クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第三章 青い炎
万華鏡(まんげきょう)をのぞいたことがありますか?
光りの方に向けて、クルクルまわしながら丸い筒をのぞくと、色とりどりのガラスのかけらや、花びらのような紙ふぶきが、キラキラと不思議なもようを描く・・あの万華鏡です。クプカたちはちょうど、巨大な万華鏡の中にすいこまれているようでした。にじ色の光りがうずまきながら、すさまじい速さで飛び去っていきます。ふき過ぎる風まで“にじ色”に染まっているようです。
どれくらい飛びつづけたでしょう・・。
にじ色のトンネルをくぐりぬけ、つよく引っぱられていた感覚から解き放たれると、からだが宙にふわりと浮きました。
そこにひろがっていたのは「青い世界」です。
眼下には、目にしみるようなコバルトブルーの海が・・頭上には、息をのむほど澄んだ青空が、ひろがっていました。
青い世界のただなかに、ふたりは、ぽっかりうかんでいたのです。
まるで、空にただよう白い雲か、だれかの手から離れた風船のようでした。
「クプカ、ついたの?」
リトは、まぶしそうにまわりを見わたしながら聞きました。
「ああ、ついたとも」
「でも・・ボクのご先祖さま“最初のリト”はどこ?」
クプカは、ゆっくりと首をよこにふりました。
「彼に出会うのはもう少しあとだよ。“最初のリト”のことを知ってもらうためには、
話しておかなくてはいけないことがまだあるからね。それより、あそこを見てごらん」クプカが眺める方を見ると、海のなかにポツンと小さく光る点があります。リトは、その点をじっと見つめました。すると、どうでしょう?まるで望遠鏡をのぞいているように、からだは動かさないまま、点の方がひとりでにぐーんと近づいて、まじかに迫ってきたのです。
「あっ、クプカだ!」
リトはさけびました。
そう、それはまぎれもなくにじ色のコウラをもったウミガメ、クプカです。
“クプカがふたり”いることに、リトはさほどおどろきませんでした。クプカからむかしばなしを聞くのは、これがはじめてではありませんでしたからね。海のうえにいるクプカは、過去のクプカなのです。ただ、そのクプカは、どこかようすがちがっていました。
「あのクプカ、なんだか小さくない?」
リトが首をかしげて言うと、かたわらのクプカが笑いながら答えました。
「そりゃそうさ。この頃はまだにじ色のコウラになって、
年月があまりたっていなかったからね・・カラダもうんと小さかったんだよ」
クプカからむかしばなしを「聞く」ということは、ふつうに絵本を読んでもらったり、お話を聞いたりするのとは、少々、勝手がちがいます。物語を「聞く」というよりは、「体験する」と言った方がいいでしょう。風にふかれたり、匂いをかいだり、暑いとか寒いとか・・ときには痛みさえおぼえるほど、ほんとうにその場所にいるように、感じることができたのです。けれど、それは・・・やはり「べつの世界」でした。
思い出をふり返ることは出来ても、思い出を変えることはできません。
もし、いまリトが声をかぎりにさけんだとしても、海を泳いでいるむかしのクプカの耳に、その声はけっして届かないでしょう。もちろん、過去の世界から、こちら側の世界を見ることもできないのです。
さて、海のうえの“むかしのクプカ”に話をもどすとしましょう。
クプカの前方に、うっすらと陸地が見えてきました。かなり大きな島のようです。海に面したこ高い丘の上に、白い大理石の建物が見えてきました。表面に細いみぞが彫り込まれた何十本もの優美な柱が、大きな屋根をささえています。それは、どうやら宮殿のようです。ぬけるような青空を背景に、白い宮殿はひかり輝くばかりの美しさでした。
気がつくと、いつのまにかリトたちは、宮殿のなかにいました。
大理石の床には、中央に長く赤い絨毯(じゅうたん)がしきつめられています。そこは、とても大きな広間のようです。赤い絨毯をたどっていくと、石造りのりっぱな椅子がありました。椅子には、真っ白なヒゲをはやした老人が腰かけています。老人は、月桂樹(げっけいじゅ)の葉でつくられた王冠をかぶり、やわらかな白い布を肩からまとっていました。彼のまえには、十数名の家臣たちが、ぬかづいています。どうやらその椅子は「王座」で、老人は、この国を支配する「王」のようです。
それにしても、なんて悲しい目をした、王さまなんでしょう。クプカのお話のなかで、リトはいままでに、たくさんの人間を見てきましたが、これほど悲しい目をした人に、まだ会ったことがありませんでした。
そのとき、リトのかたわらで、クプカがふーっと息をはきました。
するとどうでしょう?王のこころのなかが、リトにも手に取るように見えたのです。ひかり輝く美しい宮殿に暮らしながら、王のこころの中は真っ暗でした。彼は、最愛のひとり娘を、けさ亡くしたばかりだったのです。
亡くなったフラウディーテ姫は、王の“生きがい”でした。愛する妻に先立たれてからというもの、フラウディーテの愛らしいほほえみだけをささえに、王は今日まで生きてきたのです。数々の大戦に勝利をおさめ、みどり豊かな領土をつくり、ひかり輝く宮殿を建てたのも・・すべてフラウディーテのためでした。ちいさな赤ん坊だったフラウディーテが、立って、歩いて、笑って、歌って・・しだいに美しく成長していくのを見ることは、どんな財宝にもかえられないよろこびを、王に与えつづけたのです。実際、成長したフラウディーテの美しさは、海のむこうの国々にまで、そのうわさが伝えられるほどでした。
青い海の水底(みなそこ)に誕生した、真珠のひとつぶのようにすべらかな肌をもち、さくら貝のようにほんのり色づいた口もとからは、あまい花の香りをふくんだ春風が、いまにもこぼれそうでした。そんなフラウディーテが・・咲きかけのつぼみのまま、散ってしまったのです。はやり病による、あまりにも突然の、別れでした。
宮殿の大広間には、長く重苦しい沈黙がたちこめていました。
「このままフラウディーテを死なせはしない・・」
ようやく沈黙をやぶった王の声に、いならぶ家臣たちは凍りつきました。
それはまるで、地獄の底から絞り出したような痛々しい声だったからです。
おそるおそる家臣のひとりが、言いました。「王さま、お悲しみはお察し申しあげます。されど、姫さまは、すでにもう・・」
「だまれ!」
宮殿をゆるがすような、おそろしい王の声がとどろきました。
「姫のたましいは、まだ黄泉(よみ)の国へ旅立っておらぬ!
神官によれば、死者のたましいは三日三晩、まだこの世を
さまよっているそうじゃ・・さすれば、その間ならまだ間に合う。
一刻もはやく見つけだして、姫をよみがえらせるのじゃ」家臣たちは、ヒソヒソとひたいをよせ合ったあと、いちばん位の高そうな年かさのものが、王にたずねました。
「見つけだすというのは・・いったい何を見つけだすのでしょうか?」
王の口からつぎに出た言葉は、広間のようすを眺めていたリトに、さけび声をあげさせました。
王は、威厳をとりもどした声で、こう言ったのです。「にじ色のコウラのウミガメを見つけだすのじゃ」
あげてしまった自分の声におどろいて、手のような前のヒレで口を押さえながら、リトは声をひそめてクプカに言いました。
「にじ色のコウラのウミガメって、クプカのことでしょ?」
「そんなにヒソヒソ話さなくても大丈夫だよ。
どうせ彼らには、われわれの声なんて聞こえないんだから・・」「そっか・・・クプカ!そんなことより、だいじょうぶなの?
さっき“海にいたクプカ”は、ちょうどこの国の方に向かって泳いで
いるところだったでしょ?・・見つかったら捕まっちゃうよ!」
リトの言葉を聞いているのか、いないのか・・クプカは、さっきからぼんやりと、あけ放たれた宮殿の戸口のあたりを見つめていました。そこには、ひとりの若者が立っていたのです。外の明るさを背にして立っているので、黒いシルエットしか見えません。
「エルテミス・・」
クプカが、ひくくつぶやきました。
まぶしさに目が慣れるにしたがって、若者のすがたや顔かたちが、しだいにハッキリと浮かびあがってきました。
若者の肩ごしに、エーゲ海の青い海と空がひろがっています。
海と空は、限りなくひとつにとけ合いながら、ゆらゆらと揺れていました。
まるで、しずかに燃える“青い炎”のように・・。