【エッセイ】

ソフィー、I love you.

written by Akemi Murata / Painted by Osamu Murata

9月にやって来た台風のひとつが
太平洋上に抜けた日

ソフィー
あなたの瞳のように澄んだ
青い空がひろがる朝に
そのエアメールは、届きました。

ロスに住むあなたの息子フィリップからの便り。
小さな封筒の中には、白い無地のカードが
一枚、ひっそりと入っていました。

SOPHIE passed away on September 2, 2005
after a long and beautiful life.
She was the sun, radiating her light to all who knew her.

それは、あなたの死を知らせるメッセージ。

おそれていた知らせをとうとう受け取る日が、来てしまったのですね。

この世にもう、ソフィーは居ない。アメリカに行っても二度と、会えない。手紙を書いても届かない。
高齢だったあなたですから、覚悟していたこととはいえ、やはり悲しくてたまりません。

ただ、フィリップが綴った簡潔な英文から、あなたを母に持てた息子の
よろこびと誇らしさがキラキラまたたいているのが、何より嬉しくて救われました。

She was the sun, radiating her light to all who knew her.

-彼女は、彼女を知る全ての人に光を放つ、太陽だった-

この一行に、ソフィー、あなたの魅力がぎっしり詰まっているようです。


悪戯っぽい瞳をキラキラさせて、ユーモアたっぷりに話しては心底、楽しげに笑っていたソフィー。そのくせロマンティストで涙もろく、何歳になっても夢見る少女のように可愛かった。

あなたから放たれる光が、いつも、私たちをあたためてくれました。そう、フィリップが言うように、ソフィーあなたは、太陽のような人でした。

きっと今ごろは天国で、先に逝ったビル(愛する旦那さま)と再会して、つもる話しに、盛り上がっていることでしょうね。心の奧に刻んでる、ふたりのステキな笑顔が、見えるようです。

あなたは私たちの親よりも年上だったということ、すっかり忘れていました。会っている時、年の差なんて、いちども感じたことはなかったから。


彼の留学のため渡米して、過ごした二年間のニューヨーク時代。
アジア系、マイノリティとして暮らす辛さも時折感じ、口先だけのアメリカ人や、
自由の影に見え隠れする差別や偽善にも、いくつか出会いました。

けれど、生粋のニューヨーカーだった、ソフィーと、ビル、
あなたたちがくれた思い出と真心だけは、まがい物じゃなかった。

だからアメリカの良心を、いろんなことがあっても、どこかで信じたいと今も思えるのかもしれません。


 メトロポリタンミュージアムにも一緒に行ったよね。ホームシック気味だった渡米一年目の私を、そっと気づかって浮世絵とか、日本の美術品のブースに連れて行ってくれたり、春には「Akemi、花見に行こう!」と、ボタニカルガーデンに桜を見に連れて行ってくれたこともありました。
(やけに赤っぽい八重桜で、日本の花見とは風情がかなり、ちがったけれど...)

花よりも何よりも、あなたの優しさと笑顔が、満開の花のようでした。

 マンハッタンをスニーカーで闊歩して、北へ南へ、東へ西へ。見あげると、ソフィーの背中ごしに光っていたエンパイアステートビルの先端が、いまも見えるようです。あの時、私が「キングコングはどこ?」って、ふざけて聞いたら、ふり返って見あげ「たぶん、今日は塔の向こう側ね」と、すまして答えたソフィーが、大好きでした。

 秋には、ハロウィンの飾り付けを見て歩き、クリスマスには、大がかりな人形の仕掛けが動くデパートのショーウインドーを見に連れて行ってもくれたよね。ロックフェラーセンターの大きなツリーはもちろん、イタリア系移民が多い住宅街はライトアップが派手だから、見に行こう!と、ビルとソフィーと私たち、四人で出かけた深夜のドライブ。あの夜のことは、いつ思い出してもワクワクします。ビルが、サンタの真似をして

「HOO〜、HOO〜、HOO〜」

と雄叫びをあげた時は、四人ともまるで子供かティーン・エイジャーの様だったね。


コニーアイランドに、ふたりで行った日のことも覚えてる?

 あの頃はちょうど精神的にツライ時期だったから、久しぶりの海に連れて行ってもらえて救われたものです。浜辺のスケールの大きさに感激して駆けだした私に、「Akemi、あの海の向こうに日本があるよ!」と水平線の彼方を指さしながら、叫んでいたソフィー。水族館では、大きな白クジラにやけになつかれ、私が行く方、行く方へと追いかけて来ては水面から顔を出し、首をたてに振り声をあげて何か話しかける白クジラと、ちょっと困ってる私を見比べては、笑いころげていたでしょ?


 日本に帰る時、アパートメントの戸口で、抱き合って訣れたね。“I miss you.”という言葉が、あんなに心から自然に湧き出たのは、はじめてでした。悲しかったけれど、まだ若かった私は、またきっと、すぐ会える。そんな気持ちでいたけれど、ビルとソフィーは、これが最後かもしれない.....と思っていたのかも、しれないね。

 数年後に突然、ビルが病気で亡くなり、その後ソフィーは、住み慣れた愛するNYを離れ息子さんたちが住む西海岸に移り住み、その後もクリスマスカードを交わしていたけれど、年を追うごとに、ソフィーの筆力が衰えて来るのが気がかりでした。

そして、あの信じられない出来事、NYの 9.11。

ソフィーは一体、どんな思いであのニュースを見つめていたのでしょう。

 一度だけ、いつも明るかったソフィーが、瞳を曇らせて昔のことを話してくれたことがあったよね。ドイツ系だったソフィーと、ユダヤ系だったビルが結婚した時のこと。多くは語らなかったけれど「過去に悲しいことが、いっぱいあった。戦争はいけない、絶対いけない。」そう、くり返していたソフィーのこと、崩れ行く巨大な貿易センタービルを見つめながら思い出していました。



届けられた白いカードは、フィリップのこんな手書きの文面で締めくくられていました。

Whenever I talked about you both,her eyes would light up with the joy of remembrance.

- あなたたちについて私が話すと、ソフィーの瞳にはいつでも喜びの記憶が灯りました -


ここ数年、老いのため記憶もおぼろげになっていると聞いていたけれど、
私たちのことは、ちゃんと覚えていてくれたんだね。ソフィー、ありがとう。

会いに行ってあげられなくて、ゴメンね。
でも、私たちもソフィーのこと、絶対、忘れないから。

“I love you.”という言葉は、ドラマの中の言葉のようで、
日本人の私たちには、どう発したらいいか
いまひとつよく、分からないけれど

あなたになら心から言えるよ。

ソフィー、I love you.

思い出をありがとう。

【END】



Comment


とても個人的な思い出ですが、ソフィーという
一人のアメリカ女性のことを、どうしても、
書き残しておきたいと思いました。

平和の種が、もしもあるとすれば、
人と人、国籍も何もかも超えて
小さな出会いの中にこそ
ある気がします。


2005.9月 Akemi


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