クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第七章 きいろい果実
「あ、飛んでる!」
目を覚ましたリトが、最初に感じたのは“空を飛んでいる”という浮遊感でした。
クプカといっしょに時間旅行をしていれば、空中に浮かぶなんてことは、ごくふつうのことです。だから飛ぶこと自体はそんなに珍しくないのですが、その“飛びかた”が今回は、いささか変わっていました。ふたりは、大きな鳥の“からだのなか”に入って飛んでいたのです。
しかも、ガラス細工のように全身すき通った、それは世にも奇妙な鳥でした。かたちも風変わりで、翼は、遠い旅をするオオハクチョウに似ていますが、足のつめは、獲物をすばやく捕らえるタカのよう。そして顔は、空を飛べずに絶滅したと伝えられるドウドウという名の鳥に、どこか似ていました。
堅いガラスのように見えた鳥のカラダは、じつはゼリーのようにやわらかで、乗りごこちはなかなか快適でした。まるで、なめらかな水のなかに、プカプカ浮かんいるような気分です。大きな翼をしなやかにバサッバサッと大きくはばたかせながら、ぐんぐん風をきって、鳥は大空を飛んでいきます。
翼がはばたくたびに、太陽の光りが反射して、キラキラかがやきました。
鳥のからだがすき通っているおかげで、外の景色が手にとるように見えます。びゅんびゅん飛び去って行く地上の風景に、リトはただただ、目をうばわれていました。
それにしても、なんという速さでしょう!
海のうえを飛んでいたかと思うと、こんどは雪を頂く高い山脈を飛びこえ、広い平原に出たかと思えば谷をわたり、きらめく湖や砂漠をこえて、あっという間にみどりゆたかな森のうえを飛んでいる・・といった具合です。
どうやら透明な翼は、ひとはばたきするだけで、とてつもない距離を、ふわりと飛びこえてしまうようです。
「クプカ、この鳥いったい“なにもの”なんだろう
ボクたち、こんどはこれからどこに行くのかなー」めまぐるしく変化する風景を見すぎて、すこし目がまわったリトは、からだの向きを変えながら、クプカにたずねました。
ところが、クプカは目をとじて、何やら考えこんでいます。
「ねえ、クプカ・・」
ちかづいてクプカにふれたとたん、リトはびくっとしました。にじ色のコウラが、こきざみにふるえていたのです。
しばらくすると、ようやくクプカが話しはじめました。
「この鳥がなにものなのか、いったい、どこに向かっているのか、
まったくけんとうがつかないんだよ・・」この言葉には、さすがにリトもおどろきました。
「けんとうがつかないって、どういうこと!?・・だって
ボクたちはいま“クプカのむかし話”のなかを旅しているんだよ。
だったら、クプカの知らないことなんて何も起こらないはずでしょ?」「うん、たしかに、そのはずなんだが・・・
あの広間にもどったときから“なにか”がちがいはじめたんだ」「なにかがちがいはじめた?」
「自分の思い出と“どこかがくいちがってる”って感じたんだよ。
どこがどうちがうのか、はじめはよくわからなかったけれど・・」
「それで、わかったの!?」
「ああ、鏡さ。広間にかかっていたあの大きな鏡。
あんなものは、わたしの記憶のなかにはどこにも
けっして存在しなかったものなんだ」クプカは、あの鏡を見たのもはじめてなら、むらさき色の霧もはじめて。
当然、この奇妙な鳥に出会うのもはじめてだと言いました。
いったいそれはどういうことなのか・・クプカもわからないのですから、リトには、とうてい見当もつきません。ただ、目のまえにいるクプカが、とほうに暮れ、ひどく動揺していることだけはわかりました。そして、そんなクプカを見るのは、はじめてだったのです。
まるで流れ星が夜空をかすめるように、リトの心のスクリーンをクプカとの思い出が、つぎつぎによぎりました。
リトの父親<先代のリト>は、捕らえられたなかまたちを、人間の巻き網船から救おうとして、けんめいに網をやぶり、なかまたちを自由にしたあと、船のスクリューに巻き込まれて死んだそうです。人間はときどき、イルカを見せものや研究の対象としてつかまえたがるのだと、いつかクプカが話してくれました。
リトの母親は、リトを産んですぐ、おそろしい病気にかかって死にました。おびただしい数のアザラシやイルカの死体といっしょに、ある朝、浜辺に打ち上げられたのです。人間が海に流した、大量の工業廃水にふくまれていた、化学物質が原因でした。
クプカがいなければ、リトもそのとき、まちがいなく死んでいたでしょう。赤ちゃんだったリトは、クプカに抱きかかえられ水のきれいな海域に運ばれて、ありとあらゆる手当てを受け、なんとか一命をとりとめたのです。あの日からクプカは、大きくしずかに・・リトを見守りつづけました。
『こんどはボクの番だよ・・』
リトは、心のなかでそうつぶやいたあと、前のヒレで自分のむねをポンとたたいて、げんきよくこう言いました。
「へっちゃらだよクプカ、ボクがついてることを忘れないで!」
そのリトの言葉に、クプカはハッとしたように顔をあげました。
あの甘えん坊のリトが、こわがりだったリトが、いま自分をはげましてくれているのです。
「これでやっと、ボクたちおんなじだね!・・だって、
これからどこに行くのか、クプカも知らないんでしょ?でもさー
わからないってなんかワクワクするよね!そう思わない?」リトは目をかがやかせて、鳥のくちばしのはるか前方に、どこまでも広がっている青い空を見つめながら言いました。やはりイルカは、どんなときにも楽しみを見つけだす名人のようです。白い雲が鳥のからだにぶつかってはとび散って、流れ去っていきます。
「うん、だんだんワクワクしてきたよ。こんな気分は、いったい何百年ぶりだろう・・」
クプカが笑いながらこたえました。コウラも、もうふるえてはいません。過去を旅していたはずなのに、いつのまにか謎にみちた未来が、青い空のかなたにひろがっているようです。
どれくらい飛びつづけたでしょう・・突然、鳥のはばたきが、しだいにおそくなりました。どうやら、どこかに着陸するようです。
下を見ると、熱帯の植物が生い茂るジャングルがつづいています。いったいこんなところに、何があるというのでしょう?鳥ははばたくのをやめると、翼をまっすぐに広げて、まるでグライダーのように滑空をはじめました。
前方に、ジャングルの一部がこんもりと盛り上がっているのが見えます。そのあたりにきたとき、鳥はクルクル旋回しながら下降しはじめました。地上に近づくにしたがって、あざやかな“きいろ”が、シグナルのように目に飛びこみます。よく見ると、それはたわわに実った果実のようです。大きなヒョウタン型のつややかな、きいろいくだものが、つる状のくきに点々と広い範囲で実っているのが見えました。
甘くおいしそうな香りが、風にのってここまでただよってきます。
鳥は、大きな枝のうえに降り立ちました。着陸の瞬間ゆさっゆさっとゆれましたが、ゼリーのようなものに包まれているおかげで、それほどの衝撃はありません。ただ、鳥がきいろい実をついばみはじめたときには、さすがにふたりともあわてました。鳥がなにかを口に入れるということは、なかにいるふたりの頭のうえに、それが落ちてくると思ったのです。けれど、どうやらだいじょうぶだったようです。
きいろい実は、鳥のからだに入るとすぐに蒸発して、全身にいきわたるらしく、ふたりのうえには芳醇な甘いフルーツの香りと、すーっとさわやかになるおいしい空気が、さらさらとふりそそぐだけでした。鳥のからだは実を食べるたび、いっそうすき通っていくようです。
そのとき、突然リトが大声をあげました。
「クプカ見て、あそこ!」
鳥が食べ終えた実のあとに、何かが浮かびあがっています。
きいろい実のしたにかくれていたものが、
そとにあらわれ出たのでしょう。
「これは!」
浮かびあがったものを見たとき
ふたりはおもわず息をのみました。