三日目<Part.2>  in Siem Reap

「遺跡のしあわせ」

 シェムリアップ近郊には、多数の遺跡がひしめいている。まず向かったのは「スラ・スラン」。池に突き出したテラスだけの遺跡だが、「王の沐浴のための池」として、10世紀にはすでにその原型がつくられていたと言う。かつて王が沐浴していた池では、いま子供たちが水遊びに興じている。


水しぶきをあげ、キラキラかがやく
彼らの笑顔こそ、王さまのようだ。


それにしても、どこの遺跡でも
本当に子供たちの姿を
よく見かける。

生活のため「もの売り」をしている子も
多かったが、彼らにとって遺跡は
いまも「生きた遊び場」に
ちがいない。


 つぎに向かった「バンテアイ・クディ」は「僧房の砦」という意味も持つ遺跡。増築をくり返し僧侶たちが生活していたという回廊が入り組んでいる。もともと「軟らかい石の文化圏」と言われる地域だから風化の速度もはやい。廃虚のような回廊を歩いていると、さながらインディー・ジョーンズになった気分だった。


今にも朽ち果てそうな遺跡を歩きながら
「遺跡のしあわせ」を、思った。

 たしかに、貴重な文化遺産は残されるべきだし
破壊の手から守ることは重要にちがいない。

けれど、たとえば大英博物館などに運ばれ
うやうやしく陳列されて生き延びることが
果たして遺跡のしあわせだろうか?

「遺跡は保存されるべきもの」という思想は、
ある意味、西洋的価値観かもしれない。

 生まれたものは朽ちるのが運命だ。

 博物館のなかで生き延びるよりは、
創った者たちの子孫の遊び場となって
風雨にさらされながら土に帰る方が
「遺跡のしあわせ」なのかもしれない。

 
回廊を歩きながら、そんな風に感じている
自分に気づいた時、私は自分のなかの
アジアと出会った。

 つぎに訪れた「タ・ブローム」は、自然の力を明らかにするため、あえて樹木の除去や修復の手を下さず放置したままのユニークな遺跡だ。かつては5000人余りの僧侶と615人の踊り子が住んでいたという僧院だが、周りのジャングルから飛んできた種が石のすき間に落ちて大木となり、根っこは大蛇のように石にからみついている。さながら「怪物の木の巣窟」のようだが、その光景を目の当たりにすると、人は言葉を失う。自然の猛威といえばそれまでだが、泣きたくなるような感動を覚えるのは何故だろう。


   


 つぎにマイクロバスで向かった古寺「バンテアイ・スレイ」は、シェムリアップの町からかなり離れていた。967年に建てられた「女の砦」という意味を持つ小さな寺で、紅色砂岩に施された緻密な彫刻は、他の遺跡に見られない独自なスタイルを持ち、保存状態もよく洗練された美しさがある。「東洋のモナリザ」と呼ばれる女神像が、遥かな時を超えどこか妖艶な微笑みを浮かべていた。



 ちなみに治安状態に問題があり、「バンテアイ・スレイ」は最近まで観光が許可されていなかったという。当然のことながら寺院までの道はいまも砂塵まきあげるデコボコ道。けれどバスの窓から見た沿道の暮らしぶりや風景は、素朴でじつに印象的だった。


   


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