「さくら かおる」   ひなた




さくら さくら つれてって
あおいうみへ
そよぐのはらへ
いとしい いとしい あのひとのもとへ
さくら かおる
はる かおる
たったひとりの あのひとのもとへ


私は、いつも自転車で仕事場へ行く。
そんなに遠くないし、運動がてらにちょうどいいから。
朝、いつものように車で混んでいる道を、私の自転車は泳ぐように走っていく。
「気持ちいい・・・。」
ほおにあたる風が、春とはいえちょっと冷たいけど。ぼおっと、もやのかかる頭が、だんだんとスッキリしていく。
「今日は、ちょっと遅いかな。」
近道しようと、私は角を曲がり、高校のそばを通る小さな道に入った。
登校時間より少し早いのか、学生はまばらで、通りは静かだった。私は何気に上を見た。
目についたのは、五分咲きの桜。
キキーッッ!
ひどいブレーキ音がして、私は止まった。
へいの上からは、数本の桜が顔を出していた。
もう、そんな季節なんだ。
私の家には、一本の桜がある。
中学生の頃、おじいちゃんが死んだ日。
満開だった桜が、いっせいに散った。
まるで泣いているようで、とてもせつなくなった。
その風景がどうしても忘れられなくて、いつのまにか、私は桜が嫌いになってしまった。
桜は、それ以後、一度も咲いたことがない。つぼみすらも、つけない。
大切な人を失ったから?
私は、ため息をついた。
今はそんなことを考えている場合じゃない。仕事に行かなきゃ。
学生達がちらちら増え始めた道を、私は駆け抜けた。

『さくら・・・さくら・・・つれてって・・・』
おじいちゃん、そのうたなあに?
ああ、このうたは、かなえのおばあちゃんが、よくうたってたうたじゃよ。
おばあちゃんが?
そう、おばあちゃんはなあ、このさくらがすきでなあ。きれいだ、きれいだって、よくうたっておった。
ふう・・・ん。
かなえは、このさくらすきか?
うん。すき。
そうか。そうか。ずーっと、すきでいておくれ。
うん。ずーっと、すきでいるよ。


仕事が終わっての帰り道、私はちょっと寄り道した。
天気のいい日は決まって寄り道することにしているのだ。
車では行けない道は、新たな発見があってけっこうおもしろい。
私は夢中で自転車をこぎ、小学校近くの路地を右に曲がった。
細く、古い道。
「おっとっと・・・。」
私はペースダウンをした。ゆっくり進む。
そこは、古い家々が、ぎゅうぎゅうにひしめきあってて、下町ってかんじがした。
私は自転車を降り、歩いた。
ゆっくり見ていると、いろんなお店がある。水引づくりの店。自転車屋。理容院。それから・・・ここは?
「すずや文具店?」
私はぴたりと止まった。その店はどっしりとした木造で、どの店よりも古めかしい感じがした。
雨で黒ずんだ看板が、その歴史を語っている。
「ここなら・・・もしかしたらあるかも。」
ガチャン。私は自転車を止め、はしによせた。

私にはずっと探しているものがあった。
B4の書類がすっぽり入るカードケースで、かわいい猫の絵が描いてあるのだ。
昔、おじいちゃんが買ってくれたんだけど、この間、とうとう破れてしまった。
いろいろ文具店で聞いているんだけど、これ、かなり古いものらしく、どこで探してもないのだ。
もしかしたら、こんな小さな文具店にあるかもしれない。
私は、そっ・・・と、戸を開けた。
ガラガラガラ・・・。
「こんにちはあ・・・。」
思わず声をひそめてしまう。
私はきょろきょろとあたりを見渡した。
店内は思ったよりもずっと明るかった。商品達がきちんと整えられている。
「うわあ、いっぱいあるなあ。」
「ねえちゃん、なにしてんの?」
「ひゃあっっ!」
私はあわててふり向いた。そこには、ランドセルをしょった、つんつん頭の男の子が立っていた。
ほおにバンソウコーをつけたその男の子は、ちょっと首をかしげていった。
「お客さん?なにか、買いにきたん?」
「えっ?・・・ああそう、ちょっと、さがしてもらいたいものがあって。」
「ふうん。ちょっとまってな。じいちゃんよんでくっから。」
男の子は、私の横をパタパタと走り、店の奥にある戸をどんどんとたたいた。
「じいちゃーん!お客さんだよー!」
「はいはい・・・」
やわらかい声がして、戸が開き、一人の老人が出てきた。
背中がまあるくて、白髪がふさふさのおじいさん。老眼鏡の奥の瞳は、とてもやさしそうだった。
そして、私を見、ふわりと笑った。
あ・・・おじいちゃんに似てる。

「いらっしゃい。なにか、おさがしですかね。」
「あ、はい。これをさがしてほしいんですけど。」
あわてて、私はバックからカードケースを取り出した。
「これ、ずっと使ってて。底がやぶれちゃったんです。同じものがほしくって、ずっとさがしてるんだけど、古いものらしくって、どこにもないんです。」
「どれどれ・・・ああ、大切にお使いになったんですねえ。」
こんなになるまでねえ・・・。おじいさんは、とてもうれしそうにいった。
「死んだおじいちゃんが、買ってくれたものなんです。だから・・・。」
そうでしたか。おじいさんは、やさしく目を細めて、こくりとうなづいた。
私はちょっと照れくさくなって下を向くと、さっきの男の子が私のすぐ横に来ていた。
「ねえ、ねえ、オレにも見せてよ。」
「これ、ケン太」
「いいじゃん。どれどれ・・・」
そういって、のぞきこむと、
「あっ!これ、見たことある!」
と、叫んだ。
「ほんと?」
「うん。えーと。えーと・・・。そうだ!ほら、前の日曜日、じいちゃんと倉庫のそうじしてたとき、あった。ぜったい、あった!」
とってくる!そういって、さっきおじいさんが出てきた戸の向こうへかけていった。

「元気だあ・・・。お孫さんですか?」
「ええ、そうなんです。悪さばっかりしよってねえ」
はにかむように笑うおじいさん。
ああ、本当におじいちゃんに似てるなあ・・・。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ胸が痛んだ。
「あったー!あったよー!」
戸がいきよいよく開いて、ほおを真っ赤にしたケン太くんが飛び出してきた。
両手には大切そうにカードケースを持って。
「これ、これだよなっ!」
それは、私がずっと探していたカードケースだった。ずいぶんと古いものなのに、新品同様でピカピカしている。
「見つからないと思ってたのに。魔法みたい・・・。」
「よかったなー。ねえちゃん」
へへへっと、ケン太くんは笑った。
「よくわかったなあ。ケン太」
おじいさんも、にこにこ笑ってる。
いいなあ。この雰囲気。
おじいさんやケン太くんが、この店を、文房具たちをどれだけ大切にしているのか、よくわかる。
だって、置いてある商品は、ほこりひとつついてなくて。
だから、どんなに古い建物でも、暗く感じないんだ。やさしい光に包まれているんだ。
時間がゆっくり進んでいくみたい。なんだか、ほっとする・・・。
この感覚はひさしぶりだった。
おじいちゃんと一緒にいた頃。おじいさんとケン太くんのように、おだやかに笑いあっていたあの頃。
忘れてた・・・。

「あれ?ねえちゃん」
「え、なあに?」
ケン太くんが、私の腕にそっとさわった。
「ほらここ、さくらの花びらついてるぞ」
「えっ・・・?」
見ると、確かに桜の花びらが一枚ついていた。いつのまについたんだろう?
私は、本当に悲しそうな顔をしてたんだろう。ケン太くんが驚いたようにいった。
「ねえちゃん、さくら、きらいなん?」
「・・・そうよ。」
「なんで?きれいなんに」
大きくてまあるいケン太くんの瞳が、泣きそうにゆがんだ。
「・・・おじいちゃんが死んだ日。うちの桜がいっせいに散ったの。大切な人がなくなって、悲鳴をあげてるように見えて。・・・つらいんだ。忘れられなくって。」
「ねえちゃん。さみしいん?」
「そうかも。そうかもしれない。もう、会えないから・・・」
こんなこと、誰にもいったことがなかったのに。ぽろぽろ、ぽろぽろ、言葉が止まらない。
「会えるよ。ねえちゃんのじいちゃん、きっと、そのさくらにいる。ねえちゃんのこと、ずっと見ててくれてる。」
「でも、咲かないのよ。・・・ずっと、咲いてくれないのよ。」
こんなに会いたいのに。

今までずっとだまっていたおじいさんが、ふわりといった。
「あなたがそんな風に、悲しんでいるからではないですかね。」
「おじいさん・・・。」
「あなたが、悲しみのあまり心を閉ざしているから、桜も悲しんでいるんでしょう。誰だって、大切な人には幸せになってほしい。笑っていてほしい・・・。そう、願うはずです。怖がらないで、声をかけなさい。だいじょうぶ。桜は咲きますよ。あなたのおじいさまなんですから。」
うんうんと、ケン太くんもうなづいてる。
「ほんとに?ほんとに、咲きますか?」
「だいじょうぶだよ、ねえちゃん。じいちゃんは、ねえちゃんのそばにいるって」
だいじょうぶ。二人のやさしい声は、私の心の扉を開けた。

月明かり。ほのかに光る庭。私とケン太くんは、桜の前に立った。
「ねえちゃん・・・。」
心配そうにたずねるケン太くんに、こくりとうなづいて、桜にふれた。
ひたいをみきにつける。「おじいちゃん・・・ごめんね。」
おじいちゃんが死んだとき、桜が泣いた。
でも、その涙は、私の涙だった。
悲しみを閉じこめて、何も聞かないふりしてた。
そばにいたのに。・・・そばにいてくれたのに。

私は、ゆっくりと、歌いだした。
「さくら・・・さくら・・・つれてって・・・。」
おばあちゃんの歌。魔法の歌。
「あおい海へ・・・。そよぐ野原へ・・・。」
ごめんね。ずっとすきでいるって、約束したのに。
「いとしい、いとしい、あの人のもとへ・・・。」
おじいちゃん・・・。
その時だった。

ササーッッ
強い風が吹いた。
「・・・ねえちゃん!」
「さ・・・くら・・・?」
おじいちゃんの桜。
おじいちゃんが死んでから一度も咲いたことのない桜が・・・。
咲いた・・・。
「おじいちゃあ・・・ん。」
強い風にふかれ、さらさらと散る桜。
月の光にふれ、きらきらと輝く。
涙で目がかすむ。
「ねえちゃん、よかったな。」
「ありがと・・・。ケン太くん・・・。」
「すっげー、きれいだ。」
「うん・・・。」
ズーット、スキデイテオクレ・・・。
おじいちゃんが、笑ったような気がした。


帰り道。
「今日はほんとにありがとね。」
「いーって。困ったときはお互い様だし。」
ケン太くんは、へへっと笑った。
「今度、お菓子持って、遊びに行くね。」
「ダメ。」
「なんで?」
「遊び・・・じゃなくて、買いにくるんならいーよ。」
「はいはい。わかりました。」
二人して、くすくす笑ってしまう。
路地の手前にくると、ケン太くんが止まった。
「もう、ここでいーよ。」
「うん。おじいさんに、お礼いっぱいいっといてね。」
「わかった・・・ねえちゃん。」
「ん?」
「ねえちゃんは・・・さくら、まだきらい?」
「・・・ううん。すきだよ。ほんとはねえ、ずーっと、ずーっと、すきだったんだ。」
「そっかあ。オレも、すき。さくらは死んじゃったかあちゃんの花だから。」
「え?」
ケン太くんは、うれしそうに笑った。
「かあちゃんがすきだった桜の木があるんだ。こっから、ちょっと遠いんだけど・・・。でも、そこにいけば、かあちゃんに会える。いつでも、会える。だから、ぜんぜんさみしくねーんだ。」
「ケン太くん・・・。」
だから、あんなに心配してくれたんだ・・・。
「とっておきの場所だけど、ねえちゃんなら教えてあげてもいいよ。」
「ほんと?」
「うん。だって、ねえちゃん、ちょっとかあちゃんににてるからさっ!」
「えっ!」
バイバーイ!そういって、ケン太くんはかけていき、あっという間に、見えなくなった。
「かあちゃんの桜かあ・・・。」
どんな桜なんだろう。きっと、きれいな桜なんだろうな。
今度ゆっくり聞かせてもらおう。
だって、私はすずや文具店のお得意様になるだろうから。
聞けるチャンスはいくらでもある。
「さてと・・・。」
月明かりを頼りに帰りましょうか。
私は、自転車のペダルをふんだ。
                                      

 おわり


<コメント>

はじめまして。私は文具店に勤めてます。でも、勤め始めてまだ一年もたっておらず、日々勉強中です。
何年かぶりに書いた童話です。書き方を忘れてしまって四苦八苦しましたが、楽しく書けました。
次は、ケン太くんのかあちゃんの桜の話を書けたらなあと思ってま
す。






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