クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第四章 みどり色のシルエット
青い炎のなかから立ちのぼる、いちじんの風のように、若者は宮殿のなかへ入ってきました。
彼のすがたを見たとき、リトは、宮殿に飾られていたアポロの彫像が動き出したのか・・と思ったものです。それほどまでに、美しい若者でした。たくましく日焼けした肩には、太陽のしずくのような黄金色の髪がたなびき、青く澄んだ瞳は、思いつめたようにまっすぐ前を見つめています。
「ここをどこだと心得ている!」
若者に気づいた家臣たちは、あわてて剣をかまえ、彼のまえに立ちはだかりました。
その時、王の声が広間にひびいたのです。
「心配はいらぬ!わしがよんだのじゃエルテミス、もっと近くにまいれ・・」
王にうながされて、若者は王座に歩みよりました。
王のまえにひざまずいてはいるものの、おびえたり、ひるむ様子のない、りんとした若者の背中を、リトたちは見おろしていました。
すると、どうでしょう?
若者の広い背中に、何かがボンヤリと浮かんできたのです。
「ねえ・・クプカ、ボク、目がへんになったのかな?
彼の背中に、なんだか“海”が見えるんだけどさ・・」リトは前のヒレで、視力検査みたいに片目をふさいだり、あけたり、こすったりしながら、クプカにたずねました。
「いや、ちっともへんじゃない・・あれはまぎれもなく“海”だ・・さて、行ってみるか?」
「えっ?行くって、どこへ?」
リトが最後まで聞き終わらないうちに、ふたりのからだはすごい力でひっぱられました。
若者の背中に浮かびあがった「海の世界」へ・・まるで激しくうず巻く、海流にのみこまれるように、すいこまれて行ったのです。
その海には、たくさんの軍船が浮かんでいました。どうやら激しい戦闘のあとのようです。波のうえには、バラバラになった船の残骸や、木切れなどにつかまったまま息絶えた、たくさんの死体が浮かんでいました。リトは、あまりのおそろしい光景にブルブルふるえながら、クプカのコウラのかげから、おそるおそるあたりを見わたしました。真下に、ひときわ大きな軍船が見えます。どうやら、戦いに勝った側の船のようです。船上では、勝利に酔いしれた兵士たちが、祝杯をあげています。リトは、一段高くなった場所で盃(さかずき)を高くかかげている武将に気がつきました。彼は、光り輝く銀色のよろいをまとっています。
それにしてもあの顔は・・どこかで見た覚えがあります。
「あっ、宮殿にいた王さまだ!」
リトは、やっと気がついて叫びました。広間で会ったときより、ずいぶん若々しく自信にあふれて、まるで別人のように見えますが、たしかにあの王さまです。
そのとき、兵士のひとりが、縄(なわ)でしばりあげられた8才くらいの少年を、王のまえに引き立ててきて言いました。
「まだひとり、王家のものが残っておりました」
少年の、まっすぐに前を見つめる海のように青い瞳・・そう、それはまぎれもなく、広間で見たあの若者・・幼い日の「エルテミス」王子です。王はエルテミスをいちべつすると、たいして関心もないというように、盃に口をつけたまま、兵士に向けて軽く目くばせをしました。それは「処刑しろ」という合図です。この時代、戦いに敗れた国の王家のものは、どんなに幼くても殺されるのがふつうだったのです。征服者はみんな、いつか復讐されることを、とてもイヤがりましたからね・・。
兵士は、小さなエルテミスをうしろの甲板(かんぱん)に連れていくと、ギラリと光る剣をひき抜きました。
そして、高くかかげた剣は、ついにふり落とされたのです。
リトは思わず、前のヒレで目をおおいました。
ところが、剣は空(くう)を切っただけだったのです。
少年エルテミスは、とっさにしゃがんで剣先から身をかわすと、そのままの低い姿勢で兵士に体当たりして、すばやく甲板のはしにかけあがりました。いったい誰が、幼い子どもにそんな大胆なことが出来るなどと考えたでしょう・・しかもつぎの瞬間、少年は甲板から身をのりだして、アッという間に海に身を投げたのです。しばられたままの小さなカラダが、あぜんと見つめる人々の視界から消える寸前に、少年エルテミスは、ひと声こう叫びました。
「死は、みずからの手で!」
それは、りりしくも痛々しい・・あまりにも澄んだ子どもの声でした。
リトは、しがみついていたクプカのコウラから身をのり出して、少年が落ちていく海面をのぞき込みました。船に居合わせた兵士たちや王さえもが、甲板にあつまって少年の飛び込んだ水面に目をこらしています。小さな水しぶきがあがったあとには、波紋がひろがっていくばかりでした。
「王様、も・もうしわけありません!・・いかがいたしましょう?」
甲板では、エルテミスを処刑しそこなった兵士が、おろおろと取り乱して王にたずねています。
「おろかものめ!あんな子どもにスキを与えるとは・・恥を知れ!」
王は激怒してどなりつけたあと、波紋が消えていく海面を見つめながら、ひとりごとのように、つけ加えました。
「あんなに厳重にしばられていては・・どうせ、泳ぐこともできまい」
その場にいたすべての者が、おそらく王と同じように考えていたはずです。
けれどなぜか、だれも海面から目を離そうとはしませんでした。
どれくらいの時間が流れたでしょう・・。
いくらなんでも、こんなに長く息を止めていることは大人でも無理だろうと、船上の人々もさすがに甲板から離れようとした・・そのときです。エルテミスが飛び込んだあたりの海上が、にわかにざわざわと大きく波打ちはじめたではありませんか!大きな軍船までもが、その波で、ぐらぐらっと揺れたほどです。
王たちは、ふり落とされまいと甲板に必死でしがみつきながら、白くあわだちはじめた海上に目をこらしています。息をするのも忘れたように、リトも海面を、じっと見つめていました。あわだつ白い波は、ひろい範囲にもりあがって、どうやらなにかが海面に浮かびあがってくるようです。ふかい“みどり色のシルエット”が、すこしずつ見えてきました。
海上に“それ”が、ついにすがたをあらわしたとき、リトは声をあげることさえ忘れてしまいました。
しばらくしてから、ようやく、かすれた声でこう言ったのです。
「これは・・・いったい、どういうことなの!?」