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夕刻には長野に到着したが、長距離ドライブの疲れもさすがにたまっていた。その夜は早めに休み、旅の最終日に備える。一夜明け、窓のカーテンを開けると、キーンと空気は冷たいが空はよく晴れていた。これなら山が見えるかもしれない。那須のわが家には、その日のうちに帰り着けばいいから、八ヶ岳近辺をゆっくり散策してから帰途につくことにした。チェックアウトを終えると、まずは宿のご主人から教えてもらった八ヶ岳のビューポイントに向かう。
ああ、やっと、会えた。 冬の山だけが放つ、神々しさに息をのむ。
白い雪をかぶった峰々は朝の光りに染まりながら、
雲の流れ、光りの動きにその表情を微妙に変えて行く。
Photo by Akemi Murata -Yatsugatake -「八ヶ岳美術館」にも立ち寄った。
故・清水多嘉示の彫刻と絵画をメインに展示している
美術館。おそらく我々が、この日最初の入館者
だったのだろう。開いたばかりの朝の館内
には他に閲覧している人の姿もない。
室内に置かれた彫刻群もいいが、
雪の庭や森のところどころに
配置された彫像たちが
印象的だった。
清冽な空気のなか、
彫像たちは生き生きして見える。
白樺のこずえで、青空に手を伸ばし、
ダンスする少女の一人にシャッターを切った。
その愛らしい指先には「憧れ」が光っているようだ。
Photo by Akemi Murata
-彫刻「みどりのリズム」清水多嘉示-長野を後にする前に、もう一ヶ所、立ち寄った場所がある。
茅野市にある「尖石(とがりいし)縄文考古館」。なぜ、ここに足を運んだかというと「不思議な偶然に引き寄せられた」....としか言いようがない。実は、前々から妙に気になる縄文時代の土偶がひとつあった。気になるというのは、数年前にはじめてテレビでその存在を知り、その造形(カタチ)にまず惹かれたのだが、なぜかその土偶、昨年(2001年)はいささか奇異に感じるほど、テレビをつけると映っているという現象が何度もつづいた。そうそう土偶なんてテレビに映るものではない。おまけに、いつも同じ土偶ばかりが目に飛び込んで来るのだから、いやでも印象に残った。
旅の途中、その土偶にまたもや出くわすハメになったのだ。小さなガソリンスタンドに立ち寄った時、何気なくスタンドのオフィスを見ると、ガラス窓からあの「土偶」がこちらを見つめている・・・と言っても単に、あの土偶を描いた「絵」が貼られていただけなのだが、こうも偶然が重なると気になって仕方がない。お客さんに見えるよう、こんな場所に貼ってあるということは、ひょっとしたらこの近辺に、あの土偶を展示している施設があるという意味ではないか?そう思ってスタンドの人に尋ねてみると、そうだった。ここから車で30分ほど行った所に「尖石(とがりいし)縄文考古館」というのがあり、そこにあの土偶も展示されていると言う。
これはもう行かないわけにはいかない。笑われそうだが「土偶に呼ばれている」と本気で感じた。こういう直感は素直に従うことにしている。ただの偶然、ですませればそれまでだが、人生なんてそもそも偶然から始まったようなものだ。ただ、偶然にメッセージが隠されているかも....と考えるか、考えないかで、人生の表情はまるで違ってくる。それは経験上もっているポリシーなので、迷わず「尖石(とがりいし)縄文考古館」に車を走らせた。町営のちっぽけな考古館を想像していたが、とんでもない。建物も立派だし、中には縄文時代を体験できる工夫が施された展示スペース、外には縄文の復元住居が並ぶ公園まで整備されていた。そしていよいよ、わたしを呼んでいる「彼女」に会いに行く。
どの展示室に居るか、部屋に入るまえから
何となく分かったのも不思議だった。
ここに居る・・そう感じて部屋に入ると
正面の陳列ケースの中で、彼女は待っていた。「国宝 土偶 縄文のビーナス」 それが彼女に付けられた但し書きだった。わが国最古の国宝。
約5千年まえ(縄文時代中期)に創られたものらしい。
土偶というのは、たいてい祭式においてこわされるため
これほど完璧な状態で遺跡から出てくるものはめったにない。
この土偶が、なぜこわされなかったのか、謎だと言う。
何も知らずに引き寄せられるように会いに来たが、来てよかった。
身長27センチほどの「縄文のビーナス」は、
テレビで見るよりもはるかに、美しい。
360度どこから見ても、スキのない完璧な造形をしていた。CG by Akemi Murata
元画像・「尖石縄文考古館」パンフより彼女に導かれ訪れた考古館で、思いもよらず縄文時代のソール(魂)と出会えた気がする。豊かな精神性と文化レベル、美意識の高さ、その全てに驚嘆し、どこか懐かしさも覚えた。ひょっとしたら遠い昔、縄文のビーナスを創った人々の暮らしのなかに、自分もまた存在していたのかもしれない。
黄昏に染まりはじめた八ヶ岳の峰々に
もういちど別れを告げ、長野を後にした。人間というのは、思い出で
できているのかもしれない。東から西へ、車を走らせている時は
どこか人生を巻き戻しているようにも感じた。
そして西から東へ、また車は走り出す。那須のわが家に着いたとき 今のわたしの暮らしが
そこにあった。
Photo by Osamu Murata
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