にじ

文と写真・むらた あけみ

注)中央のレリーフはジャワ島のボロブドール遺跡にて撮影しました
1000年以上前の遺跡で偶然クプカに出会えた気がして....
クプカの足下にいるのはリトかもしれませんね


第20章   - kusari -


すき通った氷のような満月が、岩の真上に浮かんでいます。

運命の時刻をさし示す時計の針のように、王の手が上がりました。
力の限り引きしぼられた弓から、いっせいに矢が放たれます。

残酷な放物線を描いて、矢は岩の上に縛りつけられた“過去のクプカ”の額に突き刺さりました・・いえ、正確にはその瞬間を見た者など誰もいません。矢が放たれるやいなや凄まじい光りが炸裂し、その強烈な光りの中で目を明けていられる者など、まず一人もいなかったのです。ただ、誰もがこの眩しい光りの正体を“光りの鎧(よろい)”にちがいないと思いました。そしてそれは、言うまでもなく矢が、虹色のコウラのウミガメに命中したことを意味していたのです。


どれくらいの時間が過ぎたでしょう。

光りが弱まったのを感じて、リトはおそるおそる薄目を明けました。
浜辺を見ると、たしかにあの岩が、白く光りを放っています。

ただ、どうも“光りの鎧”とは、様子がちがうようです。

“光りの鎧”なら、クプカの体のまわりに出来るはずなのに、岩だけが光っているというのも府に落ちません。しかも岩は、フラウディーテの棺とクプカの体を乗せたまま、地上3メートルくらいの高さに、ぽっかり浮かんでいるではありませんか。

王や兵士たちも、みな一様に声をなくして“浮かぶ岩”を見つめています。

まるで、満月からこうこうと降りそそぐ無数の光りの糸が、大きな岩を、天上から釣り下げているようにも見えます。岩の下の砂浜には、墨のように焼けこげた木片のようなものが散らばっていました。どうやらそれは、放たれた矢の残骸のようです。

リトは、あわてて岩のうえの“過去のクプカ”を確かめました。あいかわらず眠ったままピクリとも動きませんが、体のどこにも矢は突き刺さっていません。


しばらくすると、王が崩折れるように膝をついて、低くつぶやきました。

「失敗したのか・・」

やがて打ちひしがれた王は、顔をあげると狂ったように叫びだしました。

「姫を、フラウディーテを早く、あの岩から降ろすのじゃ!」

しかし、いくら王の命令とは言っても、まだ飛行する乗り物など見たこともない時代の人々です。光りながら空中に浮かぶ大きな岩を目の前にして、すっかりおびえきっています。

「ええい、どいつもこいつも何という腰抜けどもじゃ!」

しびれを切らした王は、家臣たちが止めるのも聞かず、自ら岩に駆け寄りました。ところが、岩の下まで来たとき、王めがけて何かが降ってきたのです。

それは、棺やクプカを、王が岩に縛り付けさせたあの鉄の鎖(くさり)です。
鎖はもろく崩れて、バラバラと光る石つぶてのように降りかかってきます。

破片で額や頬を切りながら、それでも王は懸命に手を岩に伸ばしました。けれど、宙に浮かんだ岩にはとうてい届きそうにありません。王の身を守ろうと、数名の家臣たちが何とか王を、岩のそばから連れ戻しました。


そんな浜辺の様子を眺めながら、カプセルの中でリトが首をかしげています。

「ねえクプカ、岩はどうして宙に浮かんでるんだろ?」

「うーん、そう言われても、さっぱり見当がつかないよ。
 何しろあの時、わたしは眠らされていたんだからね。
 この光景を見るのは、わたしだって今が初めてなんだ」

たしかに、“過去のクプカ”を見ると、今も眠りつづけています。
リトはシャボン玉の中でくるりと体をまわすと、グノモンに聞きました。

「いつか君が言ってた“奇跡”って、このことだったのかい?」

するとグノモンは、とんでもないと言うように羽をばたつかせて言いました。

「リトさま、このわたくしが、
 岩が持ち上がったり、光ったりするくらいのことで
 奇跡だなんて、申し上げるとお思いですか?」

心外だと言わんばかりに、胸を反らせながらグノモンはつづけます。

「ちょっとあそこをご覧ください。
 ほら、浜辺の奥のテントの影、誰か見えませんか?」

そういえば、あれはエルテミスです。

サルグツワをはめられ、縛られたままテントの横の柱につながれて、彼もまた、宙に浮かぶ岩を遠くから、驚きに満ちた目で眺めています。


そのとき、足音をしのばせて誰かが、エルテミスのそばにやって来ました。


小間使いの娘、マイラです。彼女の手には小さなナイフが握られています。

娘は、目でエルテミスに安心するように合図を送ったあと、後ろ手に縛られたエルテミスの縄を切りはじめました。幸い、誰もが岩にくぎづけで、離れた場所にいるふたりに気づく者は、誰もいません。縄をほどかれサルグツワもはずされて、エルテミスは少しとまどいながら、はじめて出会う娘にお礼を言おうとしました。ところが娘は、手振りでそれを押しとどめると、かわりに一枚の紙きれを取り出したのです。彼女はランプの下にエルテミスを連れて行くと、その紙きれを手わたして、彼にそれを読むように促しました。


どうやらそれは「手紙」のようです。

手紙に目を落としたとたん、エルテミスの顔には、動揺が走りました。

「マイラへ」という文字が、目に飛び込んで来たからです。

それは、フラウディーテがマイラに遺した、あの最後の「手紙」でした。

読みすすむうちに、エルテミスにもこの手紙が、亡くなった王女がマイラに宛てて書いた「遺書」だということが、すぐわかりました。しかも王女は病気で亡くなったのではなく、どうやら自ら毒をあおって死んだようです。

それにしても、さっきからエルテミスの胸に突きあげてくる、この怖ろしい不安は何でしょう。それは、この「手紙」から立ちのぼってくる、何とも言えない“なつかしさ”から来るようです。文面にただよう言葉の響き、息づかい、そして筆跡、そのすべてが“エルテミスの知っているマイラ”に、あまりにも似ているではありませんか。しかも、便箋に残るほのかな香りまでもが、愛しいマイラを、エルテミスに思い起こさせたのです。

読み終えたエルテミスは、この予感が間違いであるように・・・ただそれだけを祈りながら、苦しそうに目の前にいる娘を見ました。

けれど、その目にいっぱいの涙をためながら、娘はこう言ったのです。

「その手紙の宛名になっている、
 マイラというのは、わたくしの名前です。
 わたくしは、ずっとフラウディーテさまに
 お仕えしてまいりました。

 そして、その手紙を書かれたフラウディーテ姫こそが、
 もう一人のマイラ・・・もうすでに、お気づきでしょう、
 エルテミスさまがいちばんよくご存知の、女性なのです。

 その方はいま、あの棺の中に眠っておられます」

そう言うと、マイラは震える指で、浜辺の一角をさし示しました。

その指の先には、あの光り輝く岩が浮かんでいます。
そして岩のうえには、白い棺がぼんやりと月光に照らし出されていました。


マイラ、いやフラウディーテ?・・いまとなっては、名前などエルテミスにとって問題ではありませんでした。混乱した頭の中を、出会いの朝から紡がれた思い出の風景や面影が、ぐるぐるとかけ巡って、呼吸をするのも苦しいほどです。

オレンジの木の下で最後に会った日、聖母のようにあたたかな表情でつぶやいた彼女の声が、エルテミスの耳によみがえりました。

「どんなつぐないをしても、
 この国があなたの国にしたこと
 あなたの愛する人たちを奪った事実は消せないわ。
 でも神さまは、あなたが味わった苦痛をきっと
 もうすぐこの国の王にも与えることでしょう」

いまやっと、その言葉の意味を、エルテミスは理解したのです。


つぎの瞬間、エルテミスは浜辺に向かって走り出していました。
フラウディーテが眠る棺のもとへ、空中に浮かんで光る岩に向かって・・・。

あまりにも突然のことだったので、浜辺にいた王や兵士たちにも、エルテミスを押しとどめる余裕がありませんでした。岩の下にエルテミスが立つと、鎖の破片が、やはり彼のうえにも降りかかります。ところがどうしたのでしょう。エルテミスは、少しも痛みを感じません。

それもそのはずです。

なんと鉄の鎖は、いつしか、やわらかな淡雪に変わっていたのです。

月光にきらめきながら、白い雪がはらはらとエルテミスのうえに舞っています。
光る岩から降りそそぐ雪は、しんしんと彼の髪や肩に降っては溶けていきました。


雪は、かつて彼が抱えた憎しみや痛みさえも、いっしょに溶かしていくようです。

心の底から、声にならない声をあげて、エルテミスは岩を仰ぎました。

遥かな愛しさだけを抱きしめて、棺のなかに眠る人をただ呼びつづけたのです。


彼はもはや、エルテミスでも消えた大陸のカイでもなく、

ただ透明なひとつの魂になっていくようでした。


そしてその魂は、もうひとつの魂を、祈るように呼びつづけたのです。


突然、岩に異変が起こりました。ひときわ明るく輝いたかと思うと、岩が発する光りは柱のように、空に向けて立ち昇りはじめました。まるでいまにも、その柱は月に届く勢いです。そのとき、リトが目をこすりながら不思議そうに言いました。


「ねえ、誰かあの光りの中に立っているように
 ボクには見えるんだけど、気のせいかなー」

いいえ、気のせいなどではありません。

浜辺にいる人たちも、その人影に気づきはじめたようです。


ざわめきが、まるで潮騒のように広がっていきます。


そのシルエットが、しだいにくっきりと

浮かびあがってきたとき


どよめきのなかで


王はふるえながら立ち上がり

声を限りに、その名を叫びました。


「フラウディーテ!」


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