神秘のアンコールワットを訪ねて
【前編】

Written by Akemi Murata

 



 春とはいえ、まだコートが手放せない三月。わたしたちは真夏のカンボジアへと旅立った。

・・・とまあ、こんな風に旅行記をはじめたいところだが、今回は夫の両親と彼のふたりの妹家族も含めた、総勢八名という「大家族旅行」。いささか勝手がちがう。私たち以外はみんな倉敷に住んでいるから、出発には「関西国際空港」を使うことになった。東京の私たちは、まず大阪まで移動しなくてはならない。幸い、羽田から関空までの飛行機は、ツアーの旅行社が無料で提供してくれるという。「ラッキー」と思ったが甘かった。タダにはタダなりの大変さも用意されているものだ。



第1日目  to Bangkok

「白い雲の彼方へ」


 羽田発の飛行機は「うそでしょ?」と言いたくなるほど、早い便だった。朝の六時半には、羽田空港のロビーに到着しなくてはならない。結局、四時起きという凄まじい出発となった。真っ暗なうちに(夜逃げのよう...)家を出て羽田に向かう。浜松町からモノレールに乗りこんだ頃、ようやく空が白みはじめた。ゴーストタウンのように静まり返った東京の町や道路を見下ろしながら滑るモノレール。レインボーブリッジが左手に見えてきた頃、まっ赤に熟したトマトのような太陽が、ブリッジの欄干に盛りあがってきた(あ、東京が目をさます)。こんな、めったに見られない光景に出会えたのだから、早朝の便も「良し」としようか・・・とはいえ、関空には朝八時半に到着。空いた時間帯の便だから無料だったのかどうかは知らないが、集合時間までたっぷり三時間、時間をつぶすハメとなった。

 正午には、予定通りみんなと合流。今回の旅のメンバーは、夫の両親、うえの妹とご主人、したの妹と息子(小学五年生)、それに私たちを入れた八名。したの妹のご主人だけは、仕事の都合で参加できなかったが、母の「いちど、子どもたちの家族とみんな一緒に旅行がしたい」という願いから、今回の旅となった。それにしても、八人となるとさすがに賑やか。思わぬコトも起こる。集合して間もなく「眼鏡が見当たらない」と、うえの妹が言い出した。サングラスではなく、度入りの眼鏡だからナイと困る。「どこかに落としたのでは?」みんなで手分けして探したが見つからない。あきらめかけた頃、ようやくカバンの奥から出てきた。やれやれ・・・と思ったのも束の間、こんどは母が手荷物の中に(フルーツを切るための)小さなナイフを入れていた。そのことを自己申請すると面倒な書類にサインすることになった。ところが、この一件のおかげで空港側のミスが判明。先に預けた荷物が、一泊目のタイ・バンコクではなく、二日目に行くカンボジアのシェムリアップに運ばれてしまうところを、寸前でくい止めることが出来た(まったく何が幸いするか分からない)。



 関空から飛び立つとき、飛行機の窓から眼下に和歌山の海岸線が見えた。

 私の父と母が眠るメモリアルパーク(墓地)がある辺りだ。よく晴れていて海岸線がくっきり見える。海が見える広い公園のような墓地だから、上空からでもきっと見えるはず。そう思って目を凝らすと・・・やっぱり「見えた」。父と母の魂は、墓地に住んでいるわけではないと思いながらも、ちいさな窓ごしにそっと、手を合わせる。

 つぎの瞬間、機体は白い雲のなかへと吸い込まれて行った。

メモリアルパークは視界からかき消えたが、かわりに窓の外には雲海がひろがっている。

まっ青な空と白い雲のつらなり・・・ふと、父と母を近くに感じた。



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(前編・全三ページ)