「永遠の風」   ひなた



この星のどこかに、風の生まれる土地があるという。


パタパタパタ。
真っ白いコットンドレスが、風になびく。
少女は、そっと、目をつむった。
やわらかな太陽の光。
鼻をくすぐる緑のにおい。
そして。
強い風。
涼やかな風。
無数の風が、少女を包みこんでいく。
生きてる……。
空気を思いっきりすいこみ、はきだす。
そんな簡単なことを、いつから忘れていたのか。
そして、少女は目を開け、ちらりと、かたわらの少年を見た。
少年も同じように目をつむり、深呼吸している。
少女は、なんだかうれしくなって、クスリと笑った。

少女の名は、サキ。
昔は背中まであった長い髪が、今は肩の上で踊っている。
サキが自分で切ったので、長さはバラバラだ。
でも、そんなことはどうでもいい。

隣の少年は、カイトという。
ほおにはイレズミがほられている。盗人だった証だ。
そして、右腕は肩からばっさりと切られている。
これも、昔、役人につかまった時に切られたらしい。
……みせしめとして。


ふたりは、緑の大地に立っていた。
お互いにひとりぼっちで。
歩いて。歩いて。
そして、ふたりは出会い、ようやく、ここにたどりついた。

ここは、風人の地。
選ばれたもの、風人にしかたどりつけない、……永遠の土地。

いちめんのみどり。
みあげればあお。

泣きたくなるような青だ。サキは思う。
だって、サキはこんな空、見たことがなかったから。

誰も、教えてくれなかったから。



サキの国は、戦争だった。
もうずっと。
サキが生まれる何年も何年も前から。
なぜ戦いつづけるのか。
もう、誰もわからなくなっていた。

サキは、ひとりぼっちだった。
お父さんも。お母さんも。生まれたばかりの弟も。
みんな、みんな、戦争に食べられた。
どうしたらいいの?
どう生きればいいの?
わからなくなった時。
やさしい手がさしのべられた。
……魔法のように。

「おまえさん、ひとりぼっちかい?」
「……うん」
「いっしょにくるかい?わしもひとりぼっちじゃから」
「いいの?」
つぶやくサキに、老人はほほえんだ。
「ひとりぼっちは、つらかろう?」

それからサキは、ひとりぼっちじゃなくなった。
じいじがサキをみつけてくれたから。
だから、サキはじいじに何かしてあげたかった。
早く大きくなりたかった。
でも……。

じいじは待ってくれなかった。
あたたかく、やさしい手は、やがて冷たくなり、動かなくなった。
サキを残して……。


そして、旅立つ時がくる。

「じいじ、聞こえる?」
サキは、石でつくった小さなお墓の前に立った。
小高い丘の上。
少しでも風がとおるように。……そう思って。
「みんなこの国をすてたよ。誰もいなくなった」
ドオ……ン。ドオ……ン。
遠くで空砲の音。
灰色の空。
白い煙。
やけこげた大地。
悲しみに彩られた世界。
それがサキのすべてだった。
でも。

「サキも行くね」
サキは長い髪を、ばっさりと切った。
前へ進むために。
切った髪は、じいじといっしょにうめた。
「そして、さがすの。じいじが教えてくれた風人の地」


風がとても強かった日。
こわくてねむれないとぐずるサキに、こっそりと教えてくれた、あの伝説の土地。

「風がこわいって?……なあんも、こわいことない。風ってやつは、もとは人じゃからな」
「人?風は人なの?」
「そうじゃよ。この星のどこかに風の生まれる土地があってな。そこでは、人は風になれるそうじゃ」
「へえ……」
「豊かな風が吹くところでなあ。人々の笑いがたえない、しあわせの土地じゃそうだ」
「しあわせの、土地?」
「そう。争いもなく、誰もかなしみで泣くこともない、そんな土地じゃ」
「……じゃあ、誰も死なない?」
ふとんをぎゅっとつかんで、サキは小さくつぶやいた。
そんなサキに、じいじは頭をなでてやりながら、やさしくいった。
「誰も死なんよ。誰もな……」
「そっか……」

お父さんも。
お母さんも。
弟も。
みんな、みんな、いなくなった。
泣いても。怒っても。もう、誰ももどらない。

「サキ、行ってみたいな。そのしあわせの土地」
そうすれば、さみしくないから。
ひとりぼっちじゃないから。
「そうじゃな。サキなら行ける。きっとな。……さあ、もうねなさい」
「うん」
ふとんを首までかぶり、サキは目をとじた。
ぽんぽんと、サキのふとんをたたいてやりながら、じいじは、そっと……つぶやいた。

「選ばれたもの、風人にしかたどりつけない永遠の土地。人々はいつしかその土地を、風人の地と、呼ぶようになった……」


「たどりついてみせるから。ぜったい」
目をつむれば、うかんでくる。
やさしい、やさしい、日々。
じいじとの思い出。
すべて力にかえて。

「そして、サキは風になるんだ……」



カイトは深く、息をすった。
清らかな空気が、めぐっていく。
こころに。
からだに。
にごった水のようだった自分が、浄化されていく。
すんだ水へと……。
生まれかわる。
カイトは、強く感じていた。


カイトの国は貧しかった。
恵みの風が吹かなかったから。
大地はやせ、作物は育たない。
不毛の土地。
小さな弟や妹たちは、泣きつづけた。
おなかがすいたと、泣きつづけた。
限界だった。
生きるために。
カイトは盗んだ。

小さなくだものを、1個。

でも、つかまってしまった……。


そして、カイトはろうやに入れられた。
10才の時。
ほおには盗人の証に、イレズミを。
右腕は、肩からおので切られた。
みせしめに。

格子の入った小さな窓。
わずかに見える空。光。
それが、カイトのすべてだった。

生きるのも。
死ぬのも。
どうでもよくなった時。
やさしい看守が教えてくれた。

「この星のどこかに、風の生まれる土地があってね……」
「?」
「そこでは、人は風になれるそうだよ」
「……」
「どんな感じだろうね。風になるってのは」
わかる?
そう、問いかけた看守に、カイトは首をふった。
わかるはずがない。
だって、カイトは風すらも……よく知らない。

「ん……。ぼくも、よくわからない。でもね、きっとその土地は豊かな風がたくさん吹くそうだから、作物もよく実ると思うんだ。誰もうえることがない、そんな土地じゃないかって、思ってる」
「……誰も、うえない?」
「そう」
看守は、ゆっくりとうなずき、そして、ほほえんだ。
「行ってみたい。そう思わないかい?」
カイトは、下を向いた。
行ってみたい。……本当に、そんな土地があるのなら。
でも。

思い出すのは、小さな小さな弟や妹たち。
泣きつづけて、もう、死んでしまっただろうか……。
おいしいものを、おなかいっぱい食べることなく。
風すらも知らず。
さみしい、さみしい、子どもたち。
カイトの国では、そんな子どもたちばかりだ。

「行けるよ」
看守はいった。笑いながら。
「行けるよ。君さえあきらめなければ、きっと行ける」
「!」
「もう、君は何もあきらめなくてもいいんだよ。自分のために、生きたっていいんだ。ううん、生きなきゃだめだ」
「……」
「必ず、君は自由になれる。……もう、あきらめたくはないだろう?」
「はい……」

すべてをあきらめてきた。
大切な人に、生きてもらうために。
もう、あきらめなくてもいいんだろうか?
自分のために生きてもいいんだろうか?
ゆるされるのか?
前に進みたいと、願うことが……。

「そこはね、選ばれたもの、風人しかたどりつけない、永遠の土地」
看守は、歌うようにいった。
「風人の地。人々は、そう呼んでいるそうだよ……」


そして、5年がたった。
カイトは刑を終え、外へと旅立つ時がきた。
「行くの?」
「はい……」

家族はもう誰もいない。
ほおのイレズミは消えない。
右腕は切られたままだ。
それでも。
自分は前に進むしかないのだから。

「風人の地……さがします」
「気をつけて」
やさしい手とほほえみが、カイトをうながす。
「祈ってるよ。君が無事、風人の地へたどりつけるように」
「ありがとうございます」

そして、カイトは歩きはじめた。



この星のどこかに、風の生まれる土地があるという。

豊かな風がやむことなく吹きつづける、そんな土地。
人々はいつしかその土地を、風人の地と呼ぶようになった。
選ばれたもの、風人にしかたどりつけない永遠の土地。
かざびと。
風となる人。
そう。
その土地では、人は風になれるのだ。


サワサワサワ……。
風が鳴る。

サキとカイトは、緑の草原を歩いていた。
素足にふれるやわらかい草が、こそばゆい。
ふたりは手をつないでいた。
お互いしか存在しないこの地で、はぐれてしまわないように。

風人の地。
あるものは豊かな風と、そよぐ草むら。
そして、ぬけるような青い空。
それだけだった。

サキはすっと、空を見た。
じいじ。そこから見える?
ここはじいじが教えてくれた伝説と、ずいぶんとちがったけれど。
それでも。
私はしあわせだよ。
だって、ひとりじゃないから。
大切な人がここにいるから。


突然。
強い風が、サキのほおをかすめた。
つきぬけるように、大地を走っていく。
サキはじっと、その風を見つめた。
どこまでも。どこまでも。
走っていく風を。

「ねえ、カイト。……風って、どこへ行くのかな?」
「サキ?」
「どこへ、還るんだろう?」
わかる?
サキの茶色の瞳が、カイトに問う。
真剣な瞳。
カイトはうつむいて、考えた。
白いシャツが、風にあおられパタパタと鳴る。
静かな風。
風はどこへ……?

カイトは、ふっと上を向いた。
指をさす。

「……空?」

つよいかぜ。
みみをならす。
かみをゆらす。
みどりがゆれる。
そらへ。そらへ。

「風はここから生まれ、大地をかけていく」
カイトの静かな声が、空へ流れていく。
風にのって。
「山をこえて、海をこえて、そして……」
「そして?」
「空へ還る」

サキも空を見上げた。
清らかな青。
まぶしくて目を細めた。
カイトはつづけた。
「空へ還り、そして、また生まれるんだ。風になって……」
「じゃあ、なくならない?」
「なくならない」
「永遠に?」
「永遠に」
そっか。
安心したように、サキは笑った。
カイトも笑う。
呼応するように、風も笑った。


ふたりはまた、歩き出す。

「カイトはどうして、風になろうと思ったの?」
「……オレの国は貧しかった。風が少しも吹かなかったから」
静かな、静かな、つぶやき。
このまま、カイトが消えてしまいそうで、サキは強くカイトの手をにぎった。

「オレには弟や妹たちがいたけど……。泣くんだ。おなかがすいたって」
「うん」
「国中のみんながうえてた。食べ物がなくって。だから、みんな祈ってた。風が吹いてほしいって」
「うん……」
「風は雲を呼び、雨をふらせる。そして、雲を切り、太陽を呼ぶ。それだけで、作物は育つから」
「……」
「誰もが、うえて悲しむことのない、そんな国になってほしい。みんなが、しあわせになってほしい。そう願ったから」

おいしいものを、おなかいっぱい食べて。
いつでも笑っていてほしい。

「そうなれば、オレは救われるから」

泣かないで。笑って。……いつでも。ずっと。
願いはそれだけだったから。

「もし、オレが風になれば、あの悲しい国に、風を呼べる。そうすれば、みんなしあわせになれる」
「そうだね……」

泣きそうだ。
サキはつらくなって、うつむいてしまった。
どれほどの悲しみをこめて願うんだろう。
願いはかなえられるんだろう。

その時、強くサキの手がにぎられた。
あわてて顔を上げると、やさしいカイトのほほえみがあった。
だいじょうぶ。
カイトの瞳は、そう語っていた。

「サキは?サキは、どうして?」
「私?私は……」
サキは空を見上げた。
じいじのいる空を。
「じいじがね。教えてくれたの。風人の地は争いのない、しあわせの土地だって。私の国はずっと戦争をしてたの。毎日、毎日、いろんな人が死んで。……みんな泣いてた」

泣いて。泣いて。怒って。
誰も人のしあわせをこわす権利なんてないのに。
でも、どうしたら争いがなくなるのかわからなくて。
小さくなってふるえてた。
みんな。みんな。

「行ってみたいと思ったの。そんな土地が、この世界にあるのなら。この瞳でたしかめてみたくて」

そう、ここはしあわせの土地。
しあわせになるための。
はじまりの土地。

「いつだったかな……。じいじにね、風人の地のことを聞いたすぐ後だったと思う。親子づれに会ったの。暑い日で、風なんか全然吹かなくって。かわいそうに、赤ちゃん泣いてた……」
お母さんも困ったように泣いてた。
ごめんね。ごめんね……。
「でも、みんなどうすることもできなかった。戦争、戦争で、人を助ける余裕なんてなかったから。自分のことだけで、せいいっぱいだったから」

でも、その時だった。
「……風が吹いたの。サア……って。まるで、魔法みたいに。赤ちゃんもね、泣きやんで、うれしそうに笑ったの。お母さんも、周りにいるみんなも」
ほっと安心したような、やさしい笑顔で。
「うん……」
「そのとき思ったの。ああ、私こんな風になりたいって。しんどくなった時、ささえてあげられる、やさしい風になりたいって」

じいじに出会って、やさしい気持ちをいっぱいもらった。
じいじには返せないけれど、返してあげられる人たちがいる。
この星に、たくさんいる。
だから……。


ふたりは見つめあった。
そして、同時につぶやく。
呪文の言葉を。

『風になりたい……』

願い。
祈り。
しあわせであるように。
わらっていられるように。
それだけが。
それだけが。
私の願いなのです。


風があおる。

新しい風の誕生に。
祝福の風を!
歓びの風を!

心が風に満ち、輝きだす。


ふたりは手をあわせた。
からだが熱くなる。
瞬間。
サキの髪がのび。
カイトのほおのイレズミが消え、右腕がもとにもどった。

ふたりは笑いあった。
飛べる。
そう確信した。

ゆるぎない力が、ふたりを包む。


「目を閉じれば、浮かんでくる……」
サキのつぶやきが、大地を流れていく。

「風にゆれる緑の草原」
カイトのつぶやきが、青い空をかけていく。

「きらめく蒼い海」
「山をこえて」
「谷をこえて」
「人々をゆらし」
「そして……」
「空へ還る……」
「永遠の風になるの……」


ザワァァァ……。

大きなうねりが、緑の大地をゆらした。


そして……。

サキとカイトのからだは、空へと舞い上がった。
高く。高く。
どこまでも遠く。

ふたりは。
緑の大地をかけ。
蒼い海をはしり。
山をこえて。
谷をこえて。
人々をゆらし……空へ還る。

いつまでも。いつまでも。


そして、彼らは、永遠の風となった……。



おわり





コメント

どんなにふみにじられても。
人には生きる力がある。
前を向いて、歩いていける力がある。しあわせになるために……。
そう信じて、この話を書きました。
少しでもすきになってもらえたら、しあわせです。