〜祈りとともに〜

岡山・総社市にある備中国分寺の五重塔
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2011年8月
東日本大震災からはじめてのお盆です。
震災や津波で突然に奪われた、たくさんの命。目を閉じると幾千もの灯篭流しの灯りが、ゆらゆらと波間に瞬いて浮かんできます。すべての魂がどうか安らかな世界にたどり着けますように…心の岸辺から祈るばかりです。
・・・あの日(3月11日)から何らかの影響を受け、生活など大きく変化した方きっと多いことでしょう。クプカ家のふたりと一匹にもいろいろな事が起きました。
テラス(クプカの掲示板)をご覧になっている方はすでにご存知のことですが、震災後の五ヶ月ほどのクプカ家の出来事をまとめて、森便りにも記録しておこうと思います。
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3月11日の那須連山(郡山に向かう途中で撮影)
この写真の撮影時刻は午前10時31分となっています。 途中で車を停めてわざわざ撮った ということは良いお天気だったのでしょう。 それなのにこの数時間後、郡山のメインストリートで
あの巨大地震に遭遇。そして、その後、猛烈な吹雪が郡山の町に舞い狂いました。
いま思えば、ちょうど津波が沿岸に押し寄せていた頃ではなかったか...と思います。郡山では真横に振る雪に大地震の後、通りに出て 身を寄せ合い、途方に暮れている人々は震えていました
(まだ、あの時点では何も知りませんでしたが)
あんな恐ろしい雪は、人生ではじめてでした。
激しく舞い狂った雪のひとひら、ひとひらが
失われた尊い命の叫びだったようにも思えます。
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3月11日・郡山市内にて
地震の時、私(あけみ)は近くにあった信号のポールにしがみついてしゃがみ込んでいましたが、周りが古いビルばかりの地区だったので倒壊してこないか、ガラスが割れて降ってこないか?私をかばって気を配ってくれていた夫(おさむ)は、地面がふくれあがり歩道の敷石が波打って白い煙のようなものが吹き上がるのを見たそうです。
地震はとにかく長かった(2〜3分)途中からが大きな横揺れになり二度ほどピークが来たと思います。本震がおさまった後、車を停めた地下駐車場に戻ったら、立ち入り禁止。仕方なく、地図をたよりに防災公園に避難しましたが、雪も激しくなって寒さが大変。情報もなく不安でした。ひっきりなしにサイレンが鳴り響き、余震が何度もありました。
夕刻になってようやく駐車場に誘導してもらえました。天井のコンクリートがところどころ落ちていましたが、幸いうちの車は無事。すごい渋滞の中、深夜に那須の我が家へたどり着きました。
家は無事でしたが室内はモノで散乱。停電していたので、キャンピングカー用の発電機を使い、家の中を片付けたり、つけたテレビで津波のニュースをはじめて目にして....声をなくしました。
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震災前から決まっていた四月の三人展(倉敷)開催のため
一ヵ月後には、倉敷に向け那須を発つ予定 でした。
ところが震災直後に、福島原発事故発生
自分たちが暮らす那須が、福島原発からそう遠くないことは知っていましたが、88キロほどしか離れていないことに気づいたのは、事故が発生した直後のことでした。祈る思いでニュースを見ていましたが
3月12日には一号機、14日には三号機も水素爆発
という非常事態となり、倉敷に住む夫の両親や妹たちも心配するため、予定を一ヶ月早め、
15日の朝九時にキャンピングカーで那須を発ちました。
ただ、一緒に連れて行く予定だった猫のビヤ(半・外猫飼い)が、震災の影響もあってか?森に出かけたまま、この朝、いくら待っても呼んでも戻って来なかったため、やむなく留守中のエサ(自動エサやり機)を満タンにしてテラスの猫小屋近くに出し、その後のエサの補充は近所の知人に頼んでの出発となりました。
※後になって発表され知ったことですが、15日の午後にはかなりの量の放射線が那須にも降ったようです。
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↑東京まで来ると、サービスエリアで東北方面に向かう自衛隊の車両に多く遭遇しました。東名高速では、反対車線をひっきりなしに赤色灯を点滅させながら、緊急車両の列が東京方面に向け走り去るのとすれ違い、不穏な雰囲気が漂っていました。
15日の夜は静岡(中井P.A.)にキャンピングカーを停めて一泊。ただ夜にまたもや震度6弱の地震!幸い揺れた時間が短く大丈夫でしたが、一瞬、ひやりとしたものです。
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倉敷に到着
3月30日
心臓の手術を受ける(Akemi)倉敷にて
私(あけみ)は、20代くらいから、頻度は多くないのですが安静時でも突然に脈拍が170以上になり、その状態が20分から一時間くらいつづくと胸が痛くなったり頭痛がしたりする症状がありました。体質だとあきらめていたのですが
2010年の秋に、倉敷の心臓の専門医に看てもらったところ『発作性上室性頻脈(頻拍)』という不整脈の一種らしいと診断され、カテーテルによるアブレーション治療(手術)で治すことが可能と分かりました。ただ、なかなか機会がなくそのままになっていました。
ところが今回、思わぬアクシデント(原発事故)により、早めに倉敷入り。時間が出来たので、思い切って心臓手術で定評のある倉敷中央病院に行ったところ、スグに手術をしてもらえることになり(普通は何度も検査したり待たされるところですが)こんなチャンスはない!とお願いしました。
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思ったより大変でしたが無事、成功。
長年の症状から開放され幸運でした♪

手術を受けた倉敷中央病院
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4月12〜17日
震災前から予定していた、村田收(絵)香葉(書)あけみ(詩)の三人による展示会を無事に開催することが出来ました。
三人展の様子はココをクリックしてご覧ください。
展示会終了後、
大阪の父の十三回忌のため関西に立ち寄ったのち
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震災から一ヶ月でしたが沢山いらして下さいました
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5月9日 那須に一時帰宅
ケガをしたビヤと再会!
留守中、知人に補充してもらっていた自動エサやり機の減り具合は、かなりハイペースだったので、おそらくビヤ以外の猫も食べてる?...とは想像していましたが、ビヤも当然食べているだろうから...と思っていました。
ところが、那須の家に着いて名を呼ぶと、ビヤのこたえる声がすぐに聞こえ・・よかった、いてくれた!とよろこんで駆けていくと、そこに居たのは確かにビヤですがすっかりやせ細り(半分以下の体重になり)
しかも、いつ頃ケガをしたか不明ですが、首輪に何かのはずみで左足が入り、タスキがけになった状態のまま首輪が外れなかったのでしょう。歩くうちに切れたのか、脇の下のところに深く大きな傷を負っていました(事故防止機能付きと銘打った首輪をつけてはいたのですが…)
すぐに那須で行きつけの動物病院で手術をしてもらい治療。抜糸は岡山の病院でしてもらうことにして、ビヤも一緒に岡山に連れて行くことに。

ビヤを乗せたキャンピングカー(osamu運転)を、
エスクード(akemi)で追走。二台でふたたび岡山へ
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5月14日 ビヤと共にふたたび岡山へ

富士山とご対面☆
原発事故が収束すれば、また那須にもどり暮らす予定でしたが、残念ながらいっこうに収束のめどがたたないどころか、不安要素がどんどん明るみに出るばかり…こういう状況下では、何が一番よい方法なのか?結局、誰にも分からないでしょう。
ただ色んなことを調べたり勉強すればするほど、マスコミや政府の見解を鵜呑みにしていてはダメだと感じざる得ませんでした。
それぞれの家庭がそれぞれの基準で判断するしかないと思います。ただ私たちは当面、夫の実家がある岡山に移り住むという結論を出しました。
それと、転居を決めた理由は
原発問題だけでもありませんでした。
那須と岡山は遠過ぎます。夫の両親も高齢になったので(母80・父90才)そろそろ近くに移り住んだ方がいいのではないか?...と、震災前から考えはじめてもいました。その計画が原発で、数年ほど早まったことになります。
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5月17日 岡山に到着
笠岡&総社&倉敷....岡山の暮らしスタート

運河沿いの遊歩道より(笠岡)
一時帰宅する前に決めておいた仮住まいは、岡山県笠岡市にあり(のんびりとした良いところでしたが)ペット不可。ふたりと一匹で暮らせる住まいが見つかるまでの間、とりあえずは岡山県総社市にある夫の妹夫婦の家と、笠岡、それに倉敷の実家を行き来しながら、岡山暮らしがスタートしました。
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ビヤは倉敷の病院へ
那須で縫合してもらった傷口の抜糸に連れて行った倉敷の動物病院ですが、ヒフの状態も栄養状態もまだ悪く傷がつかないので、1週間入院しました。

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ふたりでビヤの包帯交換やシャワーによる傷口の洗浄など毎日しながら、一方で住まい探しもつづけました。ただ猫と同居するとなると思いの外むつかしく、ビヤの傷口の湿潤治療も思ったほど効果があがらないので…慣れない暑さのなか、疲れはたまっていきました。
ビヤも、よくガンバッタね!
家族(夫の両親や妹たち一家)みんなの応援があったから、何とか乗り切れたと思います。あらためて親戚がそばにいる心強さも感じながら二ヶ月ほどが過ぎました。
二ヶ月つづけた湿潤治療でしたが、その間に体重はかなり増えたものの、あまり効果がないので、ヒフ移植をしてもらうことになりました。
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7月22日 ヒフ移植手術
ビヤ自身のヒフを一部切り取って傷口に移植するというもの。縫合しづらかったり傷口が大きい場合には行われるので、かなり期待したのですが、

ヒフ移植直後のビヤ
残念ながらヒフがちゃんと着かず、うまく行きませんでした。ただ、最新医療で出来ることは、ひととおり全部して頂いたコトで、私たちも覚悟が出来ました。
包帯とカラーを付けたままこれ以上、治療が長期化すると猫には負担が大き過ぎ、ストレスで免疫力も上がりようがないでしょう。
ちょうど岡山市内に古家が一軒見つかり、気に入ったので購入。引っ越すタイミングとも合致しました。
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7月30日 お引越し
〜岡山市内にある 昭和レトロな家へ〜

お気に入りの場所も見つけて
引越しの前日に、カラーも包帯も外したところ、ラクになったのか急に元気になり、引越し当日には、新居(...といっても古家ですが)の床の間の高い所(2メートル近い)にぴょんと、飛び乗ったのには驚かされました。
いまは、この出窓の部分がビヤのお気に入り。外に見える風景は那須と全然ちがいますが、静かで気に入ったようです。
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引越しから一週間ほどで傷口もかなり綺麗になってきました。猫本来の舐めて治す方法が、ビヤには一番、合っているのかもしれません。
昭和レトロな家のなかを探索するのが
今のビヤのマイ・ブーム♪
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