「樹の守人」   ひなた





湖の真ん中にひっそりと立つ一本の樹。
その樹からは柔らかい幾つもの色の光が放たれて、湖面を照らしている。
穏やかな風が湖面を揺らし、
樹を撫でていく。

しばらくして、白い小舟が音も立てず、静かにその樹の近くまで寄って来た。
こいでいるのは、白い服を着た一人の男。
その男は、樹のすぐ近くまで来ると、手に持っていたオールを置き、深くかぶっていた白い帽子をついっと上げた。
樹を見上げ、にこりと笑う。

「こんにちは。ひさしぶりだね、元気だったかい?」

樹はさわさわと揺れる。

「そうか、それは良かった。最初、君がここに決めた時、皆驚いたれど、……うん。ここは随分良い所だね。君にとても良く合っている」

「ふふ。さて、仕事をさせてもらおうかな。話は後でゆっくりしよう。失礼するよ」

男はもう一度オールに手をかけ、静かに小舟をこいだ。
そして、さらに樹に近づくと、その幹に触れる。

そっと。
そっと。

「ああ、相変わらず気持ちがいいね。君のオーラは。触れているだけで、とても心があたたかくなるよ。安心する。……うん、大丈夫だね。とても調子がいいみたいだ」

そう言って、男はぽんと幹を叩くと、再び小舟をこぎ、樹から少し離れた。
樹の全てを見ることができるように。
きらきらと光を放つ樹。
うすももに染まる世界。
男はうんと頷き、目を細めて笑った。
そして、舟の中に置いてあった一冊の古い本とペンを取り、何かを書き始める。

「君は、異常もなく、すこぶる健康っと。他に何か困ったこととかないかい?寂しくはないかい?」

「あはははは。そうか、そうだね。ここには山に住む小鳥達や、湖に住む魚達がいる。遊びに来てくれるから平気か。ん?ただ?」

「……そうか、それはつらいね」

男は呟くと、ぱたりと持っていた本を閉じた。
そして、ふうっと溜息をつく。

「うん。他の樹達も言ってたよ。この世界は今どうなってるのかって。オーラを幾ら放っても、すぐ消えてしまうって。君もそうなんだね」


「今、世界ではいろんなことが起こっているよ。悲しいことやつらいことが絶え間なくね。どうしてだろうね、ヒトは立ち止まって振り返ることをしないんだ」

「もう少し、ヒトに心の余裕があればいいのに。遠くから近くから聞こえてくる君達の声に耳をかたむける、そんな余裕があれば、ヒトはもっと生きやすくなるだろうに」

そう言いながら俯いてしまった男に、樹が話しかけた。
男はゆっくりと顔を上げ、その言葉に耳をかたむける。

「……そうか、君はそれでも信じてるんだね。ヒトを信じていくんだね」


「ありがとう」


一瞬、強い風が吹いた。葉が重なる音が大きく鳴り、樹からまた強い光が放たれ、散った。
それは霧雨のように、静かに男のもとへと降り注ぐ。
あたたかな光。
心にゆっくりと染み込んでいく。

「はは。なぐさめてくれるのかい?だめだなぁ、守人が元気づけられてどうするんだろう。ぼくが君を元気づけなきゃいけないのにね。……さて、じめじめした話はこれで終わりだ。何を話そうか?ハープでもいいよ。以前、君に下手くそだと笑われたけれど、結構、上達したよ。聞いてくれるかい?」

「仕方がないから、聞いてあげるって?失礼だなぁ。でも、いいよ。驚いちゃだめだよ」


しばらくして、揺るやかなハープの音があたりに響き始めた。
樹は気持ち良さそうに、また穏やかな光を散らす。
しあわせな音と、
しあわせな光に包まれて、
世界は輝いていた。
とても優しく、
そして美しく。


終わり

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「木と小舟」
by 村田 收様


11月に、クプカでお世話になっている村田收様の個展が倉敷でありました。
その時に出会ったこの作品がどうしても忘れられず、お話を書いてしまいました。

あらゆる命の為にオーラを放ち続けている樹と、それを見守る守人の話。
普通の樹は、森の中にひっそりといるのですが、この樹だけは変わりもので、この湖を物凄く気に入り他の守人の反対を押し切り、強引にここに住み着いたという設定が密かにあります。

この樹には、どんなに人がひどいことをしても許してくれる、そんな大きな包容力と 優しさを持っている、そんなイメージがあります。





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