にじ

文と絵・むらた あけみ

第12章  暦 - koyomi -


グノモンにみちびかれてカベの近くまでくると、かたいカベだと思い込んでいた部分に、とつぜん波紋がひろがりました。まるで、しずかな水面にだれかが石をほうり入れたときのようです。もりあがった波の輪の中心から、すこしずつ穴があきはじめます。穴は、みるみる大きくなって“入り口”に生まれかわりました。その入り口をくぐって、グノモンが向こう側に消えました。

こうなっては、クプカたちもあとにつづくしかありません。

くぐりぬけるとき、リトは丸い鼻先で、入り口あたりのカベをつっついてみました。すると、カベはくすぐったそうに“ぶるるん”とふるえたではありませんか。心なしか、ぬくもりさえつたわってくるようです。


目のまえにあらわれた部屋は、最初の部屋と同じく円形でした。ただ、もっとずっと小さくて、どこもかしこも深いコバルトブルーに染まっています。

まるで博物館のガイドのように、グノモンが言いました。

「こちらのお部屋は“暦の間(こよみのま)”と申します」

「こよみの間?こよみって、人間がつかうカレンダーのこと?
 だけど、部屋のどこにもカレンダーなんてかかってないよ・・」

リトがそう言ったとき、とつぜん部屋がグルグルとまわりはじめました。

「さあ、はやくコレにお乗りください!」

いったいいつのまに、乗り込んだのでしょう・・・見ると、水滴のカタチをした“銀色の乗り物”のてっぺんから頭をつき出して、グノモンがふたりを呼んでいます。

部屋の回転はどんどん加速していました。あわてて、クプカたちもとび乗ると、

「はっしーん!」

グノモンがすぐに叫びました。発進と言っても、ハンドルのようなものも操縦席らしきものも見当たりません。ただ数回、グノモンが手旗信号みたいに羽をばたつかせただけです。でも、どうやら本当に発進したようです。はげしい衝撃がカラダにつたわってきました。

「ひゃーっ! ちょ、ちょっと、どこに行くの?」

からだをのけぞらせながら、リトがたずねました。

「ご心配いりませんよ。べつに遠くへ行くわけではございませんから」

のんびりとした口調でグノモンは、話しつづけます。

「この部屋は “部屋ぜんたいがカレンダー”なんですよ。
 ・・つまり、われわれはカレンダーをめくるために、
 このマシーンに乗り込んだというわけです。論より証拠、
 とりあえずは、寝そべって天井でもご覧になっていて下さい」

そう言われなくても、リトたちは寝そべるしかありませんでした。

何しろ、遊園地のジェットコースターに、ベルトでしっかり固定されたように、ものすごい重力が全身にのしかかってきたのです。

ただ、不思議とカラダはすぐになれ、とてもラクになりました。

銀色の乗り物のなかは、ちょっとプラネタリウムに似ています。ドーム型の天井に星空が映し出されるあのプラネタリウムです。乗り物は、外から見ると銀色でしたが、中から見ると透明で、“暦の間”の天井部分に映し出される映像のなかを、自由に滑空しているような感じです。

じっさい、さいしょに目に飛び込んできた光景は、広大な宇宙空間でした。

「さあ、ごらんなさい!
 カレンダーの一枚目は、太陽月(たいようつき)です。
 宇宙のひとすみ、銀河系のかたすみで、
 いままさに太陽が、かがやきだそうとしていますよ!」

グノモンの説明に見上げると、真っ暗な宇宙に、無数の小さな点がうずをつくり、大きなかたまりとなって燃えはじめるのが見えました。

どうやらこれが、かがやく大きな星「太陽」の誕生のようです。

それにしても、広い宇宙空間のただなかにポッカリ浮かんでいるような気分でした。
グノモンの説明はつづきます。

「さあ、つぎは月と地球が生まれますよ」

見ると、太陽のまわりにあったチリのようなものが、いくつものかたまりになって太陽のまわりを回りはじめ、たがいに衝突したり引き合ったりしながらどんどん大きくなっていくのが見えます。やがて、いくつかの星が太陽のまわりに生まれました。あのなかに、月と地球もあるのでしょうか?


『この光景は見たことがある』

そのとき、クプカは心のなかでつぶやいていました。

そうです。あの光りが落ちてきた満月の夜、クプカが見た“星になった夢”の光景ではありませんか。思い起こせば、あの夢から醒めたとき、クプカのコウラはにじ色に変わり“とくべつなウミガメ”になっていたのでした。

そんなクプカの心の声をよそに、グノモンは話しつづけました。

「さあ、ここからいよいよ、
 地球月(ちきゅうつき)をひもとくといたしましょう。
 ほらごらんなさい!地球に母なる海が生まれましたよ」 

見ると、眼下に青い水をたたえた美しい星が見えます。

そう、たしかに・・・あれこそ「地球」です。

『まるで青い水でできたボールみたい』リトは思いました。
それほどまでに、地球という星は“海”でおおわれているように見えたのです。


つぎの瞬間、暗い宇宙空間の高みから、急降下するような感覚を覚えました。
寝そべったまま青い地球に向かって、すべり台をすべり降りていく感じです。

、なんて気持ちがいいんでしょう・・・。
白い雲をつきぬけると、海が目のまえに大きくひろがっていました。

青空にうかぶと、こんどは空にただよったまま地球のうえを何周もしながら、地球上で起こるさまざまな出来事に立ち会いました。

そのめまぐるしい変化ときたら、まるで早送りの映画を見ているようです。


まず、細菌のようなさいしょの生命が海の底ふかくで生まれ、
空を見上げると、月がしだいに地球から遠ざかっていくのがわかりました。

地上では、さいしょの植物が生まれ、
海ではプランクトンが発生し、
そのうちサンヨウチュウという生き物がさかえました。

それから海に、さいしょのクジラ類が姿をあらわし、
地上では、さいしょの恐竜が誕生しました。
恐竜たちは大地にあふれ、空には始祖鳥が舞っています。

やがて彼らのすがたが消えたかと思うと、
地上には、二本足で歩く小さな生き物がうごめいていました。
どうやら、さいしょのヒトという種(しゅ)が現れたようです。

ヒトだけではなく、じつにたくさんの生命もつぎつぎに誕生しました。
あるものは進化しながら生きのび、またあるものは滅びて消えて行きました。

さまざまな命のうたを奏でながら
メリーゴーランドのように

青い星はくるくるとまわりつづけます。


「カレンダーをひもとくスピードを、ちょっと落とすといたしましょう」

グノモンはそう言うと、両方の翼をまえにつきだしました。
すると、ブレーキがかかったようにスピードがぐーんと落ちていきます。
それにしても、なんて簡単な操縦なのでしょう。

やがて、海のうえに大きな島が見えてきました。
島というより、大陸といった方がいいかもしれません。

「さて、いまひもといている暦は、
 文明月(ぶんめいつき)のはじまりあたりでございます」

たしかに、この大陸には文明が栄えているようです。

りっぱな建物がいくつも見え、広場には、音楽を奏でながら歌い踊る人たちも見えました。丘には果物を育て収穫する人、畑には土をたがやし種をまく人、浜辺には魚をとる人・・さまざまな仕事に汗を流す人々のようすがうかがえます。

それにしてもみんな、なんて明るくすがすがしい表情をしているのでしょう。

「こんなに幸せそうな人たちをいっぺんに見るなんて、はじめてだよ」

感嘆しきった声でリトが言うと、グノモンがうなずきながら答えました。

「ええ、それはもう素晴らしい文明でした。
 ある意味、その後のヒトがつくりだした社会には、
 もう二度とあらわれなかったような文明です。
 公平で、まさに愛と幸福にあふれた社会でしたよ。
 人々はそれぞれに、それぞれの能力を認め合いたっとび、
 だれかが、だれかを支配しようとはけっしてしませんでした。
 いろんなとりきめは、話し合いと天のお告げにまかせ、
 生きるのに必要なだけの収穫と漁(りょう)を行ったものです」

「そうは言っても、やっぱり王さまとかはいたんでしょ?」

リトがたずねると、グノモンはニッコリほほえみました。

「もちろん、リーダーの能力にたけたものはおりましたよ。けれど、
 彼らはただ役割を果たし、ひとびとに感謝されただけのことです。
 花の名前をたくさん知っている者、人を笑わせるのがとくいな者、
 鳥の鳴きまねができる者、そんないろんな能力のひとつとして
 喝采をあびることはあっても、王という存在にはなりませんでした。
 ・・というか、だれもそんなものを必要とはしなかったのです」

グノモンの話しを聞いていたクプカが、首をかしげて言いました。

「しかし、わたしは人とのかかわり合いのなかで、
 今までにずいぶん、いろんな歴史を見聞きしてきたが、
 そんな文明が存在したなんて話しは、いちども聞いたことがない」

「はい、クプカさまがそう言われるのも、ごもっともです。
 なにしろ、いま目のまえに見えている文明は、
 人間の歴史のなかには、存在していない文明なのですから」

グノモンのこの言葉はクプカをおどろかせました。

「存在しないという意味は、記録が残っていないということかい?」

「はい、おっしゃる通りです。つまり、
 ここは、ヒトがつくった最初の文明らしい文明なのですが、
 あるとき、地球上からすっかりそのすがたを消し、以来、
 その存在さえ、人間の歴史として実証されてはいないのです。
 ただ、その“伝説”だけはすこし残ったようですが・・」

思い出したように、クプカがうなずきました。

「ああ、そういえば、伝説なら聞いたことがある。たしか大昔に、
 大地震や洪水で、一夜にして海に沈んだ大陸があったとか・・」

「はい、そのとおりです。
 ただ、その伝説も真実のほんの一部でしかありません。
 彼らの文明が、いったいどんな文明だったのか、
 そしてその後どうなったのか、何ひとつ証明されてはいないのです」

「その後?その後って・・」

クプカが言いかけた言葉は、リトの大きな声にかき消されてしまいました。

「見て! あのふたり!」

画面には、浜辺の岩のうえによりそう男女が大きく映し出されていました。
幸せそうに見つめ合うふたり・・・どこかで見た顔です。

そう、あれは、エルテミスとフラウディーテではありませんか!

「まさか、そんなことは・・・伝説によれば、
 この大陸が存在したのは、はるか大昔のはずだ。
 エルテミスたちが、この時代に生きているわけがない」

「そのとおりです」

クプカの言葉を受けて、グノモンがうなずきました。

「だってほら、よく見てよ!どう見たって、
 あれは、エルテミスとフラウディーテでしょ?
 そりゃあ、たしかに着ているものや髪型はちがうけど・・」

前のヒレで何度も目をこすりながらリトが言うと、グノモンが答えました。

「あのふたりの名は、若者がカイ、むすめはソラといいます。
 明日の朝が訪れたら、海の神をまつる神殿で、
 ひとびとの祝福をうけ、結婚式をあげるはずだったのです」

「カイとソラ?
  エルテミスとフラウディーテじゃないの?
 それに・・いまたしか“はずだった”って言ったよね、
 つまり、このふたりは、結婚できなかったってことなの?」

リトが不安そうにたずねました。

「はい・・この大陸に、明日の朝は訪れませんでしたから」


グノモンが口にしたおそろしい言葉など信じられないほど、
目のまえの恋人たちは、かぎりなく幸せそうにかがやいています。

風のように、カイがソラの耳もとでささやきました。

「ソラ、明日の朝、君のゆびにはめる指輪は、やっぱり
 いま用意しているものじゃ、気に入らないんだ。
 その白い指に、永遠に燃えつづける炎のような
 赤いサンゴの指輪を贈りたい・・だから、
   ちょっと待っていてくれるかい?
  もう一度だけ、海に潜ってさがしてくるから」

「カイ、指輪なんてなんだっていいの、
 海草を、からめただけだってかまわないわ。
   あなたさえいれば、
     どんなサンゴよりも赤く、
   わたしは永遠に燃えつづけるでしょう・・・だから」

そこまで言いかけたとき、カイはもういちど強くソラを抱きしめました。
そして、やさしい笑顔をのこして、海に飛び込んだのです。

『だから・・今日だけは、はなれないで・・一時もはなれずに、そばにいて・・』

伝えられずにとり残された言葉をその胸に抱きしめたまま、
ソラは岩のうえに倒れるようにひざまづきました。

カイは、大陸一の泳ぎの名手です。そのことを誰よりも信じているのはソラ自身でしたが、なぜか今日だけは、わけもなく恐ろしかったのです。ソラは、身を岩から乗り出すようにしながら、泳ぎ去るカイの姿を目で追いつづけました。あっという間に沖合いまで泳ぎきったカイは、ソラに向かっていちど高く手をふると、海面から消えてしまいました。

燃えるような赤いサンゴを求めて潜りつづけるカイ、
岩のうえでふるえながら待ちつづけるソラ、

ふたりのうえにも、その“瞬間”は近づいていたのです。


クプカたちは、息をのんで画面を見つめていました。そこには、ソラのはかなげな表情がうつしだされています。その姿がふいに、ぐーんと遠ざかりました。視点はどんどん高くのぼって行きます。

やがて、空の高みから大陸全土を見下ろせる位置まで

高くのぼったとき、

あんなにも青く澄みわたっていた空が、

にわかに暗くかきくもりました。


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