パンダイルカの作りかた
作/ちょこふれーく
30分前に運ばれて来たっきり手も付けられず、
コーヒーはすっかり冷めてしまっていた。
喫茶店の窓際の席に座り、
彼女の話に区切りがつくのをじっと待っているのだが、
まだ終わらないようだ。
大体彼女の話は、なんの前触れもなくはじまり、結論もなく終わるので、
話そのものが何分ぐらい掛かるのか見当もつかない。
そのくせちゃんと聞いてないと怒るのだ。コーヒーに手をつけてもだ。
やっぱりアイスコーヒーにすればよかった。
まったく何回同じ失敗を繰り返しているのだろう。
向かいに座った彼女の前には、
さっきまでケーキが乗っていたはずの皿が居心地悪そうに置かれている。
食べながら器用に話すものだ。僕と彼女は大学時代からの付き合いで、もうすぐ6年になる。
その間に僕は3回プロポ―ズして、3回断られた。
最初に断られたのが3年前で、最後に断られたのがつい2週間前だ。
それでもこうして一緒にいるのは、彼女の断る理由がいつも、
「う〜ん。なんとなく」であることと、
やっぱり僕が諦めきれないせいだろう。
「ねぇ聞いてるの?」
もちろんちゃんと聞いていた。彼女の話をまとめるとこうだ。「パンダイルカ」というのは、パンダが先に見つかっていて、
その後、パンダのような模様をしたイルカが見つかったから
パンダイルカなのであって、もしもパンダイルカが先に見つかっていて、
例えばその名前が「白黒イルカ」とか命名され、
その後パンダが見つかったのなら、
パンダは「白黒イルカ」のような模様をしたクマということで、
「白黒イルカくま」だったかもしれない、という話だった。
どうでもいい話だが、まぁそうかもしれない。「ウナギいぬだってそう。あれだって、ウナギが先に見つかっていて
その後ウナギみたいな犬がみつかったから、ウナギいぬ。分かるでしょ?」
「あれは、しっぽがウナギみたいだからウナギいぬなんだ。
どっちが先とかは関係ないよ」しばらく沈黙があった。怒っているのか?と思って恐る恐る顔を覗くと、
彼女は満足したような表情をしていた。
どこだか分からないが、どうやら彼女の中では結論付けられたらしい。
そっと窓の外を眺めて、小さくため息をついた。
雨が降っているのだ。一応コーヒーを飲んでみたが、やっぱりまずかった。
冷めたコーヒーを飲むと浪人時代を思い出して、やりきれない気持ちになる。
ゴムボールを胃の中に突っ込まれたような、
吐き出したいけど何を吐けばいいのか分からない、そんな感覚だ。
僕は奥歯に苦いものを感じながら、店内を見回した。時間をつぶしている人、待ち合わせをしている人、
ノートパソコンで仕事を片付けている人、
そして僕らのように雨宿りに来ている人達もいる。
それぞれに自分の時間を過ごしている人々、
それらを見ていると、一人一人が全て自分であるような錯覚を受ける。
時間をつぶす僕、待ち合わせをする僕・・・・
ほんとの自分はどれだろう?
気が付くと彼女は窓の外から目を離し、僕の方を見ていた。
その目があまりにもまっすぐ僕を見ていたので、
少しうろたえて無理やり口をひらいた。「でも確かにそうかもしれないね。
先にパンダが見つかっていたからといって、紛れもないイルカに
パンダイルカっていう名前を付けるのはかわいそうな気がする。
せめて、パンダイルカと・・えーっと・・白黒イルカくま、とで
どっちがいいか、多数決を取るべきだろうね」彼女はさっきより少し大きなため息をついて、椅子の背にもたれかかった。
「やっぱり、分かってなかったわね・・」
やっぱり分かっていなかった。
「私が言いたかったのは、パンダイルカでも白黒イルカくまでも
良かったのに、パンダイルカになったのは、そうなるのが必然で・・
つまりこの場合、先に見つかったっていうのが凄く重要ってことなの」彼女の言うことは相変わらずだった。
言っていることは分かるのに、言いたいことは良く分からない。
僕はいつもその話を誤解し、こうして彼女にため息をつかせてしまう。
ため息のつき方が芸術的に上手いのが、
彼女の長所の(長所と言えれば、だが)ひとつだった。彼女はまた外の景色に目を向けたので、
僕は、無駄だとは思うが、一応彼女の言ったことについて考えてみた。パンダイルカがパンダイルカと命名されたのは、
パンダイルカよりも先にパンダが見つかっていたからであって、
そこでなによりも重要なのは、
「先に見つかっていた」という事実だということだ。
やっぱり良く分からない。
「止んだわ。出ましょう」
僕らは喫茶店を出て、ブラブラと濡れた路面を歩いた。
さっきまで空を覆っていた厚い雲の隙間から、太陽の光が差し込んでいる。
その光があちこちに残った雨の雫に反射して、
目の前はピカピカと幻想的に光っていた。
そしてその、昼間に星が落ちてきたような歩道を、
彼女が傘を振って歩いていく。
彼女は傘で、地面や壁や標識を叩いて一定のリズムを刻んだ。
そのリズムが、僕にはなにやら楽しげに聞こえて、
「きっと、機嫌が良いんだ」と思った。
「さっきの話の続きだけど」
リズムは続く。
「だから私、神田 遥になってもいいかなって思ったの」
神田は僕の苗字、遥は彼女の名前だ。
「結構今の苗字気に入っているんだけど、
修平の方が1つ年上だし、しょうがないかなって」僕は思わず立ち止まりそうになったが、
傘のリズムに引っ張られるようにして次の足を運んだ。
ようやく彼女の言いたかったことが分かった気がした。一つ年上の僕がパンダで彼女がイルカ。
パンダイルカ。神田遥。
駄洒落みたいだ。こんな言い訳みたいなことを、一体いつから考えていたのだろう。
喫茶店に入ったときから。2週間前から。
それとも3年前、初めてプロポーズしたときから。
彼女は相変わらず、ご機嫌で傘を振り回す。
彼女に、彼女の後ろ姿を見せられないことを僕は残念に思った。
きれいだった。彼女も。この道も。「いい匂いね。パンダさん♪」
彼女は一瞬振り返ってそう言った。
「そうだね」
イルカさん。と口に出さずに言った。僕らは出会って、まだ6年しか経っていないし、
彼女の言うことの、6割も理解することが出来ない。
この先、あの芸術的なため息を何度聞くことだろう。
でもそれでもいい。
僕は彼女が好きだし、僕らは二人とも金木犀の匂いが大好きなのだ。
それで充分だ。
金木犀の香りとこの傘のリズムと、それ以上何が必要だろうか。
彼女の傘が小さな虹を作っているのを見ながら、
僕はそんなことを思い、いつまでも続くリズムに二人の未来を重ねていた。
《おわり》
comment
パンダイルカは、どうしてイルカパンダじゃいけなかったのだろう?
この疑問から出来た物語です。
なんででしょう?結局分かりませんでした。
なお、この物語は夫婦同姓を訴えたものではありません。
Story & comment by ちょこふれーく