「月と桜とサトばあちゃん」   ひなた



桜が咲いて、春が来て。
私はひとり、屋根の上に登ってた。
今夜は満月。
空にはぽっかりお月さん。
「いい月だなあ」
思わず、手を伸ばしてしまう。
きらきらと、柔らかな光を放つお月さんが、あんまりきれいで。
きれいすぎて。
つらいなあ。
溜息ひとつ、こぼれて落ちた。


今日、社長とケンカした。
商品が入ってこなくて、お客さんに怒られた。
ついで、電柱に車ぶつけて、へこませた。
なんか、そういうのが重なって。
むちゃくちゃ、落ち込んでいたのだ。

下では、花見だ。桜だ。お酒だと、にぎやかな声。
「なんで、私、こんなところにひとりでいるんかなあ」
なんだか、さみしくなってきた。
見上げれば、澄んだ月。
あんたも、ひとりぼっち?
「あーあ。月でも落ちてこんかなあ」
そうすれば、このどうしようもないイライラも、全部すっ飛んじゃうのに。

私は月をにらんだ。
落ちろ。
落ちろ。
落ちてこーい!

すると……。

「あー。今夜の月はカクベツ、いい月だねえ」
後ろから、のんきな声が聞こえてきた。
あわてて振り返ると、にこにこと笑っている、ご老人がひとり。
「サトばあちゃん!」
「こーんないい月を、ひとりじめしようなんて、けいちゃん、だめじゃないか」
ふふふふふ。楽しそうに笑ってる。
「危ないよ、ばあちゃん。落っこっちゃうよ!」
「しつれいだね。そこまで、もうろくしてないよ」
よっこらしょっと。
ふっくらした体をゆすりながら、サトばあちゃんも、私のすぐ横に座った。
そして、細い目をさらに細めて、まぶしそうに月を見る。
「ほんとに、いい月だよ」
「そお?」
私は、思わず、怒ったようにいってしまった。
サトばあちゃんは、目をまあるくした。ちょっと、びっくりしたみたいだった。
「なんだい。なんだい。そんな、怖い顔して。お月さん、びっくりして落っこちてくるじゃないか」
「のぞむところよ」
ポツリ。私は、つぶやいた。
そういえば、小さい頃、憧れてたっけ。
月が落ちてくる。
私のところへ。

ほおづえついて、むすっと月を見つめる私に、サトばあちゃんは呆れたようにいった。
「あんた、あれがほしいのかい?」
サトばあちゃんは、月を指す。
「うん」
きっぱりと言い切る私に、
「だからって、そんな怖い顔したって、落ちてきやしないよ」
「んじゃ、泣こっか?」
「……」
「笑ったら?」
ガハハハハハ。
大笑いする私に、サトばあちゃんは盛大な溜息をつき、一言。
「アンタ、バカかい?」
どうせ、バカだよ。

すねる私に、サトばあちゃんは、もう一度、溜息をついた。
「そういや、昔、あんたみたいな子どもがいたねえ。月がほしい、ほしいって泣き続けて……」
「泣き続けて?」
サトばあちゃんは、首をふった。そして、ぽつりと言ったんだ。
「なんで、あんたも、あの子もほしがるんだろうねえ。月はあそこにあるから、月なのにねえ」
悲しそうに月を見つめるサトばあちゃん。
私もつられて月を見た。
そうだね。
あの遠い夜空にあるから、月は月なわけで。
私のとこなんかに落ちてきちゃったら、月じゃなくなっちゃう。
でも……。

「違うよ」
「ん?」
「本当にほしかったのは、あの月じゃないよ。その子もきっとわかってた」
ほんとに、ほんとに、ほしかったのは。
あの夜空に輝く月じゃなくて。
私だけの月。
私だけに輝くお月さん。
それさえあれば、誰にも負けない、私だけのスペシャルなもの。

「でも、見つからないんだ」
私は、ひざをかかえた。
うずくまって、顔をふせる。
ずっと、ずっと。
一生懸命、探しているのに。
光さえも見つからない。
どこにあるんだろう?
いつになったら見つかるんだろう?
私の月。
それとも。
もう、消えてしまったのかなあ?
どこにもないのかなあ。

「……あるよ」
「え?」
顔を上げる私に、サトばあちゃんは笑った。
「だいじょうぶじゃよ。けいちゃんのお月さんは、ちゃんとある。今宵のお星さんのように」
おごそかに。
空を指差す、サトばあちゃん。
つられて、私も空を見上げた。
たしかに、今日の夜空は月の光がまぶしくて、星が一個も見えない。
けど……。
星はいつだって空にある。
たとえ、まぶしい月の光で見えなくなっても。
ちゃんと、存在するんだ。

「けいちゃんに見つけてもらうために、ちゃんと待っとるよ」
「うん」
「あせるこたあない。けいちゃんがあきらめなきゃ、お月さんはずーっといてくれるさ」
「うん」
「だいじょうぶじゃよ。……な?」
サトばあちゃんは、ふわっと笑った。
まあるい笑顔。やさしい笑顔。
安心するなあ。

私はもう一度、月を見た。
あいかわらず、冷たくてきれいな月だけど。
私は泣いてるだけの子どもじゃない。
手をのばして、つかむことだってできるんだ。
いつか、いつか、手に入れてやるさ。
私だけのお月さん。

「よーっし!」
なんだか元気が出てきたぞ。
いきごむ私に、
「やーっと、笑ったねえ。けいちゃんは、そうでなくっちゃいけないよ」
うん、うん。うなづく、サトばあちゃん。
もしかして、落ち込んでたの知ってた?
目で尋ねた私に、サトばあちゃんは、さも得意そうに笑ったさ。
「私に知らないことなんて、なーんにもないんだよ」
ってね。

「さて、けいちゃんも元気になったこったし。そろそろ、お月さんをいただきますか」
と、突然、立ち上がるサトばあちゃん。
お月さんをいただくって?
どういうこと? 
ついていけなくって、あわてる私に、
「とろとろすんじゃないよ。月見といったら、酒。酒に決まってるじゃないか」
「さ、さけ?」
燃えてるよ。ばあちゃん。

クス。
クスクスクス。
うれしそうに、酒、酒、いってるサトばあちゃんが、なんだか、かわいくって、おもしろくって。
ついつい、私ものっちゃったさ。
「辛口の、いい地酒がありますぜ」
「うむ。すぐ、持ってくるよーに」
「はーい!」
ぴしっと、敬礼ひとつ残して屋根を降りようとする私に、サトばあちゃんは、こっそりいった。
「それと、桜の花びらを数枚持ってきておくれ」
桜の花びら?何にするんだろう。


とくとくとく……。
白いおちょこに、透明な酒が注がれていく。
サトばあちゃんは、桜の花びらを1枚、その中に入れた。
「桜酒だよ。春を祝う酒だ」
「へえ」
ふわりと浮かぶ花びらと。
ぽかりとうつる、月、ひとつ。
「まあ、けいちゃんには、こんくらいの月がちょーどいいさね」

小さな、小さな、おちょこの中で。
ゆらゆらゆれる、春の月。
不安定で。
あやふやで。
でも。

「月は月だから、これでいいや」
にっこり笑う私に、サトばあちゃんはうなづいた。

「それでは。それでは。いただきましょう」


かちんとひとつ、おちょこが鳴って。

月が、ふふふと、笑いましたとさ。


おわり



<コメント>

「だいじょうぶじゃ。あんたは、あんたのままでえぇ」
就職したての頃、落ち込む私に、ばあちゃんが言ってくれました。
その言葉と笑顔に、ひどく安心したのを覚えています。……そして、今も。





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