【エッセイ】
おひっこし協奏曲 文と写真・Akemi Murata 引っ越しを決めた。
住み慣れた東京を離れ、森の中に住むことにした。
行き先は栃木県那須町(とちぎけんなすまち)。
通称「那須高原」と呼ばれているところだ。引っ越すのは、5月30日。
夫とふたり、那須高原にはじめて行ったのが
先月の3月26日のことだから、
わずか二ヶ月ほどで決断、引っ越しという早ワザだ。
周りには、突然の知らせにおどろく友人も多い。
けれど、ふたりにとっては、流れるように
なにかに、誘(いざな)われるように決まった
「引っ越し」だった。
ふり返れば、はじめて那須の地を訪ねた日の朝、わたしは不思議な夢で目を醒ました。
銀色の金属のようなもので出来た三角形・・楽器のトライアングルに似たものがキラキラ揺れている。トライアングルと違う点は、三角にあいた中央の空洞部分に、細い横棒が2〜3本渡っていたことだろうか....しかも棒の途中には数カ所、何かを引っ掛けられるカギ状の突起がついている。その時、大きな手がひとつずつ、クリスマスのオーナメントのような飾り物を、カギ状の部分にぶら下げ始めた。手の持ち主の姿や顔は見えないが、その仕草はゆったりとしていて優雅だった。ひとつひとつの飾りも、どこか古風で美しい。
そして、手の持ち主は、飾りをぶら下げながら、
こころに響くようなあたたかな声で、歌うように三度、こうささやいた。いちどめは、山のようなカタチのオーナメントをぶら下げながら「大地」
にどめは、星のカタチのオーナメントを引っかけて「星」
さんどめは、古びた土偶のような人形を下げて「人」「大地」「星」「人」・・・その声が耳にこだまし、すべてのオーナメントがかけ終えられた瞬間、銀色のトライアングルはキラキラさざめき“シャラ〜ン”と心地よい音色を発して、すずやかに揺れた。その途端、夢から醒めたのだが、その美しい音色は、めざめた後もしばらく、耳の底に響きつづけていた。さわやかな風につつまれ、ふわりカラダが浮いているような感覚もまだ全身に残っている。それは奇妙に心にしみる印象的な夢だった。
その日の朝、私たちは生まれてはじめて那須高原に向かった。
実は以前から、そろそろ東京を離れ、どこか森の中か海の近くに住んでみたい....という漠然とした願いはふたりとも持っていた。実際、そのつもりで軽井沢や伊豆高原etc....名だたる関東近県のリゾート地や別荘地にはほとんど出かけたし、家もいくつか見て回った。けれど、いざ「ここに住みたいか?」と考えると、いまひとつどこもピンとこない。いっそ、北海道に移り住もうか?真剣にいろいろ資料を取り寄せたり、実際に移住された人にお話をうかがったりもした。だが、北海道の風景は魅力的だったものの、いざ移住となると、さまざまな問題も浮かび上がって踏み出せない。
ちょうどそんな時、以前に電話で問い合わせていた那須の業者から「お見せできる賃貸物件がある」と言う知らせが届いたのだ。『そういえば、那須高原だけはまだ見ていなかった』。わたしたちは、さほど期待もしないまま(ちょうど旅行に出かけたい気分の時でもあったし)どこかペンションにでも二泊して、ついでに見て回ろうかと、かるい気持ちで車を走らせた。
那須高原がある那須町は、栃木県とはいえ、すぐ福島県に隣接している。関東圏の中にあって、もっとも東北圏に近い地域と言ってもいいだろう。それだけに、「遠い、寒い」という漠然としたイメージがあったのだが、練馬から車で東北自動車道を使ってわずか2時間で着いた。鉄道を使う場合には、東北新幹線が出来たから、東京駅まで那須塩原から1時間10分。思いのほか東京に近いリゾート地と言えるだろう。最近は、新幹線で東京に通勤している定住者も結構いる位だと言う。もちろん新幹線だから運賃は高いが、時間的には練馬のわが家から東京駅に向かうのと、さほど変わらない。寒さの方も、標高700メートル以下を選べば、そうでもないようだ。もちろん東京に比べれば寒いが、他の避暑地や別荘地、長野の八ヶ岳などと比較すればさほどでもない。
それにしても出会いとは、つくづく不思議なものだと思う。
出会った瞬間に運命を感じる直感的な出会いというのは、どうやら人と人に限られたものではないらしい。3月末の那須は、花も少なく木々も葉を落としたまま....ある意味、いちばん中途半端な時期だったと言えるが、それでも充分、魅力的だった。風の強い日だったことも幸いしたのかもしれない。雲にさえぎられることなく、山頂に残る白い雪をきらめかせながら、那須連山の峰々はその輪郭をくっきり浮かびあがらせていた。
ひとめぼれというのだろうか?
那須の山々に、恋をした。 夜は、まっ暗な森の深淵に「畏さ」さえ覚えたが、それは本来あるべき「神秘」だと気づかされもした。都会に暮らすうち、すっかり忘れていた自然への畏敬の念。心のかさぶたが剥がれて行くように、忘れていた感覚がめざめていった。夜が本来の闇を取り戻したとき、天上の星はまたたき、やっと真実の姿を見せてくれるようだ。寒さに震えながら時を忘れ、わたしたちは満天の星空を見あげていた。
雪の残る山道を歩き、ひなびた温泉にも行った。シャイでどこか照れくさそうに話す、土地の人の言葉には、どこか東北訛りもまじっていて心地いい。柱が黒光りする古びた宿や、こんこんと湯船からあふれだす湯が、ゆっくり心と体をほどいてくれた。
ネットで知り合った那須在住のご夫婦のお宅にも、旅の途中、お言葉に甘えて少しおじゃました。那須の風景に惹かれ、森のなかに家を建て、都会から移り住んでもう六年になるというご夫婦だ。はじめて会うような気のしない穏やかでやさしい、笑顔のステキなお二人だった。三匹の犬くんたちと一緒に暮らしておられるのだが、もともとは森にいた野良犬の子犬を一匹ひろってきて育てていたとか。その犬が子供を二匹産み、いつの間にか三匹になったのだと笑いながら話してくれた。
彫金細工をされているご主人に、彫金について夫が話しを聞いている間、わたしは奥さんと犬の散歩に出かけた。森のなかの道(いつもの犬くんたちの散歩コース)を、わたしも一緒に歩かせてもらう。那須に暮らせば始まるであろう生活の手ざわりを実感しながら歩く。それは、貴重なひとときだった。
東京でも毎日、わたしたちは一時間ほど散歩している。けれど、空を見るのが何より好きなわたしにとって、電線に切り刻まれた東京の空はいつも切なかった。けれど那須の空はちがう。のびやかに広がりおおらかに笑っていた。地面に目をやれば、季節のつぶやきがあちらこちらから聞こえてくる。これが春ともなれば、さぞかしコーラスのように感じられることだろう。
定住者の先輩からは、もちろん田舎暮らしの大変さもいろいろと聞かせてもらった。体験者だけから聞ける貴重なアドバイスだ。それによると、冬はやはり厳しいし、「那須おろし」という異名をもつ那須連山に当たってから吹き下ろしてくる那須の強風はハンパじゃないらしい。雷の名所でもあるし、夏には虫も多い。森や林のなかの別荘地に暮らすとなれば、雨の多い季節には、湿気対策も大変だと言う。けれど、どんなに困る点を話されている時も、その表情はまるで我が子のダメなところを話す親のように、ほがらかで愛情に満ちていた。
シャラ〜ン..... 夢のなかで聴いたあの美しい音が 「旅立ち」を知らせる、すずの音のように いまも心で鳴っている。 【END】 エッセイ・村田あけみ
- 村田あけみ -
2001年4月30日<後日談> 上のエッセイに書いた三角屋根の家には結局、丸二年お世話になりました。
(とりあえず最初は、賃貸で暮らしてみようと言うことで)・・・その後
ますます、那須が気に入った我々は、二年後の2003年の夏に
築27年という、森の中に建つ中古の家(元、別荘)を購入。現在は、
ふたりでコツコツ、リフォームしながら創作活動をつづけています。
森に捨てられ迷い込んで来た猫『ビヤ』という家族も、増えました。