鼻ちょうちん乞食

作/うるふぱっく



むかし、むかし、ある男がいました。
 そのころの京の都というのは、それはそれは美しいところでした。その都の、にぎやかな橋の下に小屋をさしかけて、男は暮らしていました。男には、しごとがありません。ただ、市場で紙くずやなにかを拾ってきて、そこに、和歌をかきつけて、それを自分のうちのまわりに、たくさんは貼りつけて暮らしていました。この男の使う墨は、またいっぷう変わっています。あちこちの台所から、炭の切れはしをもってきて、ねりあわせて自分で作るのです。男がこんなことをするのも、このころ、本物の紙も墨も、とても高価だったからでした。そして、男は、まいにち歌をよんでばかりいましたから、とても貧乏だったのです。もっているふでといったら、毛が半分ぬけたのが一本きりでした。着ている服もボロボロでした。ところが、1日中歌ばかりのくらしのせいか、貧乏なくせに、おなかだけは丸々と太っていました。

 男は自分のことを「歌詠み(うたよみ)」だと思っていました。そのじつ、あちこちにはってある歌を読んで見ると、これがまた、からきし下手なのです。男の暮らしている橋には、木がいちまいうちつけてあって、
「和歌をお教えします。どなたでもご自由に」
と、きれいな字で書いてありました。この男は、字だけはうまかったのです。ですが、なにしろみんなが、歌はへたくそなのを知っていますし、こんな橋の下に住んでいる汚い男から、優雅な歌を教わろうという人は、ぜんぜん現れませんでした。
 しかし、男はべつに悲しみもせず、お昼になると、のんきに昼寝をしていました。河原の、一番日当たりのいいところに、大の字になって寝るものですから、都じゅうのひとが、そのありさまをしっています。この時代も、警察のようなものはありましたが、今ほどうるさくありませんでした。それより、男があんまりのびのびと寝ているので、みんなは感心し、それがうらやましくもありました。
「どうだい、みてみろ。あの、たいこ腹がぷくり、ぺこりと上下する様子!のんきに昼寝して、あんなくらしがいっぺんしてみたいもんだよ。」
「それよりもあれをごらんなさいよ。なんてみごとな鼻ちょうちんでしょう。どうしたら、あんなばかでかい鼻ちょうちんをふくらますことができるのかしら。」
 じっさい、この男の鼻ちょうちんは、それはみごとなものでした。ぐうぐう寝ている、大きなおなかがぺこんとへこんだと思うと、まるでそのおなかの空気が全部入っているかのような大きな鼻ちょうちんが、ぷくーっとふくらむのです。その大きさときたら、本物のちょうちんに負けないくらいです。おまけに形ときたら、本物のちょうちんよりずっときれいなまんまるで、辺りの景色をうつして、キラキラと輝いていました。
 こんな具合ですから、男はいつのまにか、「鼻ちょうちん乞食」といわれるようになりました。本当は、「歌詠み乞食」と呼ばれたほうが、よっぽどうれしかったのですが、「ぜひもなし」と、男は笑ってそれを聞いていました。

 そんなある日の夜のことです。男が、橋のたもとの小屋にひっこんで、すきま風がはいらないように入り口に板をたて、さあ寝ようと思ったころ、その板を、ほとほと、とたたく人がいます。
「こんな時間に、どうしたのだろう。もしかして、やっとわしから歌を教わりたいという人がでてきたのかしら。」
どろぼうではありません。自分のうちに、ぬすむような物がないことくらい、都じゅうの人が知っています。男は、せっかく立てた板をどかしました。
 すると、そこには、りっぱなえぼしをかぶり、腰にうるしぬりの刀をさした、偉そうな男の人がたっているではありませんか。手には、ぱちぱちとはぜる、たいまつ松明を持っています。
「このおかたは、どうしてわしのところなんかにきたんだろう?もっとも、和歌をよみたがるひとは、どうしたことかお金持ちばかりだ。わしは、べつに貧乏でも全然かまわないと思うんだが・・・」
その人は、あまり親切そうには見えませんでした。その証拠に、たいまつを熱いくらいに近づけて、男の顔をじろじろとながめるのです。男は、やけどはともかく、せまい自分のうちが火事になるのではないかと、やきもきしました。
「おまえが、鼻ちょうちん乞食かね。」
男は、自分がそう呼ばれていることをとっくに知っていましたから、答えました。
「そうですとも。」
「そうか、じつはおまえに頼みたいことがあるのだ。時間がないから、さっそくついてまいれ。」
偉そうな人はそう言うと、さっさと歩き始めました。夜遅くに、あんまり勝手でしたが、男は都ぐらしがながいので、えらい人は勝手だということも、自分のあだなと同じくらいよく知っていました。それに、自分が、えらい人に歌を教えることにでもなったら、こんなすばらしいことはありません。男は、喜んでそのあとをついて行きました。

 松明を持ったえらそうな人は、都の大路小路を、さっさと歩いて行きます。男は、そのあとを、ひたひたとあるいていきました。(男は、はだしでしたから。)やがて、男は、今まで来たこともないようなところに入りこみました。そこは、長い、長い真っ白なへいが、どこまでもどこまでも、まっすぐに続いています。そのところどころには、おおきく、りっぱな門がありました。門の金具が、松明の光をうけて、金色にちかり、と光ったのを見て、男はなんだかこわくなってきました。これはもう、かなりの高貴な人のところに連れて行かれるにちがいありません。
 はたして、そのえらそうな人は、そのなかでもひときわ立派な門のまえで立ち止りました。すると、その人は、とたんにえらくなくなったように、えんりょがちにその門をこつこつとたたきました。
「お探しの男をつれて、ただいまもどりました。」
すると、門がぎいっとひらいて、なかから真っ白な、のりのきいたきものを着た召使たちが、明りを持って、わらわらとでてきました。すると、男を連れてきた人は、その場にひれふします。男は、おどろきました。「えらい」にも、いろいろ程度があるのはしっていましたが、今まで見たなかで一番偉そうな人の、さらに偉い人が出てくるのかと思うと、体がふるえてきました。

 やがて、召使たちのまんなかから、とてもとてもえらそうな人が出てきました。そのきものは、男のわからない織りかたで、金銀がたくさんぬいこまれて、ぜんたいがてかてかとひかっていました。さらに、その人が近づくに連れて、えもいわれぬお香の匂いが、ぷうんとにおってきました。
「これは、みかどともお話ができるような、貴族さまに違いない。」
男は思いました。
 じっさいその人は、右大臣という、とてもえらい身分なのでした。
 貴族さまは、あんまり男に近づきませんでした。手に持ったおうぎをぱらりと開くと、それで鼻をおおって、おっしゃいました。
「これが、鼻たれ乞食か。おお、くさい、くさい。なんというくささじゃ。」
男だけではありません。このころの多くの人が、お香はもちろん、お風呂にも入れませんでしたが、男はむしょうにはずかしくなりました。
「おそれながら、との、鼻たれ乞食ではありません。鼻ちょうちん乞食でございます。」
「とにかく、このままでは屋敷にいれることはできん。汚いのが、若様にうつったら、なんとする。さっさと着替えさせるがよい。」
貴族さまは、それだけ言うと、まるで逃げるようにたちさりました。召使の半分も、それにおくれまいと、はしっていきます。

 さあ、それからが大変でした。なぜといって、召使の残りの半分が、男を両脇からとらまえてかかえあげると、まるでおみこしのように、屋敷のすみにある小屋にはこんでいったのです。そして、男を部屋のまんなかにたたせると、ものすごい勢いで働き始めました。そのありさまがあんまりものすごいので、男は、自分に何をされているかわからず、ただ、白いつむじ風が、自分の周りを、ごうごうとふきあれているようにしか見えませんでした。
 男がはっと気付くと、まるで別の人になったような自分がいました。いつのまにか、髪の毛はくしけずられ、ひげは剃られ、あかはできるかぎり洗いおとされて、(全部は、とてもむりでした。)うつくしいそらいろにそめられた、すいかんをきせられていたのです。とてもりっぱなきものでしたが、男はえらい人になった気はせず、ひどくきゅうくつにおもいました。
「さあ、これで若様のところにつれていけるぞ。」
召使のかしらは、まんぞくしていいました。
 それから、男は、召使のかしらに連れられて、お屋敷の中をずいぶんと歩かされました。いったい、いくつのろうか、部屋をとおりぬけたかわかりません。
 やがて、男は、お屋敷のいちばん奥の、いちばん立派な部屋にとおされました。まんなかには、不思議な、すきとおった布で囲われたところがあります。へやのありさまはごうせいでしたが、なにか、沈みこむような、暗い空気がありました。召使のかしらは、こわい顔をして、しいっ、といいました。
 男がよくよく見ると、透き通るような布のなかに、布団がのべられています。そこには、誰か寝ているのでしょうか?わかりません。布団は、何重も重ねられていて、ほおっておいても、こんもりと盛りあがっているからです。その枕元には、二人の人がいました。一人は、先ほど見た貴族さまです。そして、もう一人は、女の人でした。その人を見て、男はほうっとため息をつきました。女の人は、まるで絵巻物からぬけだしてきたような人でした。美しい色とりどりの着物を何枚も重ねて着ていて、それが、床に美しく広がっているのです。そして、長い髪の毛が、着物の上を、せせらぎのように流れ落ちています。そのお顔は、たいへん美しかったのですが、ひどくかなしげでした。

「つれてまいりました。」
召使のかしらは、男を前に押し出しました。男は危なくつんのめりそうになって、そこにひれ伏しましたが、とてもえらい人の前ですから、それでよかったのです。
「あのう・・・それで、わしに、どういったご用でしょうか?」
「じつは、わが家の若君が、病気にかかっているのだ。薬もいろいろためしたし、えらいお坊さんにきとうもしてもらったが、いっこうによくならないまま、ここで、3年も寝たきりになっている。そのせいか、外の世界の話を色々と聞きたがってな。せがまれるままに、乳母(うば)がはなしてきかせていたが、そのなかで、橋の下に住んでいる、鼻ちょうちん乞食のはなしが、とくに気に入ったらしいのだ。」
美しい女の人が、そのあとをひきとりました。
「それで、もし、鼻ちょうちん乞食の、ほんものの鼻ちょうちんをみることができたら、若さまの病気も、よくなるのではないかと思い、来てもらったのです。」
男は、和歌のワの字も出てこないので、ひどくがっかりしました。
「さあ、鼻ちょうちんをここで見せるがよい。さあ、さあ」

さあといわれてもこまります。なにしろ、鼻ちょうちんは、眠っているときに出るものですから、自分ではみたことすらないのです。それを、いま出せといわれても困ります。
「さあ、といわれましても、これでは・・・」
「なに、そこからではよく見えないというのか。しかたがない。おまえのような、身分の低いものは、ほんとうはだめなのだが、特別に、この中に入ってきてもよい。」
貴族さまは、ひとりがてんをして、男をふとんの近くにまねきいれました。
 そこで、男は、はじめて、そこに寝ている子供を見たのです。まるで、小鳥のひなのような、かぼそい男の子でした。顔は、お日様に当たっていないせいで、まっしろです。長いこと病気だったので、しかたありません。それでも、その顔はたいそうりこうそうで、男などは、足元にも寄れない品があります。目は、熱でもあるかのようにうるんでいて、枕もとにまで近づいた男を、じっと見ていました。
 この子をみたとたん、なぜだかわかりませんが、男のなかのためらいは、すべてふきとんでしまいました。もう、和歌だろうが、鼻ちょうちんだろうが、この男の子のためなら、なんでもしてあげようと思いました。
「わかりました。若さまに、鼻ちょうちんをお見せしましょう。」
「おお、そうしてくれますか。ささ、はよう。」
女の人はせかしましたが、やっぱり男は困ってしまいます。
「あのう・・・眠らないと、鼻ちょうちんは出ないのです。」
「なに、やっかいな奴じゃな。」
貴族さまは、あたりまえのことでふきげんになりました。でも、しょうがありません。男の子の布団のすぐとなりに、男の子のものほどではありませんが、りっぱな布団がのべられて、男は寝かされました。
 ところが、さっぱり眠れません。
 無理もないかもしれません。男は、いままで、こんな立派な布団でねたことがないのです。いつも、お日さまをいっぱいに浴びて、川がさわさわ流れるのを聞きながら、のんびりと眠っているのですから。
 おまけに、貴族さまがねかせてくれません。男の枕もとで、「この子は、いずれこの家を継ぐ、大切なあととりだ。もしものことがあったら、どうすればいいのじゃ。」などと、ぶつぶつとつぶやくのです。
 男は、そのぶつぶつをきいているうちに、すっかりくたびれてしまいました。でも、さいわいなことに、おかげでだんだん眠くなってきて、気がつかないうちに、眠り込んでしまいました。

 目がさめると、朝です。いつも、お昼に寝ているにしては、ずいぶんよくねむりました。さて、これはりっぱな鼻ちょうちんが出たに違いないと思いましたが、横を見てびっくりしました。貴族さまも、女の人も、ずっと前の晩とかわらないかっこうのままで、そこにすわっているのです。二人とも、目が真っ赤です。そして、女の人はあいかわらず悲しそう、貴族さまは、ものすごくいらいらしているではありませんか。
 はなちょうちんは、でなかったのです。
「もういちど、ためしてみるのだ。」
と貴族さまはいいますが、いくらなんでも、そうそうねられるものではありません。男は、「家にかえしてください」といいましたが、とんでもないといわれました。
 しょうがないので、その日は、お屋敷にいることになりました。お屋敷はきれいで、豪勢なご馳走も出ましたが、召使やえらい人がたえずいったりきたりして男をじろじろと見るせいで、ものすごくつかれました。でも、おかげで、夜はよく寝ることができました。
 ところが、その晩も、鼻ちょうちんは出ませんでした。
 奥方さまは、(あの、きれいな女の人は、貴族さまの奥さまで、男の子のお母さまでもありました。)さめざめとなき、貴族さまは怒って、
「もし、鼻ちょうちんが出せなかったら、お前を都から追い出してやる。」
とまで言いました。そんなことになったら、たまりません。男は、できるだけ努力をすると約束しました。

 ところが、ところがです。その日も、次の日も、そのまた次の日も、鼻ちょうちんは出なかったのです。男は、すっかり困って、泣きたくなってきました。
 そして、五晩めのよるです。
 しんせつな奥方さまは、鼻ちょうちんが出ないのは、自分たちが横でずっと見ているせいではないかといい、しぶる貴族さまの袖をひいて、部屋を下がりました。そうして、男は、やっと男の子と、ふたりきりになったのです。
 そして、夜遅くのことです。
 男が、「鼻ちょうちん、鼻ちょうちん、」と唱えながら寝ようとすると、男の子が声をかけてきました。最初、耳元で蚊が鳴いているのかと思ったほど、それはか細い声でした。
「おじさんは、どうして、鼻ちょうちんが出せないの?」
男は、首をたれました。
「よくわからないのです。でも、変なはなしですが、わしは、こんな豪華な布団で寝かせてもらうより、お日様のしたで、ぼろを着て、布団もなにもなしでねたほうが、はなちょうちんがでるらしいのです。」
「こまったな。ぼく、鼻ちょうちんを見て、病気が治らないといけないんだよ。」
男の子は、つぶやきました。
「ぼくは、お父さまの、りっぱなあととりにならなくちゃいけないんだから。もし、僕がこのまま死んじゃったら、お父さまも、お母さまも、どんなに悲しむだろう・・・たくさんいる召使たちも、みんなどこか、別のところにいかなくちゃならないんだよ。だから、みんな、僕がよくなる事を、必死で願っているんだ。そのために、おじさんまで連れて来たりして・・・」
 男は、それを聞いて、男の子が、どんなに重荷をせおっているかを知りました。それにくらべて、じぶんは日がな一日河原にねころんで、気ままに歌をよんでいるだけです。男は、自分が情けなくなりました。
 でも、どうでしょう。男は、このお屋敷で、何日か暮らしているうちに、あることに気がつきました。お屋敷の中は、いろんな人がいて、ひどくつかれるのです。しかも、みんな、男の子がよくなるのを願っているのですから、それを気にして、病気がよけいひどくなるのかもしれません。もし、この男の子を、お屋敷から連れ出して、あの気持ちのいい河原で、はなちょうちんをめいいっぱいみせてあげることができたら…男の子は、よくなるのではないでしょうか?

「若さま、いっしょに、わしのうちに行きませんか。」
「でも、外には、つめたい、悪い風がふいてるから、絶対にこの部屋から出ては行けないと、おとうさまが。」
「悪いものですか。外は、お日様の光でいっぱいで、風はとても気持ちがいいのですよ。」
「うん・・ぼく、本当は、1度でいいから、そとにでてみたかったんだ。病気になってから、この部屋から1度も出たことがないし、病気になる前も、お屋敷から出たことがないんだもの。」
男は、驚きました。
「それは、ひどい!病気になるのもあたりまえですよ。」
男は、男の子をおんぶして、(男の子は、悲しくなるほど軽かったので、かんたんでした。)そろり、そろりと、部屋を出ました。でも、そこからがたいへんです。なにしろ、お屋敷は迷路のように広いし、あちこちに、召使や番兵がいるのですから。さいわい、男の子がお屋敷のぬけみち、番兵のいろところをおしえてくれたのですが、悲しいことに、男の子が知っているのは、お屋敷のなかだけでした。外に通じるへい塀が見えたところで、二人はみつかってしまったのです。たちまち、ふたりは弓矢をかまえた番兵や、松明を持った召使にとりかこまれてしまいました。
「なんということをしてくれたのだ!」
やがてかけつけた貴族さまは、怒ったあまり、声がふるえていました。
「さては、おまえはひとさらいだったのだな!役人に引き渡して、ばつをあたえさせよう。さあ、若さまをはなせ!」
男のほうも、怖さのあまり、声がふるえていましたが、勇気をだしていいました。
「いやです。」
「なんだと。」
「この子は、あととりでも、かごの中の鳥でもありません。外の空気にふれさせてあげなければいけないのです。」
男と貴族さまは、にらみあったまま、いまにも大喧嘩を始めそうでした。ですが、そのとき、男の子が、こんこん、とせきはじめたのです。
「たいへんだ!」
貴族さまと、召使たちが、同時に叫びました。
「外の空気にふれてしまったせいで、病気が悪くなったんだ!」
 貴族さまは、男から若さまをうばいとると、あわててお屋敷の奥にだきかかえていきました。召使たちも、そのあとをおいます。庭には、ぽかんとした男だけがとりのこされました。そして、男がぽかんとしているうちに、どこからか、まじないし、坊さん、お医者が、わんさかとつめかけてきました。みんな、一心にお祈りをしたり、薬をのませたりしますが、おくに寝かされた男の子は、ひどい熱をだして、いっこうによくなりません。
「どうだ、若さまはよくなるのか。」
お医者の一人がこたえました。
「それが、どうもあぶないのです。」
「そんな!」
貴族さまは、大きな声で叫びました。
「なんということだ、これというのもみんな、あの男のせいだ。だれか、つれてこい。」
男が連れられてくると、貴族さまは、泣きだしました。
「おまえのせいで、若さまはよけいにわるくなってしまった。どうしてくれるのだ。この子は、わたしの、たいせつな、たいせつな息子なのに!」
貴族さまは、そのまま、おいおいと泣きました。男のほうも、ああ、たいへんなことをしてしまったと、おいおいと泣きました。奥様も、召使いたちも、男をここに連れてきた人も、おいおいと泣きました。それというのも、みんな、あととりであるいぜんに、この男の子のことが大好きだったのです。みんな、そのことにやっと、きがついたのです。

 そのとき、男は、かすかな笑い声に気がつきました。はっと顔をあげると、なんと、男の子が笑っているではありませんか。男の子のかおは、熱でまっか赤になっていましたが、今は、あんまりおかしいのでまっ赤になっているようです。なにがそんなにおかしいのか、最初はわかりませんでした。ですが、奥方さまがいいました。
「あら、あなた、鼻ちょうちんが・・・」
よくよくみると、男だけではなく、貴族さまも、召使いたちも、そして、奥方さまさえも、思いきり泣いたせいで鼻水を出し、それがみごとなはなちょうちんになっていたのです。そして、めいめいの泣きはらした顔の真ん中で、はなちょうちんがぷくり、ぷくりと息をしているのです。みんなは、ようやくそれに気がつき、おたがいの顔を見あわせました。そして、大きな声で笑い始めました。その中心では、男の子が、たのしそうに、いつまでも、いつまでもわらっていました。
 めいいっぱい笑ったあと、男の子は、めきめきと元気を取り戻していきました。そして、立派に成人して、今に語り継がれる、有名な貴族さまになったのです。
 ですが、そのあと、男がどうなったか、それは私にもわかりません。ひょっとしたら、私がしらないだけで、その後、有名な和歌を詠んだかもしれませんが、そうでないかもしれません。でも、そうでなかったとしても、全然気にすることなく、男は河原で、のんきに昼寝をしていたことでしょう。



《おしまい》




comment



この話を思いついたのは、私が昼寝をしていた時でした。
半分ねむっているときに、夢とうつつの隙間から、
ぽつりとストーリーが浮かんできたのです。
おかげで、いつも書き出しで悩むのですが、
今回は楽しみながら書くことができました。


Story & comment by うるふぱっく



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