空の片っぽの半分から

-1979年夏-


written by 美春



 わたしは今でもあの夏の一日を鮮明に思い出すことができる。それは母のおかげだ。母がわたしをそのように育ててくれたから。わたしもそのように育ったから。そうとでも言うしかない。母はただその日をうれしそうにしていた。わたしもうれしかった。そしてあの親切なふたり...わたしは8歳だった。1979年、軽井沢の夏。美しい一日。いつものようにすすんで迷子になったあの日...。



 朝食後、わたしは母に「ワンちゃんと遊んでくる」とウソをついて宿を飛び出していった。避暑地の朝ほど気持ちのいいものはない。山から降りてきた朝霧が辺りを覆っている。わたしは朝霧に紛れこむ。肌寒さが心地よい。思わず身震いする。武者震いといったほうがいいかもしれない。これから冒険に繰り出すのだ。8歳のわたしにとっては見るものすべてが新しい。散歩しないわけにはいかない。朝霧を吸い込む。それは身体の奥深くにまでしみこんでいく。

 風・・。風の匂いにわたしは導かれる。風を感じたらわたしはなににさからってでもそっちになびいてしまう。風の教えに、わたしはしたがう。わたしには風の色が見えるような気がする。その中を妖精たちが踊っている。それはいつまでも変わらない。人はそれを幻想だと言う。しかしこれだけは譲れない。「だって見えるんだもん」それで押し通してきた。なんどか疑ってもみたが、常に風は吹いている。わたしは風に吹かれているのだ。わたしは風のとりこだ。怖れを抱く必要はどこにもない。

 風に身をまかせて、どこまでも歩けばいつか迷子になる。しかし迷子もきわめれば才能だ。他の迷子たちに会う可能性がある。

 (わたしを待っているのは誰だろう)

 わたしはそれを感じていた。

 (今日はいい天気になりそうだ)

 わたしはウキウキしていつものように歌を口づさみながら、歩いていた。

 「お〜かの〜う〜えに〜かみを〜ひろげて〜ねころんで〜ゆめを〜み〜て〜♪ 」

 1時間後にはしっかりと迷子になっていた。どこにいるのかわからない。朝霧は光の海になっている。とてもまぶしい。目を細める。光のカーテンに包まれる。そのカーテンを開いた影があった。それがガイジンさんだった。 

 クシャクシャのシャツにはき古したジーンズ、麦わらぼうしをかぶり、眼鏡にお髭、雪駄を履いたガイジンさん。ガイジンさんなのに、この軽井沢の風景に見事に溶け込んでいる。そこらのあんちゃんみたいにありふれた物腰が涼しげで、そして粋だ。そして、彼が乗っていたのはただのミニサイクル。白馬じゃないところがステキだ。かたわらには日本人女性が連れ添っている。彼女もまたミニサイクルに乗っている。ガイジンさんはミニサイクルを止めてこぼれるような笑顔でわたしに話しかけてきた。

 「ドウシマシタカ?」とガイジンさんは言う。

 「迷子になりました」

 「マイゴ?・・ゴメンナサイ。ワカリマセン。」

 ガイジンさんは日本人女性の方をふり向いた。腰まである黒髪はしなやかで美しく、神秘的だった。しかしその美しさとは対照的に、その微笑みは飾り気がなくて愛らしく、少女のようだった(わたしは8歳だったが)。大きなエクボが彼女の顔に広がると幸せな気持ちになる。彼女はガイジンさんに一言英語でつぶやいて、「いっしょにいらっしゃい」と言った。わたしはふたりについていった。

 「知らない人についていってはいけません」と世の中の多くの母親が言うが、わたしは8歳なりに「知らぬ間に家を出て、はじめて君を知る」という哲学を持っていた。もちろんこの言葉は後で知った。誰の言葉だったかは忘れてしまったけども。家を出ないと家に帰れない。そういうふうに心の底で思っていた。それは子供にとって危険なことだったかもしれないが、幸運なことにわたしには観察眼が備わっていたのだろう。もちろん今の今まで、わたしは危険をすりぬけてきた。

 3人で入った喫茶店は木の匂いがした。行きつけの店らしい。気品のある、年配の夫婦がカウンターにはいた。ガイジンさんが「コンニチハ」と言うとカウンターのふたりもうれしそうに「いらっしゃいませ」と言う。

 「ゴキゲンイカガデスカ」

 「わたしも家内も元気です」

 「イイ テンキ デス」

 「はい」

 「キノウ アメガフリマシタ」

 彼女はふたりに会釈し、ガイジンさんの目指すいつもの席に向かった。わたしはちょっと照れていた。喫茶店に入るのははじめてだったからである。



 店内は明るすぎず、暗すぎず、細部がかすかにぼやけるほどだった。落ち着いて食事するにはほどよい均衡を保っていた。その涼しげな雰囲気はわたしを虜にした。奥の席につく。遠くから鳴っている音楽が店の静けさを際立たせる。見るものすべてが新しい、人も、物も。わたしはキョロキョロしていた。 

 ガイジンさんは言った。

 「タベタイデスカ?」

 「プリンが食べたいです」とわたしは言った。

 「プリンガタベタイデス?」とガイジンさんは繰り返した。そして「ワタシハ、ニホンゴヲ、スコシベンキョウシテイマス。デモ、プリン、ワカリマセン」と肩をすくめてみせた。わたしはガイジンさんのおどけた仕草がおかしくて笑った。まだ8歳だったわたしが言うのも変だが、ガイジンさんはとてもかわいらしかった。

 「ワタシハ、コウチャ・・ニ・・シマス」とガイジンさんは言う。

 彼女はわたしの期待に答えてプリンを注文してくれた。プリンが運ばれてきたとき、ガイジンさんは”Oh,girl,itユs a custard pudding”と言った。わたしは外人さんの英語をリズムで覚えていて、後にその意味を知ったのだ。だからひとことひとこと、かなり正確に覚えている。でもガイジンさんは彼女に話す以外は、ほとんどわたしに英語を使わなかった。

 わたしはすっかりリラックスして、お互いに自己紹介した。

 「ワタシハ、ガイジン、デス」

 「わたしは、ゴジラです」

 ガイジンさんは鼻をフフンと鳴らし、わたしも真似をした。ふたりとも得意げにいばっていた。彼女は吹き出して「わたしはドラゴンママよ」と言った。

 ふたりといろいろお話しをした。わたしは8歳の会話しかできなかったが、ふたりは一生懸命わたしの話しを聞いてくれた。小学校がどんなに退屈か、「不思議の国のアリス」がどんなにわたしを魅了したか、迷子になることがどんなに魅力的な体験か、ふたりは笑いながら聞いていた。もう一度言うけど、彼女の両頬に浮かぶエクボはとてもかわいらしい(わたしは8歳だ)。話しているあいだ、彼女は何度か席を立ち電話をかけに行った。わたしは宿の名前を彼女に話したので、わたしのことを問い合わせているのだろう。(ま、怒られてもいいわ。こんなすてきなことがあったのだから)とわたしは思っていた。30分くらいしてわたしは電話口に呼ばれた。

 母の声だった。

 「ねえ、ユカ。お願いがあるの。今日はおじちゃまに遊んでもらいなさい」

 正直言ってわたしは驚いた。母は絶対怒っていると思ったからだ。ホテルから抜け出し、あたりをフラフラ散歩し、迷子になってしまったわたしを...。あまりにもたわけた才能。母親を困らせるケタはずれの才能。わたしは神奈川県に住んでいたが、浦和で保護された。逃走ルートはわたし自身にも不明だ。あるときはとなりの女の子をかどわかし、トラックの荷台に乗り込み、九州までふたりで行った。女の子の母親は怒り狂い、その後二か月間彼女と遊ぶことを禁止された。今、振り返っても驚異的な子供だったと思う。我ながらそう思う。しかし、迷子になるときまって楽しいことがあったのは確かだ。だから迷子になる。そして怒られる。でも楽しいからやめられない。母になんど心配をかけ、そしてなんど怒られただろう。でもわたしの域にまで達すると、母もあきれはてて、笑うしかなかった。九州の一件ではそうだった。でもその日は違っていた。

 「おじちゃまがずっといっしょだから、遠慮なく遊んでいらっしゃい。ママはおばちゃまと遊ぶことにするから。わかったわね。じゃ、おばちゃまにかわって」

 ガイジンさんの方を向くと、ガイジンさんはゴジラの真似をした。わたしは少々不安だった。なぜならガイジンさんはほとんど日本語ができない。わたしはたくさん本を読んでいる。漢字をたくさん知っている。”韻”という字さえ書ける天才少女だ。日本語にかけてはかなり自信があるのだ。ふたりの間にはかなりの差がある。しかもわたしは九州までトラックで行ったスーパーガールなのだ。大人と子供だ。そうだ、日本語をたくさん教えてあげよう。

 それが8歳のわたしが出した結論だった。あまり子供らしい発想ではなかったかもしれない。わたしはかわいくない子供なのだ。

 喫茶店の奥さんが大きな包みをガイジンさんに渡した。お弁当のようだった。彼女から頼まれたのだろう。

 「楽しんでらっしゃい」

 彼女はそう言ってわたしたちを見送った。

 わたしはガイジンさんのミニサイクルの後ろにまたがった。

 ガイジンさんとの短い旅がはじまる。



 「ゴジラ サン」

 ガイジンさんはゲラゲラ笑った。わたしも負けじと言った。

 「はい、なんですか。クソじじい」

 「?」

 「わたしの名前はユカです。ガイジンさん」

 「ワタシハ クソジジイデス、ユカサン」

 ガイジンさんはなおも攻撃をしかける。

 「クソジジイ、クソジジイ、クソジジイ」

 わたしは笑い転げた。ガイジンさんの発音は面白すぎる。

 「ユカサン」

 「はい」

 「アブナイデス」

 ガイジンさんは後ろ手にわたしの手をとり、ガイジンさんの腰にあてた。わたしはしっかりとつかまった。

 「ダイジョウブ」

 「うん」

 自転車は風を切って走っていく。わたしの髪が風になびく。ガイジンさんの腰にしっかりとつかまり、草原道を走っていく。周りではお花たちが咲き乱れている。ガイジンさんの自転車が通りすぎると、お花たちは挨拶代わりに、つぼみを開いていくようだった。わたしたちはその中を流れていた。すい〜すい〜っと。

 おもむろにガイジンさんは言う。

 「ウタッテクダサイ」

 「え?」

 「ウタ・・オカノウエニカミヲヒロゲテ・・?」

 「はい、わかりました」

 「緑が〜空の青さに輝いて〜白いカーテンと〜同じ色になっても〜♪♪♪」

 ガイジンさんは首を左右に振って、リズムをとっていた。

 「イヤッハー」

 歌の合間にはさむガイジンさんのかけごえはとても新鮮だった。歌っているわたしも気もちいい。歌い終えると、ガイジンさんはわたしをふりかえり、言った。

 「ググーグ、ジューブ」

 意味はわからなかったが、ガイジンさんの笑顔が物語っていた。わたしの歌は合格だったのだ。

 ガイジンさんはもっと歌うよう促したが、わたしはちょっとだけ考えた。わたしだけじゃなくて、いっしょに歌ったほうが楽しい。けども相手はガイジンさん。わたしの言葉がカラキシできないときてる。困ったもんだ。だから簡単な歌がいいな、と思った。わたしは、身振り手ぶりでいっしょに歌おうと言った。(わたしが先に歌うから、ガイジンさんは後からついてきて)

 誰でも知っている簡単な輪唱だ。

 「カエルの歌が〜」

 「カエルノウタガ〜」

 「きこえてくるよ〜」

 「キコエテクルヨ〜」

 「グエ、グエ、グエ、グエ」

 「グエッヘイ グエッヘイ グエッヘイ グエッヘイ」

 「ゲゲゲゲ ゲゲゲゲ グワッグワッグワッ」

 「ゲゲゲゲ ゲゲゲゲ グワッグワッグワッハーイ」 

 ガイジンさんは下手だった。はてしなく音痴だった。ま、ガイジンさんは外人で日本の歌なんだからしょうがない。でもカエルの鳴き声はリアルだった。ゴジラの真似のときもひそかに感心したものだが、ガイジンさんはそういうのがうまかった。極めて馬鹿げたわめき声が得意だったのだ。

 林道にさしかかり、わたしたちは自転車をわき道に置いて、歩き始めた。見上げるとおひさまは微笑み、空は海のように青々としていて、雲が平泳ぎをしている。風は静かに波を打ち、空の浜辺を小鳥たちがアーチをかけている。わたしたちはその中を歩いていく。

 

 「ガイジンさんは日本に住んでいますか?」

 「ワタシハ、オシノビ、デス」

 (オシノビ・・それはいったいどこだ。)

 ガイジンさんは笑った。

 「アメリカ ニ スンデイマス」

 「そうですか。わたしは下町に住んでいます」

 「シタマチ...アサクサ」

 (浅草のことだろうか。わたしはよくわからなかった)

 「ウタエモン」

 (なおさら、わからない)だからわたしは 

 「ドラエモン、わたしはドラエモンです」と言ってごまかした。ガイジンさんもうなずいた。わかったようなわからなかったような、お互いに首をかしげあいながら、ニコニコしあいながら歩いていた。そして、ガイジンさんは足を踏み外してスッテンコロリンした。(やれやれ、おかしなガイジンさん)。シリモチをついたガイジンさんはにが笑いする。わたしは手を貸してあげて、お尻についたドロをパンパンはたいてあげた。

 林道の途中、お地蔵さまと出会った。

 お地蔵さまは、静かな顔をしている。雨の日も、風の日も、ここにたたずんでいる。そして旅人の心を癒してくれる。わたしはそれを知っていた。

 ガイジンさんは言った。

 「タビビト ノ ココロ」

 ガイジンさんの「タビビトノ ココロ」という言葉の響きは素敵だった。どこから声を出しているのだろうと思うほどにわたしの心に響いた。

 (お地蔵さまってこんな声をしてるのかな)

 余韻がさめないうちにガイジンさんはわたしの耳元にささやいた。

 「マイゴノ マイゴノ コネコチャン アナタノ オウチハ ドコデスカ」

 なぜか涙が出てきてしまった。

 「わかりません」と涙声で言った。

 ガイジンさんはちょっとびっくりしたようだった。ウケねらいが見事にはずれて、わたしは胸がいっぱいになっていた。

 「ゴメンナサイ」

 「犬のおまわりさん」

 わたしは気を取り直してガイジンさんに微笑み返した。

 ガイジンさんもほっと胸をなでおろしたようだった。

 ガイジンさんがお父さんのように見えた。

 ガイジンさんはわたしを池の方に案内してくれた。

 「アメンボ デス」

 アメンボがスイスイと水面をスケートをしている。わたしはアメンボを見たのははじめてだった。ガイジンさんはかがみこみ、指でアメンボたちをつっついた。

 「カンケリ デス」

 「缶蹴りです」

 わたしもしゃがんで、アメンボたちをつっついてみた。サーっとすべっていく。まるで忍者みたいに軽やかな動きだ。

 「タノシイ デスカ?」

 「楽しいです」

 「オナカ スキマシタカ」

 「はい、すきました」

 「オベント タベマスカ?」

 「お弁当、食べます」

 池のほとりで、ガイジンさんはビニールシートをマントのようにひるがえし、まだ湿っている地面に広げた。わたしたちはそこに腰を降ろした。

 ガイジンさんが包みを開けると、銀紙でくるまれたおにぎりが6つ。銀紙には「おかか」「梅干し」「しゃけ」という紙がふたつずつ貼ってある。お茶目だ。お弁当箱には、たまごやき、ウインナー、キンピラ、春巻、たくさんの山菜、その他。水筒には麦茶。デザートにイチゴとパインとサクランボとウサギのリンゴ。

 盛りだくさんのお弁当をふたりでパクついた。 

 「オイシイデスカ」

 「おいしいです」

 「オムスビ オイシイ」

 「春巻、おいしいです」

 わたしはガイジンさんの口に春巻をひとつ、ほうりこんだ。

 ワイワイ騒ぎながらお弁当の時間が過ぎていった。

 

 昼食後は、丘の上でふたりともぼんやりしていた。わたしはただ大の字になって空を眺めていた。ガイジンさんは煙草をふかし、遠くを見つめていた。ガイジンさんは横から見るとハンサムだ。全然気がつかなかった。わたしはじっと見つめていた。しばらくの間ずっと。ガイジンさんの目に映っているものを、知りたいと思った。

 (ねえ、ガイジンさん。わたしに教えてよ)

 ガイジンさんはわたしを見て、にっこりと微笑んだ。

 「カエリマショウ、ユカサン。ママガ マッテイマス」



 旅館に着くと母がいた。彼女といっしょに坊やもいた。

 母はガイジンさんにていねいにおじぎをする。

 ガイジンさんもていねいにおじぎをする。

 そして母は満面の笑みを浮かべてわたしに言った。

 「おかえり。楽しかった?」

 「うん」

 「どのくらい?」

 「うーん、このくらい」

 わたしは両手をいっぱいに広げた。

 ガイジンさんはそそくさと坊やに寄っていき、言った。

 「ワタシ ノ コドモ デス」

 坊やは3歳で、とても小さい。パパが不在でご機嫌斜めだったらしく、泣きべそをかいていた。淋しかったのだろう。わたしは8歳だ。ふたりのあいだには人生経験に大きな開きがある。お姉さんなのだ。わたしは心をこめて「ごめんなさい」と言った。そしたら彼は目にいっぱいに涙をためながら「オヤツミナタイ」と言った。

 坊やもまたパパに似て、趣きのある日本語の使い手だ。



 夕食をともにすることを約束して一度、宿に帰った。坊やの昼寝の時間なのだ。わたしもちょっと疲れていた。母とともにタクシーで宿に戻り、ぐっすり寝てしまった。

 そのときの夢さえ、わたしは覚えている。ガイジンさんとわたしが紙ひこうきで世界中を旅する夢だ。いろいろな人に「ハロー」とあいさつし、ただ去っていく。紙ひこうきが虹のアーチをかけると、たくさんの人たちが見上げて喜んでいる。海から白いグランドピアノが飛び出してきて、旅の仲間に加わる。やぎさんの形をした雲がピアノを弾いてくれる。わたしたちはトンボの大群と競争する。トンボたちの大きな瞳が輝き、わたしたちはその中にひきこまれていく。そこにはやはり空があり、陸があり、海があり、夢がある。さめないでほしい夢がある。起きた後はしばらく放心状態だった。母はわたしが寝言で「ハロー」を連発していたことを教えてくれた。わたしはちょっと照れくさかった。



 その後わたしたちはみんなで夕食をとった。坊やはすっかり機嫌を直し、みんなのアイドルだった。わたしは父親のいる坊やがちょっとうらやましかった。なぜかと言うと、わたしに父はいない。正確に言うと父と暮らしてはいない。父は母と乳飲み子のわたしを捨てた。だからやさしくて、おかしなパパがうらやましかった。でもそんなことを思っているとき、ガイジンさんはわたしの方を見て、スマイルする。

 (君は大丈夫さ)

 そんなスマイルだった。わたしはどんな顔をしていたのだろう。淋しげな顔、それともせつなげな顔....わたしはちょっとバツが悪かった。

 わたしは家族を捨てた父を恨んだものだったが、後年、その気持ちは愛情にかわっていった。父の暮らしぶりに触れていくうちに、父が懸命に生きていることを知ったからだった。そしてわたしは父と友だちになった。思い起こすと、ガイジンさんのスマイルはそういうものだった。思いやりにあふれていた。すべてのことを慈しむことのできるあたたかな微笑み。あんなスマイルができたらいいな・・そう思った。もちろん今でもそう思う。

 そう、あのときからわたしは”許すこと”を学んでいた。少しずつ学んでいた。

 夕食後、お互いにていねいにあいさつをかわした。素晴しい一日を過ごせたことを心から感謝しあった。わたしはガイジンさんに言った。

 「ガイジンさん、また会えますか?」

 「ワタシハ ユカサン ニ マタ アイニキマス」

 「うん」

 ガイジンさんはニコっと笑って、麦わらぼうしをわたしの頭に乗せた。わたしにはまだちょっと大きかった。

 


 帰り道、辺りは闇に包まれている。でもわたしの心は輝いている。闇の存在が わたしの気持ちをなごませる。虫たちが素敵な一日のことを歌ってお祝いしてくれる。わたしには夜の存在がありがたかった。宿まで小一時間、母とわたしは歩いた。そしてその日の出来事を一つ残らず母に話して聞かせた。母は大喜びだった。わたしのひとことひとことが彼女を狂喜させた。なぜかはわからなかったが、それがわたしはうれしかった。ただただうれしくて話し続けた。

 川べりにさしかかるとホタルがきらめいていた。光の湖が夜をかすかに灯す。母とふたり近づいていって、ホタルの銀河に手をひたす。くすぐったい。母は言った。

 「ねえ、ユカ。ホタルの命はね、1週間か2週間なのよ。ホタルはきらめき、去っていく。この世の中にはね、そんなホタルがたくさんいるの。ひとつひとつ手のひらにとってみて、感じてみなさい。それを感じながらあなたはしあわせになっていく。ママにはそれが今日、わかったわ。これからは好きなだけ迷子になりなさい。つらいことがあっても今日を思い出すの。ただしママにちゃんとことわってからよ。わかったわね」

 「うん」 

 (ママはわたしの放浪癖を認めてくれたようだ。でもまた怒られるだろうな)

 そのときはそんなふうに思っていた。でもわたしの流浪の旅はその日を境に終わりを告げた。少なくとも母を困らせる迷子にはならなかった。行き先を告げて旅立つ迷子になったのだ。

 再び、わたしたちはホタルの大群に魅せられる。それはもう片っぽの星空のようだ。

 (ガイジンさんももう片っぽの空を眺めているのかな)

 そんなふうに想ってると、母はわたしの手を握って微笑んだ。



 その夏のわたしの絵日記にはガイジンさんのことばかり書いてある。全ページ、1979年8月のあの日だ。2学期に入り、絵日記を提出すると、どういうわけか、先生にほめられた。花マルをもらったのだ。ぼんやりと夢見がちで、「不思議の国のアリス」の世界にひきこもり、とっぴょうしもない家出をする情緒不安定な女の子は、変わりつつあった。



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 次の年の12月、小学校から戻ると、母は涙をボロボロこぼしながら玄関で靴を脱いでいるわたしの方へ向かってきた。わたしはただごとではないことを察知した。母はわたしを抱きしめた。母の嗚咽はわたしの身体にも伝わってきた。そんな母はそれまで見たことがなかった。わたしは不安におののきふるえた。でも母を守らなければいけないと思った。だから力の限り母を抱きしめた。その状態のままじっとしていた...。

 

 しばらくすると母は静かに腕をほどいて、息を吸い込み、両の手でわたしの肩を静かに支え、そしてわたしをまっすぐに見た。母はていねいにひとことひとこと、かみしめるように、話してくれた。ガイジンさんが亡くなったことを...。涙があふれでてきた。

   

 ジョン・レノン。

 それが彼の名前だった。

 あれからずいぶんと歳月がながれ、わたしはあのガイジンさんが誰だったのか、だいぶわかるようになった。ガイジンさんは底抜けに明るく、楽しく、でも傷つきやすく、怒れる若者で、強くて、やさしい、カブトムシ号の船長さんだった。 誰も経験したことのない大嵐の中を勇敢に航海してきた英雄だったのだ。でもなによりも....

 素朴な笑顔をした永遠の男の子だった。

 あの日、こぼれるような笑顔でわたしに話しかけてきたガイジンさん。麦わらぼうしに雪駄を履いたガイジンさん。彼の声がいまも聞こえてくる。どこで迷子になってもガイジンさんのことを想えば、そこにある道をたどって、わたしは家に帰りつくことができる。それがどんなに複雑な迷路でも、わたしは家に帰りつくだろう。そして母はあの日のように笑顔で向かえてくれるはずだ。あの麦わらぼうしをかぶったわたしを。





【END】





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これはフィクションですが、わたしが憧れつづけた男の子の物語です。

なんでもないところに宝物は眠っている。それを探すために迷子になる。

それは心の旅。わたしはそう思っています。





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