【エッセイ】

樹木の肖像

Essay & Photo by Akemi Murata


  森に暮らしはじめたら、木が「隣人」になった。
 
 森を歩いていると、森を構成している樹木のディテールが、しだいに細部まで見えはじめる。枝ぶり、木肌、葉のカタチ、香り、大きさ....ひと口に「木」と言っても、おなじ木は一本として存在しない。「いったいどうしたら、こんな枝ぶりになるんだろう?」思わず首をかしげたくなるような木にも時おり出会うが、圧倒されるような「木の個性」は、単に品種の差異といった「特徴」から発しているのだろうか?いや、そうは思えない。むしろ、もっと本質的な「木の内面から放たれるオーラのような何か」が、それぞれの木に、個性や景色、感性までも与えている気がする。


 たとえば、すぐれた肖像画が、単なる姿カタチだけではなく、そこに描かれている人物の性格や、過ごしてきた人生までも想像させてくれるように、森で出会った一本の木が、じっと見つめているだけで、かつてその木が味わったであろう苦痛や、風、雨、太陽との関わり、まわりの動植物たちと過ごした日々や、物語までも空想させてくれることがある。そんな味のある「隣人」たちに森のなかで出会うと、まるで魔法にでもかかったように魅入ってしまう。

 もの言わぬ木から、無数の言葉、あるいは音楽のような何かがほとばしって来るのは、そんな時だ。そしてその感覚は、眠っていた記憶の森の琴線をつま弾き、かつて木と触れ合った、遠い子供時代の匂いや感覚、忘れていた感触までもそっと揺り起こして行く。

 

 私が生まれ育った家は、郊外の住宅地にあった。大自然の中とか森で育ったわけではないが、田舎だったから庭もあり、庭にはいろんな木々も植えられていた。家そのものも古い木造家屋だったから、生まれてから引っ越すまでの子供時代を、木の香りや木肌の感触にすっぽり抱かれて育ったことになる。つくづく幸せな子供時代だったと思うが、その頃はそれが日常だったから格別ありがたいとも思わなかった。ただ、小学校の途中で都会に引っ越し、新築したモダンな鉄筋コンクリートの家に移り住むと、なぜか私だけ体調に異常を来しはじめた。

 引っ越し仕立ての頃は、洋風のベランダや白い壁、ベットのある部屋に無邪気に喜んでいたのだが、はっきりとした原因も分からないまま何となく不安定になり体調も戻らないので、学校に通いながら病院に通う期間が結局、一年近くもつづいただろうか。やがて症状はすこしずつ治まったが、「あれはいったい何だったんだろう?」と今ふり返ると、ひとつには生まれてからずっと、自分を見守りつづけていてくれた庭の木々や緑、木造の家のぬくもりがなくなったことも影響していたのではないかと思う。

 救われたのは、転校した先の小学校が、たまたま古い木造校舎のままだったことだ。生まれ育った家を思い出させてくれるような、木造校舎の廊下や床は、使い込まれ磨き込まれて飴色に鈍く光っていた。それらは子供たちが駆け回るたび、ぎしぎし音を立てて軋んだけれど、コンクリートの壁やビニールタイルの床とは違い、転んだりぶつかっても、木肌のクッションは、あたたかくやさしかった。


 校内の木目のなかでも、階段についている広い手すり部分は、特にぴかぴかだった。その手すりがある階段を降りる時は、多くの子供が、みぞおちの辺りを手すりに押しつけるようにして一気に滑り降りたものだ。きっと代々の生徒たちの汗がワックスのようにすり込まれ、子供たちが滑りつづけることで自然と磨きあげられたのだろう。その手すりの木肌は、まるで子供たちに愛された勲章のように、全校舎の中でも格段のつややかさと輝きを誇っていた。

 木造校舎の掃除は、大変な面もあったがけっこう楽しくもあった。窓の右と左の窓枠にそれぞれ腰掛け、友だちとお喋りしながらガラスを磨く。教室や廊下の床は、油びきする日以外は毎日、水拭きさせられたが、バケツに水をくみ、素手で雑巾をしっかりしぼる。水が冷たい冬などは、しぼり切らないでいビショビショの雑巾に足を乗せて拭こうとする、無精者の男子もたまに居たが、たいていはみんな競争するように雑巾をしぼっては木目にしたがって両手をそろえ滑走したものだ。雑巾のしぼり方、季節による水の冷たさの変化、木の性質を考えて掃除する術(すべ)、拭き終わった後の爽快感など....あの木造校舎の掃除風景が、日本の子供たちに教えたことは計り知れないと思う。あの日、掃除を終えて光っている廊下や床は、なんだか笑っているようだった。


 その愛すべき木造校舎も、私が中学に入学した年ついに建て替えられた。そして入学した中学も、何年か前にすでに鉄筋コンクリートの建物に変わっていた。灰色の四角い箱に詰め込まれ、床は冷たいビニールタイル、窓枠はアルミサッシ、合板の机にパイプ椅子.....という、今では当たり前の学校建築だが、受験戦争を控え、いっそうコンクリート造りの校舎は無味乾燥に見えたものだ。

 校内暴力、イジメ、すぐに切れる子供たち.....そんな言葉をニュースで耳にしない日はない。原因はいろんなことが複雑に絡み合っているのだろう。いま大人たちがやるべきことはいっぱいある。ただ、その中のひとつの手段として、これから校舎を建て替える計画がある学校には、思い切って「木造校舎に戻してみては?」と提案したい。もちろん、日本のすべての建築を木造に返すのは、森林破壊にもつながるし無理だろう。けれど、校舎だけなら何とかなるのではないか、何も完全なる木造建築にすることはないのだから.....耐久性に関しても、かつては鉄筋コンクリートの優秀性がもてはやされたが、今ではさほどでもないことが分かってきた。むしろ、木造建築の優秀さが見直されて来ている。少なくとも、子供たちが目にし触れる場所だけでも、伐られても生きつづけ呼吸している自然素材にしてやりたいものだ。そうすれば、「きっと木が助けてくれる」笑われそうだが、私は真面目にそう信じている。



 森に暮らすようになって前以上に、森や木について考えることが増えた。地球の陸上を見ると、水の不足する地域は砂漠となり、少し湿ったところで草原、さらに湿ると草原に樹木の茂るサバンナとなり、それより温潤なところでようやく森林が誕生する。森林が成立する温潤な条件を兼ねそなえた土地は、地球上の陸地の中でもわずか三分の一に過ぎないそうだ。その貴重な三分の一の中に日本がある。しかも、日本は小さな島国なのに、南北に長いおかげで豊かな気候に恵まれ、亜熱帯雨林、照葉樹林、落葉広葉樹凛、常緑針葉樹林という、何と四つものタイプの森林を持っている。そんな贅沢な国は、この星の上においてごくマレだが、一体そのことの素晴らしさに気づいている日本人が、どれほどいるだろう?

 樹木から放出されるフィトンチッドの香りが安らぎを感じさせ活力を与え、葉から放出されるテルペンの効用も検証されている。森林浴という言葉も海水浴と肩を並べるほどメジャーになった。けれど、まだまだ解明されていない目には見えぬ神秘が、森や木には隠れている気がする。森のなかで木に対峙していると、自分自身の体の機構もしだいに変化するような気がするのは錯覚だろうか?森で深呼吸すると、呼吸器官だけでなく皮膚の細胞のひとつひとつも開いていくような気がする。


 樹木がもつ神秘の力は、おそらく昔の人ほど今の我々より敏感に気づいていたのだろう。木のパワーは、古くから宗教や哲学的思考とも関わりが深い。釈迦が悟りをひらいたのは菩提樹の木の下だったし、孔子は楷(かい)の木の下で教えを説き、ギリシャの哲人たちの思考を見守ったのは鈴懸(すずかけ)の木だった。どうやら木は、かなりたいした「隣人」なのかもしれない。

これから、私はどんな隣人たちに出会い、何をもらうだろう。
森の美術館で「樹木の肖像」を、のんびり訪ね歩きたい。

「きっと木が助けてくれる」

笑われそうだが、やっぱり私は、

いまも真面目に、そう信じている。





Comment


以前にも、幼い日の原風景とも言うべき
思い出の中の一本の木との関わりを、エッセイ「遠い木の声」
記したことがありますが、木は今もかけがえのない隣人であり友人です。

彼らへの尊敬を取り戻したとき、森の国ニッポンは、
きっと本来のあるべき心を取り戻すでしょう。

それは決して、安っぽい懐古趣味やノスタルジアではなく
もっとも新しい、思想の幕開けだと思います。


Akemi




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