聴こえない声の詩(うた)
作/ 咲良(さくら)
タン、タタン、タン、タタン、タータ・・・五時の合図の音楽が流れました。ここ、丘の上公園では、五時になると公園の真ん中にある時計台から音楽が流れます。時計台が歌い始めると、子供たちは遊ぶのをやめ、家へと帰って行くのです。
子供たちが急いで家へ向かう中、一人の青年が桜の木の下にあるベンチで本を読んでいました。この青年は、毎週決まって月曜日と水曜日の夕方にこのベンチで本を読んでいます。そして、このベンチの後ろにたっている桜の木はいつも、青年が来るのをとても楽しみに待っていました。なぜなら、青年は必ず桜の木に話しかけてくれるからです。
「なんてきれいに咲いているんだろう。」
青年は桜の木を初めて見たときこう言いました。四月の初め、桜が満開の季節でした。これを聞いた桜の木は得意になり、
『私、とってもきれいでしょ?』
と、言わんばかりに枝に花を咲かせました。それから青年は月曜日と水曜日にいつも
桜の木に会いに来ました。
「やあ、今日もごきげんだね。」
青年は公園へ来るとまず桜の木にあいさつし、それから木の下のベンチで本を開くのです。
桜の木は青年が大好きでした。桜の木は、春はいっぱい花を咲かせて青年を楽しませ、夏になると青々と葉っぱを茂らせて青年のために影を作り、秋には色とりどりの落ち葉で青年を歓迎して、冬になると葉っぱを落してお日さまの光を青年に浴びせました。
桜の木と青年は週二回の一緒の時間を幸せに過ごしました。
けれどいつからか、青年の様子が少し変わったのです。いつも静かに本を読んでいた青年が、五時の音楽が流れると本を読むのをやめて、ふと目を上げるようになりました。そしてしばらくなにかをやさしく見つめて微笑むと、また本に目を落すのです。
桜の木は、このときの青年の表情がとても好きでした。それはとても穏やかで、静かにそっと、愛しむような微笑みでした。
桜の木は時計台が歌い始めるのをとても楽しみに待つようになりました。月曜日と水曜日の音楽は、いつもと違って聴こえるようになりました。
そのうちに、桜の木は青年が見ているものが気になり始めました。
「彼はなにを見ているのかしら?どうしてあんなに幸せそうなのかしら?」
桜の木は考えました。
そしてある時、桜の木は青年が見ているものを知りました。
それは、ひとりの女の人でした。やわらかそうな長い髪の、やさしそうな人でした。その女の人は五時の音楽が流れるころ、桜の木の前を通りすぎるのです。いつも少し空を見上げて、ゆっくりとベンチの前を通りすぎるのです。
桜の木は思いました。
「いつか、彼女が彼のとなりに座ってくれないかしら。そうしたら、いつも彼のあの笑顔を見ていられるのに。」
もし二人が一緒にベンチに座ったら、それはそれはすてきな時間になるだろうと、桜の木は思いました。
けれど、桜の木の願いはかないませんでした。
ある春のうららかな日、桜の木と青年はいつものように一緒の時間を穏やかにすごしていました。桜の木は枝いっぱいにつけた花を青年にほめられて上機嫌でした。
だんだん日もかたむいて、五時の音楽が流れ始めました。青年はいつものように本から目を離し、女の人を待ちました。
すぐに彼女はいつものようにゆっくりと歩いてきました。けれど、いつものようにひとりではありませんでした。彼女の横には、彼女と手をつないだ男の人がいました。ふたりは楽しそうに話しながらベンチの前を通りすぎました。
桜の木は青年を見ました。
青年はいつものように、穏やかに笑っていました。けれどその微笑みはとてもさみしそうでした。
その微笑みを見た桜の木は泣きました。枝いっぱいの花を流しました。
「どうしてかしら、どうしてかしら。どうして彼女には聴こえないのかしら。彼がいつもうたっているやさしい詩(うた)が、どうして聴こえないのかしら。」
花びらが舞いました。青年の上にたくさん、たくさん、とめどなく桜の花が降りました。
「どうしてかしら、どうしてかしら。どうして彼は笑っているのかしら。あんなにかなしい詩(うた)をうたいながら、どうして笑っているのかしら。」
桜の木のピンク色の涙はベンチに降りつもりました。
いつのまにか、五時の音楽は鳴りやんでいました。
青年は本をとじてベンチから腰をあげると、桜の木を見上げました。そして、いつものあのやさしい笑顔を桜の木に向けました。
「なぐさめてくれてありがとう。」
そう言って、青年は桜の花びらを一枚、本にはさみました。
「君はいつもやさしい詩(うた)をうたっている。君の花びらのようにきれいでやわらかい桜色の詩(うた)を。君のやさしい詩(うた)がぼくは大好きだよ。」
また桜の花が舞いました。
ベンチの周りは、薄いピンクの桜色に染まっていました。
それっきり、青年は月曜日と水曜日がきても丘の上公園には姿を現しませんでした。けれど桜の木はいつものようにやさしい詩をうたい続けました。五時の音楽に合わせてうたう桜の詩(うた)は、夕焼けに赤くそまる空いっぱいに広がっていきました。
《了 》
「桜の精がいたらいいのに」という思いつきから、この物語が生まれました。
いろんなものに「〜の精」なんていうのがいて、
私たち人間には聴こえない詩をうたっていたら・・・
そんな風に考えると、この世界がもっと素敵なものに感じられます。
青年のように、「聴こえない声の詩」に耳を澄ませてみてください。
Story & comment by 咲良(さくら)