「月夜のギター弾き」  ひなた




空には細いお月様。
星もきらりと輝いて。
ひやりと冷たい風も吹いている。
梅雨の合間の、久しぶりに晴れた夜。
いい月夜だな。
私は、ふわりふわりと歩いていた。


今日は、飲み会だった。
名目は、「友子、結婚おめでとう!」と言うもので。
ハワイで挙式を上げる為、披露宴はやらないよという友子の言葉に、私達は慌ててお祝いすることにしたのだ。
「そう言うことはもっと早く言えー」
と、怒ったり、笑ったりしたけど。
ごめん、ごめんと、幸せそうに笑う友子の顔を見ていたら、めいっぱい、祝福してあげたくなった。
友子は、とても優しくて、のん気で、いい子だから、うんとうんと幸せになって欲しい。
皆、そう思っていた。
……ほんの少し、寂しくはあったけれど。

そして、11時を過ぎた頃、とうとう会はお開きになった。
「送ってくよ。車、乗りなよ」
車で来ていた友人の一人が、そう声をかけてくれた。
ありがたい申し入れ、なんだけど。
私は、ふと空を見上げた。
梅雨に入って、ずっと雨だった。
今日は偶然にも雲が晴れている。
おまけに、三日月も星も瞬いている。
歩きたい気分だなぁ。

「いいや。歩いて帰るよ」
「えー。ここからじゃ、30分はかかるじゃない。あんたん家まで」
「うん。でも、気分いいからさ」
歩きたいんだよ。
そう言って、ニッコリ笑うと、友人も諦めたように笑った。
「じゃあ、気をつけて帰るんだよ。あんたも一応、女なんだからね」
「一応は余計だよー」
なんて、お互いケラケラと笑い合って、友人の乗った車は去っていった。
私はそれをしばし見送り、はふっと溜息をつくと、
幸せの気持ちをかみ締めながら、家へと向かい歩き出した。


大声で話しながら歩いている酔っ払いのサラリーマン達。
高校生ぐらいだろうか。自転車のスピード上げて通り過ぎていく男の子。
ひたすら家路に向かい早足で歩いているお姉さん。
いろいろな人が、ゆっくりと歩いている私の横を通り過ぎていった。

そんなに急ぐこともないのに。
どれくらいの人が、この月夜を楽しんでいるのかな。
そんなことを考えながら歩いていると、前の方から小さな音が聞こえてきた。
緩やかな風に乗って、
ポツリ、
ポツリと。
聞こえる音は、まだメロディーになりきれていない、生まれたばかりのぎこちない音。
何だっけ、この音。
どこかで聞いたことがある。
私はしばらく考えて、ふと思い出した。

ああ、ギターだ。
アコースティックギター。

なつかしいなぁ。
私もうんと昔、こんな音を出したことがある。
一音、一音、確かめながら音を紡いで。
上手くひけなくて、イライラして。
一曲終えた時は、もう、疲労困憊。
それは、ギターではなかったけれど。
その不器用なギターの音は、私を懐かしい思いでいっぱいにしてくれた。
少し照れながら、ほとほとと歩いていると、その音がだんだんと大きくなっていった。
そして、徐々にその音の主が見えてくる。

寂れた商店街の入り口に小さな銀行があって、その前に座り込んで、その人は弾いていた。
男の人だ。
18歳くらいだろうか。
Tシャツにジーンズ。
それは、どこにでもいる普通の兄ちゃんの姿で。
珍しい。
こんな人口密度の低い田舎で、頑張っている人もいるんだ。
変な感心をしながら、私はずんずんと近づいていった。

いつもの、
いつもの私なら、こんなことはしなかっただろう。
他のサラリーマンやOLのお姉さんみたいに、少年の前を素知らぬ顔で素通りしていたと思う。
でも、今日の私は違っていたんだ。
とても気分が良かったし、
……どこか人恋しかったんだ。


私は、少年の前でピタリと立ち止まった。
しかし、少年は気づかず、夢中でギターを弾いている。
とても、ぎこちなく。でも、一生懸命に。
肩に力入ってんなぁ。
余りにも真剣なその姿に、私は声をかけるのも悪い気がして、少年が弾くのを止めるまで待つことにした。
やがて、
あ、間違えた。
と思ったら、少年はちっと舌打ちをし、重い溜息をついた。
そして、手を止め、ふと目線を上げる。
やっと、私に気がついたらしい。
ぎょっと目を見開いて私を見た。かなり驚いている御様子。
オバケじゃないんだからさ、そこまで驚くことないじゃないの。

「こんばんは」
しかし、そんな少年にめげずに私はにっこりと笑ってやった。
すとんと、前にしゃがみ込む。
そうして、まじまじと少年の顔を見ると、さっき思ったよりも、もう少し幼い感じだった。
16歳くらいかな。
目を見開いたまま戻らない少年に、私は、かねてから疑問だったことをぶつけた。
「私、こういうとこ初めてなんだけどさ、幾らくらい払えばいいの?やっぱ、前払い?」
にこにこと笑みを絶やさず、矢継ぎ早に質問をする。
そんな私に少年は、びっくりした顔から、やがてむっとした顔になった。
怒ったかな。
そりゃそうだろう。私でも、むっとするさ。
でも、相場もわからんのも事実だし。
などといろいろ考えながら、少年の出方をじりじり待った。

先に根負けしたのは、少年の方だった。
少年は諦めたように溜息をつくと、
「お金はいいです。聞いてもらうために弾いてる訳じゃないし。そんなに、うまくねぇから」
と、少しぶっきらぼうに言った。
「タダなの?」
こくり。少年は頷いた。
そりゃ、ラッキー。と内心で思いながら、続けて聞いた。
「少年は、いつからギターやってんの?」
「え」
「いやさ、随分、年季の入ったギターみたいだからさ」
以前見たことのある、楽器屋に飾られていた新品のギターは、もっとつやつやしていたから。
人にたくさん触れてもらったギター。そんな気がした。

少年は自分の腕にあるギターを見て、ぽんと軽く叩いた。
「始めたのは最近で、こいつが年季入ったように見えるのは、もらいもんだから」
「へぇ。友達にでも、もらったの?」
「いや、じいちゃんに。正確には、じいちゃんが拾ってきたんだけど」
「これを?」
「じいちゃん、自転車とか、テレビとか、何でも拾ってくるくせがあるから。こいつは、粗大ごみを捨てる所にあったって。どこも割れたり、壊れたり、ああ、弦は変えたけど、でもどこも変じゃなかったから。それで、俺に弾いてみろって」
「……くれたんだ」
「はい」
そりゃまた豪気なおじいちゃんで。
私は、ちょっと笑った。
「何か、すごいおじいちゃんだね。でも、だからなのかな」
「え」
「少年さ、つまらなさそうな顔して弾いてるからさ」
「!」
少年は私の言葉を聞いた途端、黙り込んでしまった。
怒ったんだろう、下を向いたまま動かない。
ぎゅっとギターを抱きしめたまま。

ギターを弾いている少年の姿を見ていて、ずっと思っていた。
それはとても辛そうで。
少年は、
上手く弾きたい気持ちと、
弾けない自分に空回りしているようだった。
始めたばかりで、今は仕方がないんだろうけど。

でもね。
なんつうかさ。
もったいない気がするんだよね。
折角、少年の元に来てくれたのに。


「あのさ、エレクトーンって知ってる?」
「……」
少年は何も答えない。俯いたままだ。
構わず私は続けた。
「私、小学生の時、習ってたんだよね。でも、習い始めの頃、うちにエレクトーンなくてさ。あるのは、音が2つ3つ飛んじゃってる古い足踏みのオルガンだけでさ」
どうして我が家にあったのか、それすらも謎なオルガンだったけれど、
当時は私の大切な練習相手だった。
「いやでね。ものすごく。最初はまだ良かったんだけど、段々レベルアップしてくると、オルガンだけじゃ物足りなくなってくるんだ。ほら、エレクトーンってさ、右手、上鍵盤がメロディー、左手、下鍵盤が和音で、足がベースに分かれているのよ。だから、オルガンじゃ駄目なのね。足がないから。弾き方も全然違うしね。他の子は皆最初からもっているもんだから、ものすごい早さで上手くなっていくのよ。私だけがおいてけぼりで……あれは、辛かったなぁ」

少年がゆっくりと顔を上げた。
そうだよ。
私も一緒だよ。
ちゃんと弾けないとつまらない。
でも、大切なことはきっとそれだけじゃないんだ。

「結局、行くのが嫌になり始めたんだよね。でも、絶対続けるって親に約束した手前、行きたくないなんて言えなくて。どうしようって迷っていたら、家にやって来たんだ。新品のエレクトーン」
居間のすみっこに置いてあったエレクトーン。
古い家に居心地悪げに、でもどこか誇らしげに、エレクトーンはあった。
「びっくりしたなぁ。あれは。正直、うち貧乏だったからさ、買ってくれないと思っていたんだよね。親はね、ローン組んで買ってくれたんだと思うよ。でも、ちっともそんなそぶり見せなくてさ、ちゃんと練習すんのよって、そう言っただけで」
うれしかったな。あれは、本当にうれしかった。
絶対、手に入らないと思っていたものが、手に入った瞬間。
「自分のエレクトーンだよね。自分だけの。もう、夢中で弾きまくったよ。下手なんだけど、でも、とにかく弾きたくて、弾きたくて、たまらなかった。一つ一つの音が集まって、メロディーになってさ、音楽になるの。あれは、感動ものだったなぁ」
初めて間違えないで弾き終えた時の喜びと高揚感。
今では余り感じることが出来ないけれど。

「わかる。それ」
「ん?」
少年の小さな声が、ぽつりと聞こえてきた。
「俺も、今まで弾けなかった曲が弾けるようになると、世界が広がるような気がして。それがすごく好きだ」
「世界が変わるよね。パアーっと」
「うん」
私たちは笑い合った。
初めて見る少年の穏やかな笑顔。
なんだ、そんな顔もできるんじゃない。
私はうれしくなって、少年に聞いてみた。
今なら答えてくれるかも知れない。
「ねぇ、何でそんなにつまらなさそうな顔で弾いてたの?眉間に皺寄せてさ」
「え」
「そんな優しい顔もできるんじゃない。そんな顔で弾いてあげなきゃ、そのギター可哀想だよ。折角、少年のとこに来てくれたのに」
もったいないよ。
私がちょっと偉そうにそう言うと、少年はほおっと息を吐いた。
そして、ギターをそろりと撫でる。
優しそうな顔だった。
やっぱり。
そんなにギターが大切なんじゃない。

「じいちゃんが、楽しみにしててさ。今、ばあちゃんが入院してて元気がないんだ。だから、じいちゃん、このギターでばあちゃんの好きだった曲を弾いて励ましてやってくれって。でも、ちゃんと弾けなくて。イライラしてて……」
少年はちょっと笑った。
悔しいんだろうな。上手く弾いて上げられなくて。
でも、少し違うよね。
「私、ギターのことは良くわかんないけど、そんな顔しなくたってちゃんと伝わるんじゃない?下手でも何でも好きだって気持ちがあるなら、伝わるよ。少年の気持ち。自分の為に弾いてくれてるんだもの。うれしいと思うけどな。私なら、絶対、うれしいし。それに、おばあちゃんだって、大切な孫にそんな顔までさせて弾いて欲しくないと思うよ」
「そうかな」
「そうだよ。伝わるものって、きっとあると思うよ」
私が安心させるように頷くと、やがて、少年の肩の力がふっと抜けた。
伝わったかな。ちゃんと。
うん、大丈夫そうだ。

少年の落ち着いた瞳をみて、私もほっと溜息をついた。そして、
「さて、私もそろそろ帰りますか」
よいしょっと情けない声と一緒に立ち上がった。
ずっと座りっぱなしだったからな。膝が少し痛くなっている。
よしよしと、私が膝をさすっていると、
「あの、お姉さん」
「はいよ」
「……ありがとうございました」
照れたように笑う少年。
やだなー、そんな顔されたらこっちも照れちゃうじゃないの。
酔っ払いのタワゴトなのにさ。
「いいって、いいって。こちらこそ、酔っ払いに付き合ってくれて、ありがとね」
いい音鳴らせよー。
そう言いながら、くるりと少年に背を向けた。
バックを持ち直し、時計を見る。
12:15。
早く帰らなきゃな。明日も仕事だし。
そうして、私は歩き出した。
後ろから聞こえてくるのは、やはり、ぎこちないギターの音だったけれど。
それは、どこか温かくて優しい音に変わっていた。

「頑張れよ、少年」

こっそりと、心の中でエールを送った。


今日はなんとか雨はもちそうだ。でも、明日からはまた雨が続く。
そうだね。
今度、空が晴れたら、またここに来よう。
その時は、私の為に弾いてくれるといいな。
何でもいい。
気持ちのこもった優しい曲なら。

そんなことを考えながら、私は家路についた。


おわり






<コメント>

ギターを拾ってきたのは、祖父です。
小学生の頃、何も知らない私は琴のように下に置いて遊んでいました。
今は、ギター好きの叔父の所にいます。
自分を大切にしてくれる人に出会って、さぞかしほっとしているでしょう。ギターも。



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