました。

海はとても静かで、見ていると、
世界が動いているのか、海が動いているのか、
それさえもあいまいになっていくのを感じました。
海を見ている時間には、始まりもなく終わりもないのでした。   
 
太陽が海面近くまで沈み、潮風が肌寒く感じるようになってくると、
さんたはだんだん心細くなってきました。
まるで針の上に立っているようで、
バランスを崩し、今にも海に投げ出されてしまいそうです。
足が震えています。
さんたはそれが、はじめて海を見たせいだと思いました。
こんなものを見たら、はじめは誰だってこわいはず、そう思いました。

しかし、それは違いました。
さんたは知らないのです。
海というものが、自分の奥にある小さな、しかし何より確かな想いを、
否応なく表面化させるということを。
海を見て感じること、それは普段は見えない自分の心なのです。

さんたは体の中から浮かび上がってくる想いを留めておくことが出来ず、
とうとう口を開きました。
その声は、もし声に重さがあるのならばきっと潮風に吹き飛ばされてしまう、
そう思えるほど小さく、か細いものでした。

「ぼく・・・怖いんだ」

口に出してしまうと、それが紛れもない事実であるように感じ、
波の飛沫まで自分を責めているように思えてきました。
ずっと自分に隠してきた気持ち。
悲しさが、さんたを包んで具現化していくようです。
さんたの目には涙が滲んできました。

「自分が何も出来ないんじゃないかって思うと、怖いんだ」

湧き上がる想いは止まらず、さんたの口から溢れてきました。
さんたは、吹きつける風に消えてしまいそうに感じました。
風が「そうだ。全部吐き出してしまえ!」と言っているのです。

ねろはさんたの斜め後ろにいました。
風のせいか、それとも波をずっと見ているせいか、
さんたの体は大きく左右に揺れています。
ねろはそれを見て、そっととなりに寄り添って支えてあげました。
消えそうだったさんたは、ねろの暖かさを感じて、
自分がここにいることをもう一度取り戻しました。
今、さんたを存在させているのは紛れもなくねろでした。
そしてねろを存在させているのも、きっとさんたなのです。  
    
ねろの声が、体から直接伝わってきます。

「皆怖いんだ。人間も、風も、きっと海だって。
 だから一生懸命なんだよ」

その声がさんたの体のなかにそのまま響き、
絡まった緊張が徐々にほどけていくと、
こらえていた涙が一気に溢れていきました。
ねろはさんたのほっぺたを舐めてあげました。
さんたのほっぺたはしょっぱくて、ねろも涙が出てきました。

「ぼくだって・・・怖いよ」
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二匹はそれからしばらく寄り添って海を見ていました。
この向こうには何が在るのか、そんなことは考えませんでした。
この先には何もない。だからここから始めなきゃいけないんだ。
そんな漠然とした想いが、二匹のなかにはうまれていました。

そして、どちらからともなく海に背を向けました。
海を背にしていると、まるでここが世界の始まりのように感じました。

すっかり日は落ちて、夜空にカシオペア座が浮かんでいました。
二匹は帰り道をひたすら走りました。
ママさんとパパさんが心配している。それもありました。
でもそれだけではありません。
走らなきゃ、走らなきゃ、走らなきゃ。
そんな想いが後から後から湧き上がってきて、
とても足を止める気にはなりませんでした。
あんなに悲しかったのに、あんなに怖かったのに、
不思議と力が湧いてくるのでした。
風が一生懸命吹いていました。
星が一生懸命輝いていました。
みんな一生懸命でした。

二匹がうちに着くと、ママさんは泣いたり怒ったり大忙しでした。
パパさんはニコニコ笑って、どういうわけか誉めてくれました。
二匹は、パパさんのほっぺたについている手形が、
ママさんのだとすぐ分かりました。
「また、怒られたんだ」
「パパさんも弱いんだね」
なんてことを話しながら、おみやげをからっぽのお腹に放り込みました。 


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 第5話 エピローグ   

秋は駆け足で通り過ぎます。
いつのまにか、朝方や日暮れには冬の匂いがまじっています。
さんたたちが海に行ってから、一週間が経ちました。
  
「さんた!どうしたの?その傷。ちょっと、パパ!!」
さんたが、顔に引っかき傷をつくって帰ってきました。
ママさんはあたふたして、パパさんを呼びにいきました。
パパさんはソファーで「ぐてぇー」としていました。
  
「さんた。どうしたの?それ」
「うん、ニャジラにやられた。
 なんか変わった気がしたんだけど、ダメだった」

ねろはおどろいて、くわしく話してもらいたかったのですが、
さんたが恥ずかしそうに背中を向けて、
ため息をついては首をかしげているのを見て、
何も聞かないことにしました。
そのかわりさんたのとなりに座り、
そっとさんたのほっぺたを舐めてあげました。
ちょっと血の味がしたけど、今度は悲しくなりませんでした。
    
「変わったよ、さんた」
    
リビングからママさんの平手打ちの音がしました。
さんたとねろは顔を見合わせて笑っています。

窓から見える街並みはどこか灰色がかっていて、
北風が、バラードの前奏のように鳴いていました。
ねろの鼻は、もうしっかり新しい季節の到来を感じ取っています。
さんたを怖がらせた大きな木も、もう葉を散らせているでしょう。
冬です。
季節が変わり、風が変わり、夜空の星も変わっていくなかで、
さんたもねろも、1歳になろうとしていました。  


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  海って知ってる?
  水たまり?
  ちがうよ、もっとずっと大きいやつさ
  
  海の前に立つとね。自分ってちっちゃいなぁって思うんだ。
  こんな大きな海の前で、自分は何が出来るだろう。
  何が伝えられるだろうって。
  分かる?
  何も出来やしないんじゃないかってさ。
  
  でもそうなると、そんな想いを海の深く下の方まで伸ばしていくと、
  意地でも何かやってやる!っていう気になるんだ。
  誰かに何かを伝えてやる!って思うようになるんだ。
  絶望と脱力感のあとに、
  不思議な力が湧いてくるんだよ。  
  
  だからさ、ぼくと一緒に海に行こうよ。
  君と一緒に行きたいんだ。
  ぼくの心にある想いが、
  海に映っているはずだから。
  そのとき隣にいて欲しいんだ。
  君に伝えたいことがあるから・・・・・  




  
           <おわり>




comment


僕の海に対する思いを、物語に仕上げてみました。
  これを読んで、「海行こうかな・・」
  と思ってもらえたら光栄です。


Story & comment by ちょこふれーく



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