「忘れないで」   ひなた



桜が散って。
さつきが咲いた。
目に眩しい新緑が生まれて、新しい季節がやって来た。
私の好きな季節だ。
道縁に茂る緑を、会社へと向かう車の窓から何気に眺めていた。
なんでだろうね?
こんな生きのいい緑たちを見ていると、お腹の底から力が湧いてくるような気がするのは。
頑張らないとなぁ。
信号が青に変わり、前の車が動き始める。
私は正面を見直すと、アクセルをゆっくりと踏んだ。


「たーだいまぁー」
今日も一日お疲れ様。
家に帰ると、取り合えず台所に向かった。そして、冷蔵庫を空け、取り出すものは1本のビール。
空きっ腹に飲むのは、あんまりよくないのだけれど。
でも、やめられないよね。
プシュッ。プルトップを引く。心地よい音。缶のまま口をつけ、ごくりと喉を鳴らした。
おいしいなぁ。
単純だけど、つかの間の至福の時。
もう一口と、缶に口をつけていると、お風呂から出たばかりなのだろう。顔を赤くして、濡れた髪をごしごしとバスタオルで拭いている母が、ちょこんと顔を出した。
「あら。お帰り」
「うん」
ビールを飲みながら、テーブルの上に残っていた冷えた唐揚げを摘んでいる私に、母は少し嫌そうな顔をしたが、諦めたように溜息を一つ吐いた。
若い娘が。何て思っているのかもしれない。
「ちゃんと、食べるよ」
「そうしな。体に悪いよ」
と言って、母は冷蔵庫から野菜サラダを取り出した。
これも食べろってことだろう。
はいはい。
そう呟やくと、母は、ほれとサラダを手渡した。
それを受け取り、近くにあった青じそのドレッシングをかけた。いつもより少し多めに。
母はよしと頷く。そして、9時から始まる大好きな2時間のサスペンスドラマを見るのか、いそいそと台所を出ようとした。
やれやれ。
溜息を吐きつつ、お箸でサラダを突付いた。その時、母がくるりと振り返る。
「何?」
尋ねると、母は少しだけ肩を竦めて言った。
「あんたに手紙が着てたよ」
「え?」
ほら、そこ。
母が指差したテレビの上には、確かに一通の封筒らしきものがのっていた。
珍しい。私にか?
首を傾げ、再び母に目線を戻すと、何やら母はニヤニヤと笑っている。とっても嫌な笑い方。
「何よ」
不機嫌なのをわざと隠そうとしないで、母に尋ねた。しかし、母も負けてはいない。ニンマリ笑って応戦する。
「送り主、女の子だよ」
残念。残念。ケラケラ笑いながら去っていく母に。
「……大きなお世話だ」
呟き、ぐぶりとビールを飲んだ。


最近では、DMや請求書しか送られてこないのに。
何故か送られてきた一通の手紙。
その封筒は、みかん色をしていて。
CDやFDを送るのに使う、クッション封筒というやつだった。
味気ないなぁ。
完璧な事務用封筒に、顔をしかめた。
でも、私の名前と、住所を書いた文字は、すっきりとした女文字で。
どこかで見たことのある、そんな綺麗な文字だった。
その封筒を持ち上げ、じっくりと観察した。軽く振ってみたりもした。
でも。
とても軽いだけで、音すらしやしない。
とうとう諦めて、くるりと封筒を後ろにひっくり返した。
そして、送り主を確かめる。
えーと……。

「高坂 夏子」
ナツコさん。大学時代の友人だった。

「よーいせっと」
どさりとベットの上に腰を下ろす。
風呂上りの髪をバスタオルで拭きつつ、本日2本目のビールを飲んだ。
机の上に置いた、ナツコさんからの手紙を眺めながら。
見覚えのあるはずだよ。この字。
大学時代、何度お世話になったことか。
ふっと溜息を吐いた。
私とナツコさんは、お互い筆不精で、大学を卒業してから随分と経つけど、一度も手紙を出し合ったことがない。
電話もメールも年に数回といった感じで。でも、不満に思ったことはなかった。
便りがないのは良い証拠。
そんな感じで、まあ、元気にやってるんだろう。くらいにしか思ってなかった。
なのに。
「何かあったのかな」
手紙なんて、本当に珍しい。
少しだけ不安になりながら、私は、はさみでその封を切った。

しばしの間。
封筒の中身を見つめてしまった。でも、そのままじゃ埒があかないので、パッキンとパッキンの間に挟まれていた「それ」を、すいっと取り出してみた。
そして、他に何も入っていないか、もう一度、覗き込むように封筒の中を見渡し、更に、切り口を下にし、何か落ちて来ないかと、封筒を振ってみた。が。
何も出て来ない。
今日何度目かの溜息を吐き、手にしていたその封筒を机の上に置いた。そして、取り出した「それ」をしげしげと見る。
しかし、見れども、見れども、これはただの。
「色鉛筆、なんですけど?」
ナツコさーん。
泣きそうになりながら、がくりと肩を落としてしまった。


それは、綺麗な色をした水色の色鉛筆で。
くるくると回してみたり。
ぐしゃぐしゃと落書きしてみたり。
いろんなことをしてみたけれど。
「どう見たって、ただの色鉛筆だよねぇ」
わからん。
ナツコさんの考えていること、さっぱりわからん。
「うーん。なぞだわ」
半ば自棄になりながら、じっと、その色鉛筆を睨み付けた。
水色の色鉛筆。
優しくて温かみのある、水の色。……懐かしい色。
そして、ふと気付く。
そうだ。
この色は、ナツコさんの色なんだ。

ナツコさんは、私と同じ夏生まれで。(だから、夏子って言うの。単純でしょ、うちの親。そう言って、ナツコさんはけらりと笑っていたっけ。)
そのせいかどうかわからないが、青色、特に淡い水色が好きで、よくこんな色の服を着ていた。
細身で、眼鏡を掛けてて。サバサバしてて、一見きつそうだけど、本当は心根の温かな女の子だった。
「ばかばかりやったよね」
どさりとベットに沈み込むと、その色鉛筆を目の上に翳してみた。
懐かしい彼女との思い出が、どんどん溢れてくる。

お互いB型のマイペース人間で、他人と上手くあわせることができなくて。その為、いつの間にか、二人でいることが多くなった。
ベッタリというわけでもなく。
程よく、居心地のよい距離で。
高校時代の友人とは少し違う、そんな不思議な関係だった。
「そう言えば、お酒の飲み方を教えてくれたのも、ナツコさんだったっけ」
ナツコさんは一人暮らしだったので、よくお酒を持ち込んでは飲み合った。
笑ったり。
泣いたり。
怒ったり。
みっともないとこ、全部見せても平気だった。
社会に出ると、そんな人にはなかなか出会えなくて。

私は、パタリと手を下ろした。
ゆっくりと目を閉じる。
出てくるのは重い溜息ばかりで。
疲れたなー。ぽつりと思う。
仕事のことや何やらで、悩みがたくさんあって。
身動きできないまま、現状維持。
大声で笑ったのなんて、いつだっけ?
脇目も振らず泣いたのは?
あの頃と、何が変わったって言うんだろう?

「あー、だめだ。だめ」
思いっきり首を振り、体を起こした。
そして、握られたままだった色鉛筆を見、語り掛ける。
ねぇ、ナツコさん。
今の私を見て、あんたはどう思う?
頑張ってるねって言ってくれる?
それとも、
「うじうじしてるところなんて、ちっとも変わってないじゃない」
しっかりしろ!
って、怒ってくれるかな?
想像できてしまって、少し笑った。
「あー、何だか声が聞きたくなっちゃったよ」
大学を卒業してから、随分と会ってない。
お互い筆不精の上、電話、メール嫌いだから、仕方がないのだけれど。
でも。
声が聞きたい。
バックに入ったままの携帯を取ろうとして、色鉛筆を机の上に置いた。
だが、気をつけて置いたつもりだったのに、その色鉛筆はころころと机の端へと転げていく。
落ちる。
慌てて色鉛筆を手で抑え、止めた。そして、その手をふっと上げると、銀色の文字で何か書かれているのを見つけた。
どうやら色の名前のようだ。
「そういや、この色鉛筆の色、知らなかったな」
何て色なんだろう。英語で書かれたその文字を読んでいった。

F ・ o ・ r ……

バックを取りに行った。中から携帯を取り出し、ナツコさんの番号を探し、掛ける。
無機質な呼び出し音。6回鳴って、止まった。
『はい』
どんな顔して送ってきたんだろう。
受話器から聞こえる声は、あの頃と全然変わってなくて、少し安心した。
「色鉛筆、届いたよ」
『うん』
「忘れるわけ、ないからさ」
『うん。ごめん』

それから。
私達は取り留めのない話をたくさんした。
新しく始めたこと。お気に入りのCD、本。最近見た映画。……そして、仕事のこと。

『ばか』
「ナツコさーん」
『上の人って、みんなそうでしょうが。いちいち気にしてたら身が持たないよ。ばかみるだけ』
「それはそうだけど」
『もー、うじうじ悩んでたら、またどつぼにはまるよ。ただでさえ、落ち込みやすいのに』
「う、うん」
『しっかし、あんたも変わらないね。そんなとこ』
「変わってない?」
『そ。余計なことを考えすぎて、一人で落ち込んじゃうとこ』
「ナツコさんもね。そんな風にずけずけ言うとこ、全然変わってないよね!」
『そう?』
「そんで、肝心なことはちっとも言えないの。何かあったんでしょ?」
『わかった?』
「わかるよ。あんな意味深な色鉛筆送ってくるんだもの」
『はは。そっか。えーとね……今度ね』
「うん?」
『結婚、することになってさ』
「!」
『何かね。結婚できちゃうみたい。私』
「こらこら。でも、うん。そっかぁ」
『うん』
「おめでと」
『うん。ありがと』

結婚するんだ。
たったこの一言を告げるのに、随分と面倒くさいことをしたもんだ。
でも、まあ、ナツコさんらしいか。
天邪鬼で、捻くれもの。
そういう所も大好きだった。
そして、今も。
私は、ぴっと携帯を切った。
もう少ししたら、招待状も届くだろう。
ナツコさんが今住んでいる所とは随分と離れている。結婚式に出るには、日帰りは無理だから……ああ、シフトの調整しないとなぁ。
そう思いながらも、にまにまと緩む頬を抑えもせず、私は机の上に携帯を置いた。
横には、ポツンと置かれた色鉛筆。


忘れないよ。
微笑みかける。
どんなに遠くでも。
変わらない私で応援しているから。
忘れないよ。
だから、あなたも。
……忘れないで。


Forget−Me−Not Blue
綺麗な、綺麗な、水色の色鉛筆。


おわり





コメント

Forget−Me−Not Blue 〜勿忘草色〜
初めてこの色鉛筆を見た時、勿忘草色という色のことを知らなかった私は、「なんて意味深な色鉛筆なんだろう」と思いました。そして、出来上がったお話です





 ←クプカ「きら星★」目次へ

  ←「さくら さらさら」とっぷへ


戻る