【エッセイ】
Written by Akemi Murata
思い出の底から、心地よい葉ずれの音がさやさやと聞こえてきます。
それは、遥かな庭から聞こえてくる、一本の“木の声”です。その“木”がある家に生まれ、私は7才頃までを、そこで過ごしました。
古い木造の日本家屋でしたが、一風変わった雰囲気のある家で、洋間には小さいながらも暖炉があり、白いしっくいの壁には船室にあるような円い小さな窓がはめ込まれていました。玄関や廊下の床は飴色に鈍くかがやき、兄とわたしは、よくその上をすべって遊んだものです。家のなかには、古い木の家特有のすこし湿った空気が、いつも通奏低音のようにひっそり流れていました。
苔むした庭には、桜、百日紅(さるすべり)、竹、松、いちじく、楓、椿・・子どもだった私が覚えているだけでも、実にさまざまな木がありました。家をすっぽり包みこむように葉を茂らせた木々は、季節それぞれにちがった表情を見せてくれたものです。
あの庭は、幼い日の私にとって“ひとつの宇宙”でした。
春には、庭の草花を摘んで首飾りや髪飾りをつくったり、斜面に溝をつくって水を流し、うす桃色の桜の花びらを水面に浮かべました。花のうてなの奥に広がる深淵を、ただじっと長い間、のぞき込んでいたこともあります。花びらの中の秘密の小道を、心の羽をふるわせて蜜蜂のように降りていくのです。そうすると、脈管や無数の紋様が、まるで満天の星空のように瞬きながら広がっていました。
あの日たしかに、一輪の花びらの中の小道は、銀河に通じていたのです。
知識よりも深い何かで、今よりもっと、宇宙の声を聞いていた気がします。夏になれば、百日紅(さるすべり)の木が、白いつややかな枝の先に桃色の花を咲かせました。芝生のうえにホースでシャワーを高く降らせ、生まれた虹のトンネルをくぐって水遊びをしたり、木にとまるセミを、網ではなく素手で採るというワザも自然に身につけました。虫に対して、子どもは無邪気に残酷なものですが、その行為もふくめて、チョウ、アリ、ヘビ、毛虫・・小石とさえも、語り合うことが出来たのはなぜでしょう。
秋には、一枚の落ち葉が、葉のうえに複雑な紋様と美しい色を染め上げて、ひとつとして同じもののない、いのちの不思議を教えてくれました。
雪が降り積もった朝には、純白の汚れない世界に足跡をつけるときの痛みを、庭はキラキラ輝きながら、気づかせてくれたものです。もちろん、つぎの瞬間には夢中で駆け出して、雪あそびに没頭しましたが・・。
そんな庭の一角に、“一本の木”はありました。
庭のどの木よりも背が高く、せいいっぱい両手を広げても、太い幹には半分も抱きつけなかったことを覚えています。その最大の特長は、何と言っても木登りに適していたということでしょう。
大きな庭石がちょうど真下にあり、岩を足がかりにして簡単によじ登ることができました。しかも枝が都合よく突き出ていて、頂上部分の枝振りが、これまた最高なのです。まるで、海賊船のマストに取り付けられた見張り台のように、すっぽりと体をもぐりこませることが出来ました。
私にとってその木は、とにかく特別な存在でした。
単に“木のぼり”に適していたから別格だったのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
私にとってその木は、単なる木ではなかったのです。
木のてっぺんまで登ると、庭の外に広がる世界が遠くまで見わたせました。
遥かに広がる田園が青々と波うつ日には、木は未知の海に乗り出す“船”に変身します。その時、木のうえに登っている小さな女の子は、見知らぬ海に乗り出す冒険者に変わるのです。甲板に身をのりだし潮風をうけ、幻想の海へこぎだします。
もう、おわかりでしょ?
そう、女の子はけっして“木のぼり”をしていたわけではないのです。彼女は『旅』をしていました。そして木は、その旅の相棒だったのです。
あぜ道に彼岸花が燃えあがれば、毒々しい赤は激しい炎を連想させます。そうすると、一本の木は、燃え上がる中世の城に変貌しました。もちろんそのとき、女の子が塔のてっぺんに幽閉された、悲劇の王女になることは言うまでもありません。
暑い夏には、こんもりと葉で囲われた木の途中の枝が、自然の冷風機を備えたテラスに変わります。絵本を読んだり、うたた寝をしたり・・木はさやさやと細かな葉をふるわせて、とっておきのBGMを聞かせてくれました。
幹の紋様、色、手触り、その木のことなら、細かな部分までよく覚えています。
とくに忘れられないのは、雨上がりのあとの感触です。水をいっぱいに含んだ幹にしがみつくと、カラリとしたいつもの肌触りではなく、お母さんのほっぺのようにやわらかな弾力が、ふんわりと頬に伝わりました。そして、得も言われぬかぐわしい香りに、ふわっと抱きしめられるのですその木のてっぺんから眺めた風景が、おそらく私の“原風景”でしょう。
私が小学校2年生を終えた頃、わが家は都会に引っ越しました。
高校生の時、一度だけなつかしくて訪ねたことがあります。
でも、垣根ごしでは庭の奧にある木を、見ることは出来ませんでした。“木の声”は、いつも私の心の底に響きつづけていました。
どんなに遠く離れていても、目をとじれば感じることが出来たのです。
少女から大人へ・・私が淋しいとき、木の声は、さやさやと歌ってくれました。
うれしいことがあると、心のなかの木もキラキラとうれしそうに揺れるのです。大人になった私は、結婚して遠い町に暮らすようになりました。
あの家の今の持ち主が、家を建て直したらしいということは、もう何年か前に父から聞かされていました。あの暖炉も、円い窓も飴色の床も壊されました。そして最近、また新たにその家が増築され、庭のほとんどの部分がなくなったという話しを兄から聞きました。当然、庭の奥にあった木が、いまも残っているはずはないでしょう。
わたしの心の中で、あの一本の木が、ざわざわと揺れました。
「あの家を訪ねてみよう」
ことしの正月、実家に帰省したとき、そんな話しがふいに持ち上がりました。母が亡くなって三年。家族にとって懐かしい場所を、父とふたり、思い出散歩しよう・・ということになったのです。
最寄りの駅に降り立つと、駅前はすっかり賑やかになっていました。商店街を抜け、ようやく噴水のある広場に出ました。そこには、私の通っていた幼稚園があるのです。なかなか団体生活になじめずに、泣いてばかりいたものです。
幼稚園の可愛い三角屋根は、無味乾燥なコンクリートの建物に変わっていました。ただ、そこからはじまる住宅街は、あいかわらずしっとりと落ち着いた雰囲気を残していました。なつかしい並木道を抜ければ、幼稚園のバスを母と待っていたバス停が見えて来るはずです。そしてその角を曲がれば、私たちが住んでいた家・・でも、そこには、見たことのない立派なお屋敷が建っていました。
わかっていたことなのに、やはり淋しさはまぬがれません。
あの日、私の宇宙だった庭は、もう影もカタチも無くなっていました。未練がましく庭のことを想いながら、私は家の裏の方に回ってみました。
とても風の強い日です。さわさわ......ざわざわ......
その音に、わたしはハッとして顔を上げ、思わず歓声をあげました。
屋根の高さほどもある一本の大きな木が、冬だというのに緑の葉を茂らせて、うれしそうにキラキラ輝いているではありませんか!
あの葉っぱ、幹の色....垣根ごしで枝振りまではしっかり確かめられませんが、私の記憶の底にある木に、とてもよく似ています。ただ、以前その木があった場所とは違う、垣根のすぐそばに植えられているので、絶対にこの木だと断言は出来ません。でも、こんなにも背の高い木を、わざわざ他から運んで来て植えるでしょうか?
それよりは、もともと庭にあった木を、何らかの理由で伐らずに移動したのだ・・と考える方が、自然でしょう。そして、こんな大きな木は、あの庭に他には一本もありませんでした。
それに何より、この声です!
さわさわ......ざわざわ......
心のなかで鳴りつづけてきた木の声が、いま私に話しかけています。
目をとじて、私は木の声に包まれました。とめどなく涙があふれてきます。目をあけると、うるんだ風景が揺れていました。
真冬とは思えないほど青々と茂った葉が、澄んだ青空をバックにキラキラ輝いています。笑われるかもしれませんが、木も会えてうれしいのだと、私は思いました。
『また会いにくるからね』
心の声で叫びながら、私は“相棒”に手をふりました。
【END】
Akemi