にじ

文と絵・むらた あけみ

第19章   - iwa -


ある者は時の川をさかのぼり、ある者は奇跡の種に祈りを届け、
またある者は、流れるままにうち寄せられて、

ひとつの浜辺にたどりつきました。

太陽は、一日の終わりに烙印(らくいん)を押すように空を赤く染めたあと、はらはらと金色の吐息を海面に散らして、水平線のかなたに沈んでいきます。地上にあふれていたとりどりの色彩が、太陽とともに夢のように消えると、天空にひろげられた夜のマントが、浜辺をおおいはじめました。


入り江やテントのまわりには、ぽつぽつと灯が点されます。
けれど、浜辺にあるものの輪郭を浮かびあがらせたのは、やわらかな月の光りでした。

雲ひとつない夜空には、ひのうちどころのない満月が浮かんでいます。

それは、すべてを映す鏡のような満月です。
こうこうと青白い光りが、天の音楽のように降りそそいでいました。


月光をあびて、三つのシャボン玉が浜辺のようすを見下ろしています。

クプカとリトとグノモン、それぞれが入ったカプセルです。時空を超えた浜辺に、こうして三人が立ち合えるのも、この時代の人たちから三人の姿が見えないのも、ひょっとしたら、このカプセルの、うすく透明な皮膜のせいかもしれません。カプセルごしに、リトがかたわらのクプカにたずねました。

「ねえ、クプカはどうして、抵抗もしないで
 エルテミスや最初のリトといっしょにおとなしく
 仕切られた入り江のなかに、入ってきたの?」

催眠術にでもかかったように夢うつつだったクプカですが、満月が夜空にあらわれた頃から、ふいに正気を取りもどしたようです。

クプカは、月光のシャワーを気持ちよさそうに浴びながら答えました。

「はっきりとは覚えていないが、たしかエルテミスは
 “最初のリト”を通じて、わたしに語りかけたんだと思う。
 もともと彼が、ふつうの人間とどこかちがうことは、
 はじめて出会ったときから、気づいていたからね。
 海の生物だけにわかる波長が、彼の肉体から出ていたので
 どうしても、彼に対しては警戒心がわかなかったんだ」

「それで、エルテミスはクプカになんて言ったの?」

「彼はじつに正直だったよ。
 ありのままをわたしに語って聞かせたんだ。
 王が、死んだ王女を生き返らせるために
 わたしの不死身の能力を利用したがっていること。
 協力してくれたら、入り江に捕らえられているウミガメを
 逃がしてあげられるかもしれないが、それも保証はない。
 おまけに、王が何を考えているのか見当がつかないから、
 ついてこない方がいいかもしれない、とまで彼は言ったんだ」

「それでも、クプカはついて行ったのかい?」

あきれたようにリトが言うと、浜辺に置かれた水槽を見下ろしながら、
クプカは、しずかに答えました。

「リト、いますぐは理解できないかもしれないが、
 いつかきっと、きみにもわかるときがくるよ。
 どんな痛みや暴力よりもおそろしいのは、
 愛する者をうばわれることなんだ・・」

たしかに、リトにはよくわかりませんでした。

ただ、浜辺に置かれた水槽のなかのウミガメが、クプカにとってかけがえのないウミガメだということだけは、なんとなくわかります。


見ると浜辺では、エルテミスが王に、何かを伝えているところでした。どうやら、にじ色のコウラのウミガメが、水槽のなかのウミガメを逃がしてくれることを条件に協力すると言っていることを、王に伝えているようです。

『いったいどうやって、エルテミスはウミガメを説得したのか?』

それは、王にとっても大きな疑問のはずですが、いまはそんなことよりも、一刻も早く娘のフラウディーテを生き返らせることが先決です。

王はうなずくと、兵士に命じて水槽からメスのウミガメを運び出させ、波うちぎわに放ちました。放ったとは言っても、まだ入り江という大きなオリの中です。それでも、月光をあびて二頭のウミガメは、うれしそうに夢中で寄りそっています。


テントをふりかえり、王は家来たちに何かを命じました。

白い棺(ひつぎ)が数名の兵士にかつがれ、テントの奥から浜辺に運び出されてきます。外から姿は見えませんが、それはもちろん、フラウディーテの棺です。小間使いのマイラが、青ざめた表情で姫の棺をじっと見つめていました。


棺は、平らで大きな浜辺の岩のうえに、置かれました。

そのときです。シャボン玉の中のリトの心に、ある情景がよみがえりました。棺が置かれた岩のカタチに、見覚えがあったのです。それは、エルテミスとフラウディーテの思い出につながる、なつかしい岩ではありませんか。

あの“出会いの朝”、エルテミスはこの岩影に寝そべっていたのです。

天使のような歌声にめざめた彼は、波とたわむれる少女フラウディーテの姿に、その時はじめて出会いました。そして、ふり返ったフラウディーテもまた、まぶしそうに自分を見つめるエルテミスに気づいたのです。

“永遠に重なる一瞬”があることを、

ふたりは、この岩をはさんで、はじめて知りました。


あの朝と変わらない波の音が、いまも入り江には響いています。

それなのに、朝の光りをあびてキラキラと輝いていた、バラ色の頬をした少女はもういません。微笑むことも歌うこともできない冷たい体になって、思い出の岩のうえで、白い棺のなかに身を横たえているのです。

光りのベールをそっとかけてやるように、しんしんと月の光りが、フラウディーテの棺の上に降りそそいでいました。


棺を目にしたとたん、ふたたび痛みのような哀しみが王の顔に走ります。そのようすを、エルテミスは複雑な気持ちで眺めていました。

かつてこの王によって、エルテミスは家族を皆殺しにされたのです。
あの時の自分のように、もっと苦しめばいい。
そう高らかに笑いたいはずなのに、どうして心は晴れないのでしょう。

もちろんエルテミスは、岩のうえに置かれた棺のなかに横たわる人が、自分にとってもかけがえのない、最愛の人であるということを、まだ知りません。復讐を誓い、スキがあれば王の命を奪おうと考えてきたのに、悲しみにくれる王を目にしたとたん、どこかで許しはじめている自分がいることに、エルテミスはとまどいを感じていました。


やがて王の瞳にふたたび力が甦ります。

悲しみに打ちひしがれている時ではない、姫を甦らせるのだという希望が、おそらく彼を突き動かしているのでしょう。

「にじ色のウミガメの生き血を
 姫に飲ませたい。血を分けてくれるよう、
 そちから、にじ色のコウラのウミガメに頼んでくれ」

エルテミスが王の望みを伝えると、クプカよりもメスのウミガメがひどくおびえました。彼女を落ち着かせてから、過去のクプカはひとり、波うちぎわにあがってきます。


浜辺を見下ろしながら、グノモンがクプカにたずねました。

「クプカさま、あのときのお気持ちはどんなだったのですか?
 自分の生き血に蘇生(そせい)の力があると、
 クプカさま自身、本気で思われたのでしょうか?」

すると、クプカは首を横にふりました。

「いいや、そんな力があるとは到底、思えなかったよ。
 ただ、それが王の望みであるならば、
 とりあえずは協力して納得させるしかないと思ったのだ。
 入り江の外の自由な海に、またふたりで帰るためにね」


砂浜に上がった過去のクプカのまえには、意外なものが運ばれてきました。餌(エサ)です。ただし、その餌には、眠り薬が調合されていました。王の説明によると、血を採取するために刃物をさしたとたん、例の“光りの鎧(よろい)”が現れては、手も足も出せなくなる。だから、まず眠ってもらいたいというのです。クプカは、覚悟を決めたように餌をぜんぶ平らげました。眠り薬が効いたのでしょう。やがてつつかれても、ピクリとも動かなくなりました。いよいよつぎは、血を採る番です。


ところが、どうしたのでしょう。浜辺のようすがどうもへんです。

血を採るだけなら、少しの人と一本のナイフでこと足りるはずなのに、たくさんの兵士がクプカの周りに集まってきたではありませんか。

物々しい雰囲気の浜辺を見下ろしながら、リトが不安そうに言いました。

「ねえ、なんだかおかしいよ。血を採るだけなんでしょ?」

リトの疑問に答えたのは、クプカではなくグノモンです。

「リトさま、はじめから王は、
 生き血などに興味はなかったのですよ。
 クプカさまの不死身の力、命を復活させるパワーは、
 あの“光りの鎧”にこそあると、
 エルテミスの話しから、にらんでいたのです」

「えっ!だって、あの“光りの鎧”は、
 クプカが瀕死の状態にならないと現れないはずでしょ?
 それに、アレが現れたら、誰も近づけなくなるんだよ!」

「その通りです。だから王は
 いちかばちかの方法を考え出したのです。ほら、ごらんなさい」


グノモンにうながされて浜辺を見ると、眠ったままのクプカの体が、何人もの兵士たちにかつぎあげられて運ばれていきます。

いったいどこへ行くのだろうと見ていると、フラウディーテの棺が置かれた、あの大きな岩の方に向かっているではありませんか。

おなじ岩の上に、フラウディーテの棺にぴったりと寄せるように、クプカの体は並べられました。つぎに用意されたものは、たくさんの兵士がひきずるように浜辺に運んできた、頑丈な鉄の鎖(くさり)です。岩のところまで運ばれてきた鎖は、岩ごと棺とクプカの体に、ぐるぐると巻き付けられていきます。

「いったい、何をなさろうと言うのですか!」

エルテミスが、おどろいて王に詰めよっています。

「見ての通りだ。姫の体とあのウミガメの体を、ひとつところに
 固定したうえで、離れた場所からあのウミガメに矢を放つのじゃ。
 さすれば、きっとあの“光りの鎧”が現れるであろう。
 光りの鎧を目撃した者の話しによれば、
 あの岩の大きさくらいは、優にあると言う。
 きっと光りのパワーが、姫の命を甦らせてくれるはずじゃ」


ただごとではない雰囲気を感じ取ったのか、メスのウミガメや入り江のイルカたちが、はげしく動揺しはじめました。その感情の波動が、カプセルの中のリトにもひしひしと伝わってきます。浜辺では、エルテミスがなおも王に抗議をつづけます。けれど、そんなことが取り上げられるはずもありません。エルテミスは兵士に取り押さえられ、後ろ手にしばりあげられたうえ、海の生きものに通じる言葉を口走らぬようにと、サルグツワまではめられてしまいました。


満月がしだいに、岩の真上に近づいています。

浜辺では、岩を遠巻きにしながら
矢の名手たちが、過去のクプカの額に狙いを定めています。

満月が、もう少しで、岩の真上です。

王が緊張した面持ちで、矢を放つ合図を出そうとしています。

とうとう満月が、岩の真上に来ます。

王の手があがりました。

満月と岩は、天と地上をむすんで

いま一直線に重なりました。

←第18章 I 第20章→



<--絵本Cafeへもどる

<--Back to home