にじ

文と絵・村田あけみ

第21章   - uzu -


たえまなく聴こえていた波の音が、一瞬、夢のように遠くなりました。

光りの柱はまっすぐ、夜空に伸びています。
そのひとすじの道のような光りの中に、その人はたたずんでいました。


雪のように白い衣を身にまとい、宙に浮かんだ岩のうえでしずかに微笑んでいます。なんて、心にしみる笑顔でしょう。まるで、空から舞い降りた天使のようです。背中に翼がないのが、不思議に思えるほどでした。

「フラウディーテ!」

乾ききった谷底から湧き出す泉のように、王はその名を叫びました。せきを切ったように、小間使いの娘マイラの瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちます。

「クプカは?」

夢から醒めたように、リトはあわてて“過去のクプカ”をさがしました。見ると、岩のうえにあった棺(ひつぎ)は、跡形もなく消えています。ただ、見覚えのあるウミガメの輪郭がすぐに見つかりました。どうやら過去のクプカは、まだ何も知らずに眠っているようです。

エルテミスは、どうしたでしょう?

表情までは見えませんが、彼は岩を見上げ身じろぎもせず立ち尽くしています。しんしんと岩から降りそそいでいた雪は、いつの間にかやんでいました。


「奇跡ってこのことだったんだね!」

感嘆したようにリトがつぶやくと、グノモンが答えました。

「たしかに、これも奇跡にちがいありませんが
 さしずめ“奇跡の序曲”といったところでしょうか」

「奇跡の序曲?」

リトがけげんそうに首をかしげた、その時です。


浜辺に突然、どよめきがわき起こりました。


鏡のように凪いだ海面から、あぶくのように無数の光りの粒が生まれ、ふわりふわりと空中に漂いはじめたのです。まるで蛍(ほたる)の大群が、夜の海に乱れ飛んでいるようです。

やがて無数の光りたちは、流れ星のように線を引きながら舞い上がり、一点をめざして飛び立ちました。どの光りの粒も、フラウディーテが立っている“岩”をめざしているようです。浜辺は、光りの渦(うず)に包まれて、砂粒までがキラキラと輝いています。

「奇跡の序曲....」

ぼう然と、目のまえに繰り広げられる光りのページェントを見つめながら、リトはその言葉をくり返しました。

『何かが起ころうとしている』

そんな漠然とした予感が、わき上がってくるのはなぜでしょう。

その頃、浜辺では、王や兵士たちの身に異変が起こっていました。
金縛り(かなしばり)に合ったように、突然、体が動かなくなったのです。

それでも王は懸命に、きれぎれの声でフラウディーテに呼びかけました。

「フラ....ウディーテ...待って...おいで.....
 すぐに......そ....こから....降ろし....てやる....か..ら...」

けれど、岩のうえのフラウディーテは、王の言葉にゆっくりと首を横にふりました。父王を見つめる瞳が、心なしかつらそうに見えます。

あぶくのような光りの粒は、あとからあとから生まれては飛びました。光りは岩の周りに集まると、みるみる膨れあがり、やがて大きな光りの塊(かたまり)に変わって行きます。

しかも、その光りは自由自在にカタチを変えることができるのです。
光りの塊は、まず人間の大きな“手のひら”にカタチを変えました。

巨大な“光りの手”はゆっくりと動いて、岩の下に立っているエルテミスにそっと触れます。とたんに、エルテミスは気を失い、くず折れるように倒れてしまいました。その体をすくい取り、光りの手はどこかに運ぼうとしているようです。


「あの光りの正体は、いったい何なんだろう?」

浜辺の光景を眺めながらリトが心配そうにつぶやくと、グノモンが言いました。

「リトさま、“小惑星α”のこと、
 まだ覚えていらっしゃいますか?」

「小惑星α?うん、もちろん覚えているよ。
 たしか意志を持った星だったよね。
 自分でワープをくり返しながら遥かな宇宙空間を旅して、
 大昔、この地球にぶつかって、粉々にくだけ散ったんだ」

リトがそこまで言うと、ずっと黙っていたクプカが先をつづけます。

「あの衝突がもとで、地球の多くの生命は滅び、
 地球上にあったひとつの大陸が、瞬間移動した。
 たしか、遠く離れた宇宙空間に浮かぶ
 地球とウリ二つの星
 “もうひとつの地球”へ移動したって聞いたと思うが・・」

「あ、クプカそうだったね。ボクも思い出したよ。
 あの衝突のときに、大陸に住んでいた恋人たち、
 カイとソラも死んでしまったんだよね。そして、
 ふたりの魂はこの地球に取り残され、さまよった果てに
 エルテミスとフラウディーテとして生まれ変わって、
 ようやく、めぐり会えたんだ!」

ふたりの言葉を聞きおえると、グノモンがゆっくり言いました。

「その通りです。ただもうひとつ、
 大切なことを思い出していただきたいのです」

「大切なこと?」

「はい。リトさま、小惑星αが粉々にくだけたとき、
 地球に蒔いていった“奇跡の種”のこと、
 覚えていらっしゃいますか?」

もちろん、リトもクプカもよく覚えています。

意志を持った特異な星“小惑星α”には、もともと不思議な力が潜んでいて『想いや願いを現実にするパワー』・・いわば、超能力を秘めた可能性の種が、星が砕け散るときに、地球上にもバラ蒔かれたというのです。

そのことを思い出しながら、ふたりは浜辺を見下ろしました。

眼下には、光り輝いて宙に浮かぶ大きな岩が見えます。
そして、それを目指し流星のように飛ぶ、無数の光りの粒も見えました。

「ひょっとして、あの岩は、小惑星αの・・」

クプカがハッとしたように言うと、グノモンが大きくうなずきました。

「はい・・じつは、あの岩こそ
 小惑星αの、最も大きな破片だったのです」

そう考えると、今までに起こった出来事のいくつかが“岩”を中心につながってくるようです。

あの出会いの朝、エルテミスとフラウディーテは“岩”をはさんでめぐり逢いました。いろんな人々がこの浜辺にたぐり寄せられたのも“岩”のせいかもしれません。現にフラウディーテは、いま“岩”のうえで蘇生したのです。

「じゃあ、あぶくのように生まれては岩に向かって飛んで来る
 あの光りの粒はなに?ひょっとして、アレが“奇跡の種”なの?」

リトがたずねると、グノモンが遠くを見るように答えました。

「はい。おそらく奇跡の種は、あの岩に遺された力に、
 強くひかれて飛んでくるのでしょう。
 ひょっとしたら、あの岩には、いまも小惑星αの
 “星の意志”が宿っているのかもしれません」

「星の意志...」

クプカはそうつぶやくと、浜辺の岩にもういちど目を落としました。


浜辺では、光りの手のひらがエルテミスを、ちょうど岩のうえに運んで行くところです。岩のうえにエルテミスが横たえられると、フラウディーテはそのかたわらにひざまずきました。ひるがえる白い衣がまるで天使の羽根のようです。

フラウディーテが、その胸にエルテミスを抱きしめると、光りの手のひらはサワサワとくずれ、銀河のようにほどけました。時空をうねる川のように、無数の光りの粒が、ふたりのまわりをぐるぐると巡りはじめます。

エルテミスの意識がもどりました。


引き裂かれた時と永遠の愛を引き寄せるように、ふたりはしっかりと抱き合いました。そして互いの瞳のなかに、すべてを読みとったのです。流れ星のように一瞬でしたが、真実のきらめきは、ふたりの心をあざやかに照らしました。

ゆっくりと、ふたりは立ち上がります。


どうしたのでしょう。

ふたりを見つめている王の目には、涙がとめどなくあふれていました。
妻や娘が死んだときでさえ、けっして流すことのなかった涙です。

たくさんの裏切りや哀しみに出会った子ども時代から、王は、ずっと戦いつづけてきました。若い頃は過酷な運命に挑み、自らの力を試すために戦い、愛する者を得てからは、それを失わないために戦いました。

戦いはつぎの戦いをよび、泣いているひまなどなかったのです。

それなのに、いまはどうにも涙がとまりません。
こらえてきた一生ぶんの涙が、こみ上げて来るようです。

王の頬につたう涙は、悔しさや悲しみの涙とは別のものでした。王の心はいま、不思議なほどおだやかに澄んでいたのです。こんな気持ちは、何十年ぶりでしょう・・いえ、生まれてはじめてかもしれません。

すきとおった水で心のなかがいっぱいになり、瞳からあふれ出して行くようです。すべてを洗い流しながら湧き出す泉のように、涙はサラサラと流れました。

「お父さま」

なつかしく、あたたかなフラウディーテの声が、王の心に降ってきます。

王は気づいていました。もうすぐ娘は旅立って行くでしょう。

こんどこそ本当の別れが近づいているのです。

けれど行き先は、死の国ではありません。


そのことだけは、浜辺に満ちた光りの渦が

無言のうちに告げていました。





岩のまわりに渦巻く光りの銀河は、

どんどん加速しながら回転をつづけています。

運命を巻き込みながら渦は大きく膨張し、

やがて何かに、

変わろうとしていました。



(つづく)



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