「次の問を解け」

作/ちょこふれーく



       
   大体、この命令口調が苦手なんだ。
  「この時のXのとり得る範囲を求めよ」
  なんなんだ。「求めよ」って。もう少し言い方があるだろう。
  こっちは午前中にサッカー部の練習をやって、
  たった今ノルマの筋トレを終えたところなんだ。
  腕をあげるのもやっとなんだぞ。
  「お疲れのところすみませんが・・」の一言くらいあってもいいだろう。

  サッカー部の顧問は、オレのクラスの数学を担当していた。
  ジョージは(顧問のあだ名だ。山本という苗字のせいである)
  「数学の出来ないやつにはサッカーは出来ん!」
  というヘンな信念をもっていて、
  テストで赤点を取った奴はレギュラーにはなれなかった。
  オレはというと、別に赤点じゃなくてもレギュラーには程遠いという実力だったので、
  なんの気兼ねもすることなく、赤点取り放題だった。
  しかし今日、練習後に声を掛けられた。
  「堀部ぇ。お前今日から練習後補修な。夏休みの間ずっと」

  「わかんねぇ〜。あっついし・・」
  教室にはオレしかいなかった。ジョージはプリントを渡して
  「終わったら職員室持ってこい。5時くらいまでならいる」
  と言って、出て行った。5時くらいといちいち断るところが憎たらしい。
  たった1問に3時間も掛かると思っているのか。

  開け放った窓からは暑い空気しか入ってこない。
  汗が頬杖をついた腕を伝って、肘のしたで溜まっている。
  外を見ると、午後からの野球部が大声を張り上げて練習していた。 
  連中は夏休み前の県予選で早々と負けて、
  今は2年生を中心とした新チームだ。
  サッカー部が、夏のインターハイ予選で県ベスト4という成績を残したために、
  野球部は涼しい午前中の練習をサッカー部に譲った。
  そうせざるを得なかったのだろう。
  おかげでオレはこの暑い中補修する羽目になっているのだ。
  もっとしっかりしてくれ。ほらショート。膝が立っているゾ。

  屋上のほうからは吹奏楽部の演奏、というよりは雑音に近い音が聞こえる。
  一度そのことで吹奏楽部の奴をからかったことがあるのだが、
  「あそこでやらされているのは、初心者の1年なんだ」
  とのことだった。
  確かに4・5月の頃よりは、音が出ているだけマシなのだろうが、
  静かに集中したいオレにとっては、むしろいい迷惑だった。
 
  「3時間か・・・」

  「堀部。何してんの?」
  突然背中に声を掛けられた。
 
  「えっ。あぁ秋山か。補修だよ。数学の」
  「ふーん。私はてっきり外見てぼんやりしてるのかと思った」
 
  秋山はTシャツにハーフパンツという軽装で、額にはうっすら汗をかいていた。
  Tシャツの袖を肩まで捲り、細い二の腕をさらして、
  その腕の先には数十ページほどの冊子が握られていた。
  秋山から人に話し掛けるなんて珍しいことだった。
  
  「秋山はあれか?文化祭の準備か」
  「まぁね」
 
  夏休みが終わると、2週間ほどで文化祭がある。
  文化部は休みの間中、その準備に追われるのだ。
  特に秋山の所属している演劇部は、
  文化祭でも一番の呼び物だ。他校の演劇部も偵察に来たりする。
  去年サッカー部は練習試合を組んだので、オレは見られなかったのだが、
  見た奴が言うにはかなり本格的なものだったらしい。
  そして秋山は1年生にして、準主役級の役を演じていたということだ。
  彼女とは1年の頃から同じクラスなのだ。

  オレはあんなに無防備な、それは服装だけではなくて、
  服装も含めて精神的に無防備な秋山を見たことが無かったので、
  平静を装うのに苦労した。クラスの中での彼女はどこか「ツン」としていて

  頬杖をついた横顔が似合うタイプなのだ。
  汗や二の腕が似合う感じでは決してない。

  秋山は忘れ物を取りに来ただけだけのようだった。
  自分の机から色のついたゴムテープを取り出すと、
  おそらくは体育館へ、戻ろうとした。
  オレはこのまま帰してしまうのが、もったいない気がした。
  目の前の秋山が、いつもと違って見えた。

  「あのさぁ。秋山、数学得意だったよな。ちょっと教えてくれよ」
  その声を聞いて、彼女は面倒くさそうに立ち止まった。
  多分本当に面倒くさいのだろう。
  「私忙しいんだけど。明日までに立ち位置にテープ貼って、セリフ覚えんの」
  「じゃあ、そっちも手伝うよ。テープ貼り。そういうの得意なんだ」

  結局ほとんど秋山が解いた。
  オレに理解させるより自分で解く方が手っ取り早いと思ったのだろう。
  事実、10分も掛からなかった。

  「やるなぁ。こんな問題文だけで4行もあるの、良く解けるな」
  「これ基本問題。それに問題文が長いっていうのは、
  それだけヒントが多いってこと。言葉の少ない問題ほど難しいのよ」
  「へー」

  オレの仕事は観客側にいて、秋山がどの位置に立つと見栄えがいいかをアドバイスし、
  立ち位置が決まったらそこにテープを貼っていくことだった。
  一幕は赤。二幕は青。最終幕は黄色。
  体育館は締め切ってあったので、オレ達は汗だくだった。
  しかし秋山は暑さなんか気にならないようだった。 
  舞台の上を跳ねるように移動し、時々セリフを一言二言口にした。
  「あなたには私が何に見えるというの!」

  クラスの中で秋山は目立っていた。
  もともと無口な奴だし、本人も目立つようなことは避けているようだったが

  その美しさを隠しとおすには、教室は狭すぎた。
  それは、一目で認められるような表面的なものではなくて、
  どこか不安定で、踏み込むと崩れてしまいそうな妖しさのある美しさだった。
  だから他のクラスの奴に騒がれるようなことはなく、
  クラスの中の、その妖しさの片鱗を覗いた奴らが、
  「そういえば、秋山って結構かわいいよな」
  と遠慮がちに、しかも少し自慢気に言うのだ。

  オレがその片鱗を覗いたのは1年の5月、
  古文で、グループを組んで漢詩を朗読するという課題があり、その発表の時だった。
  その時は席がまだ出席番号順で、オレは一番廊下側の一番前に座っていた。
  そして、彼女はオレの目の前に教科書を持って立った。
  「くだらない」というような顔をして、グループの一番左端に陣取っていた。
  
  朗読が始まると、みんなの視線は教室の一番端に集まった。
  彼女の声は細いが張りがあり、時に強く、
  時に春風にかき消されてしまうほど優しく響き、
  教室が一つの舞台になったようにさえ感じられた。
  彼女は近くと遠くを同時に見るような、
  それでいて何も見ていないような目をしていた。
  その目線の先には中国の原野があったのもしれない。
  オレも彼女を見上げながら、なんとなく中国にいるような、
  とても悲しい気持ちになった。
  その漢詩の意味も、オレには分かっていなかったのに。
  
  自分の担当の個所が終わると、
  彼女はいつものように「ツン」と廊下の方を向いて、
  朗読が終わるのを待っていた。
  朗読が終わると、古文の教師は「さすが演劇部ね」といって秋山を誉めた。
  彼女は面白くもなさそうに、
  「ちょっとトイレに行ってきます」
  と言って教室を出て行った。

  オレは授業のあと、古文が得意な友達にその漢詩の内容を聞いた。

  「死を覚悟した王が、後に残さなきゃいけない妻を想って詠った詩だよ」
  「悲しい詩なんだな」
  「そりゃね」

  廊下を向いた彼女の目にうっすら涙が溜まっていたことに気づいたのは、
  一番近くにいたオレだけだっただろう。

  「今度の題目は何なんだ?」
  オレ達はひととおりテープ貼りを終えて、
  舞台から足を垂らして一休みしていた。
  「オリジナルよ。記憶を失った少女が自分の過去を探すの」
  きっと秋山が主役だろう、と思った。
  その役は彼女にぴったりであるように感じた。
 
  「何時から?」
  「えっ・・・」
  「文化祭だよ。何時上演開始なんだ」
  「あぁ・・1時よ」

  1時からか。今年もサッカー部は試合を組んでいたが、それは9時からだった。
  もう1年じゃないし、片づけをやる必要がないので、多分1時には間に合うだろう。
  「見に行くよ。一応こうして手伝ったんだし、やっぱり気になるから」
  「・・・そぉ」

  見上げると、体育館の2階から入ってくる光が少し赤みがかっていた。
  もう5時は過ぎてしまっただろう。結局プリントは提出していない。
  まぁいいだろう。基本問題くらい自分で解かなくては。
  今はとにかくヒントが少なすぎる。大体が無口な奴だし。

  彼女の横顔は、逆光でその表情が分からなかった。
  いや、逆光じゃなくても今は分からない。
  オレには彼女が見えていない。
  文化祭を見に行けば、もっと言葉を増やせるだろう。
  4行ほどになれば、オレにも解けるかもしれない。
  「言葉の少ない問題ほど難しい」
  彼女はこう言った。確かにそうかもしれない。
  オレはちょっと数学が分かった気がした。

              


    
《おわり》




comment


「数学の文章題って、そっけない女みたい」
と思ったところから、この作品を作りました。
教室から見える風景、聞こえる音は、
高校の頃を思い出しながら書きました。
ちなみに僕は数学得意でした。。。


Story & comment by ちょこふれーく



Back