クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第二章 永遠のいのち
パッシャーン!
銀色の月の光りを浴びながら、ゆらゆらと思い出のさざ波にただよっていたクプカの目のまえに、突然、大きな水しぶきがあがりました。
しずかな海面をつきやぶり、何かがふいに飛び出したのです。
その黒いシルエットは、ビーズのすだれのような水滴をキラキラとしたたらせながら、弓なりの美しい曲線を描いて、ふたたび海中に消えました。
「キュルキュルキュルキュル....」
水しぶきがおさまると、いたずらっぽい笑い声が、波のうえをコロコロとすべっていきます。
「リト・・おまえだね。かくれんぼしていないで、はやく出ておいで」
クプカがそう言うと、まるみをおびた鼻先とつぶらな黒い瞳が、ピョコリと海面にのぞきました。
まだ子どものイルカです。
「クプカ、どうしてボクだってすぐわかるの?」
リトは、ちょっとつまらなさそうに、首をかしげながら言いました。
「そりゃあ、いつだって、おなじように登場するからさ。
こんどは、もうちょっと、出方をかえてみたらどうだい?」「ふーん、そっか」
リトは、むじゃきにクルクルとからだを回転させながら、クプカのにじ色のコウラのまわりを、気持ちよさそうに泳ぎはじめました。
イルカというのは、いつだって楽しくなる遊びを見つけだす名人なのです。
「それにしてもリト、よくココがわかったね」
クプカがそう言うと、リトは自慢げに胸をはって答えました。
「だって、今夜は満月だもの。クプカはきっと、このあたりの海で、
またぼんやり月を眺めてるだろうな・・って思ったんだ。ねえ、大当たりだったでしょ?」「ああ、大当たりだ」
クプカは、やさしくほほ笑みながら“リト”を見つめました。
リト・・もともとこの名まえをつけたのは、クプカ自身です。
といっても、リトという名を、クプカから最初にもらったイルカは、もうこの世にはいません。とっくのむかしに、死んでしまっていました。
どういうことかわかりますか?
あの不思議な光りが落ちてきた夜から、クプカが“とくべつなウミガメ”になったことは、お話ししましたね・・あの夜からクプカは、ほとんど年をとらなくなったばかりか、命にかかわるような大ケガをしても、死ぬことはなかったのです。大ケガをしたり病気になると、にじ色のコウラが、まるで光りのドームのようにクプカの全身を包みこみ、たったひと晩で、すっかり元気なカラダにもどることが出来ました。
だからクプカは、ずっと生きつづけてきたのです。
ひろい海のなかで、たくさんの生命が誕生し、成長して大人になり、やがて恋をして子どもを産み、いつしか年老いて死んでいくのを、見つめつづけながら、生きてきたのです。ほんとうに気が遠くなるほどたくさんの出会いと別れが、クプカのかたわらを通り過ぎていきました。つまり、クプカの目の前にいるリトは、最初のリトから数えると、何十代もあとに生まれた“子孫のリト”ということになります。
「それにしても、血のつながりというのは不思議なもんだ・・」
リトを見つめながら、クプカはひとりごとのようにつぶやきました。
リトの表情や、ふとした仕草のなかに、リトの先祖たちの面影を発見することが、たびたびあったからです。死んでしまったはずのリトたちの記録が、まるで象形文字か暗号のように、生きているリトのうえに、すべて書き込まれているようでした。
“リトのなかで、みんな、いまも生きているんだ”
そう思えることは、クプカにとって、どんなに心強かったかしれません。
だって、どの時代のリトも、クプカにとってはかけがえのない“友だち”でしたからね・・。
「クプカ、ボクの顔になにかついてるの?」
あまりしげしげとクプカが顔をながめるので、目の前にいるいまのリトが、けげんそうにたずねました。
「ああ、ついているとも・・いっぱいね」
クプカは笑いながらそう答えました。
リトは海面に自分の顔をうつしては、しきりに首をかしげていましたが、どうやら長く考え込むのは、あまり得意じゃないようです。すぐにあたらしい遊びを見つけると、すっかり夢中になりはじめました。その遊びは、クプカのコウラのうえをジャンプして越えるという、単純なものでしたが、ウミガメとはいっても長く生きてきたクプカのからだは、十人乗りのボートくらいの大きさがあります。いくらジャンプが得意なイルカとはいえ、まだ子どものリトには、ちょっと飛び越えられないほどの大きさでした。じっさい、もし、おなじ大きさの岩やボートだったら、リトはきっと飛び越えることができなかったことでしょう。ところが、なぜかクプカのからだを軽々と飛び越えることができたのです。
にじ色のコウラのうえをとぶ瞬間、リトは、ふわっとからだが軽くなるような気持ちになりました。どこまでも高く高く飛んでいけそうな・・それは、不思議な感覚です。まるでにじ色の光りの中から、だれかの大きな手のひらが、リトのからだを、ふわりと持ち上げてくれているようでした。リトはうれしくて、なんどもなんどもジャンプをつづけ、クプカはその間、ただじっとしていました・・べつに、がまんをしていたのではありません。
リトがたのしいときは、クプカもおなじようにたのしかったのです。
「クプカ・・ねえ、お話を聞かせて」
遊びつかれたリトは、クプカに寄りそって、いつものように言いました。リトは、クプカから“むかしばなし”を聞くのが、だいすきなのです。(ただし、この場合の「聞く」という表現は、あまり正確とは言えないかもしれません・・)
「今夜は、どんな話が聞きたいんだい?」
「あのね、リトという名まえをクプカからはじめてもらった、
ボクのご先祖さまのことを知りたいんだ・・どんなイルカだったの?」「ああ・・最初のリトのことだね」
「うん」
目のまえにいるリトの面影に、遠い友のすがたがダブりました。
“リト・・リト・・さいしょのリト”
クプカの目は、もう、はるか遠くを見ています。
突然、にじ色のコウラが、ひときわ明るくかがやきはじめました。それは、クプカが「時間」という名の激流をさかのぼるときのしるしです。リトは、わくわくしながら、クプカのコウラにぴったりと寄りそいました。まるで、時間を旅する“にじ色の船”に、けして乗りおくれまいとでもするようにね・・そろそろお気づきでしょうか?
クプカから“むかしばなし”を聞くということは、お母さんにベッドで絵本を読んでもらうのとは、ちょっとわけがちがうのです。
さあ、クプカという名の“にじ色のタイムマシーン”が、振動しはじめました。はげしい時の流れにふり落とされないように、しっかりつかまっていなくてはいけません!
旅の目的地は「さいしょのリト」・・用意はいいですか?
ほら・・大きく息をすって・・・
・・・出発です!!!!