クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第1章 星になった夢
「あれから、ずいぶんと長い旅をしてきたものだ」
クプカは、すこし目を細めて、夜空にうかぶ月を見上げながら、つぶやきました。それにしても、なんて美しい満月でしょう・・。こんな夜は、記憶の底ふかく眠っていた思い出が、あぶくのように浮かびあがっては、さざ波をたてながら、心の岸辺にひろがっていくようです。
あの運命の光りが、天空のかなたからクプカのうえに落ちてきた夜も、空には、まんまるい月が浮かんでいました。光りが落ちた瞬間、痛みを感じたかどうかさえ、いまとなっては、よく覚えていません。ただ、とてつもなく大きなエネルギーに包まれた感覚だけは、かすかに残っていました。
もうひとつ、あの時のことで、消えることのない記憶があります。それは、クプカが、あの瞬間に見た「夢」のことです。
光りに包まれたとき、クプカはとても、かわった「夢」を見たのです。一瞬だったはずなのに、なぜ、そんな夢を見ることができたのか、不思議なのですが、それは夢とは思えないほどリアルで、果てしのない時間を、抱きかかえてうねる、壮大な絵巻物のようでした。
夢のはじまりは、こうです。
クプカは、暗黒の宇宙を、ひとりプカプカとただよっていました。とほうもなく広い宇宙の暗がり・・すると、まるで「もや」のようにガスやチリがうすくひろがり、大きなうずを描きはじめたのです。無数のガスやチリは、やがて、大きなかたまりとなって燃えはじめました。
かがやく大きな「星」の誕生です。
「太陽だ・・」
クプカは、夢のなかで、まぶしそうに「星」を見ながら思いました。
ガスの温度が下がると、太陽のまわりにあったチリは、いくつものかたまりになって、太陽のまわりを回りはじめました。回りながら、たがいに衝突したり、引き合ったりしながら、どんどん大きくなっていきます。
やがて、太陽のまわりには、いくつかの星が生まれました。
そのとき、ひとつの「星」が、クプカをふいに強く引きよせたのです。気がつくと、クプカはその星とひとつになっていました。
いえ、「星そのものになった」・・という方がいいかもしれません。まだ赤ちゃんの星(クプカ)は、ふにゃふにゃしたやわらかなカラダを、はげしくふるわせて泣いたり、顔を真っ赤にして、燃える炎を噴き出したりしながら、けんめいに生きました。
何億年という、とほうもない時間が、星のまわりをかけぬけていきました。
その間には、宇宙のかなたからやってきたたくさんの訪問者たちが、「水」という名のおみやげを、体当たりしながら届けていったこともあります。「水」はやがて蒸発して雲となり、赤ちゃんの星も、しだいに成長すると、体温がひくくなりました。そんな、ある日のことです・・。
ピカーッ! ゴロゴロ・・
たれこめていた黒い雲のなかから雷鳴がとどろき、イナビカリが走ったかと思うと、星の運命をかえる“できごと”が訪れました。
雨です!
どしゃぶりの雨は、くる日もくる日も降りつづき、ようやくやみました。
雲の切れ間から、太陽の光りがさしてきます・・。
いくすじもの太陽の光りに、星の表面は、きらきらとかがやきはじめました。それにしても、この“青くきらめくもの”は何でしょう?
星は、くすぐったそうに、自分のからだを見わたしました。
海です!
海が生まれたのです!
誕生した「青い海」を、星は、ふるえるような思いで見つめていました。
星は、ある瞬間を、待つようになりました。
待って、待って、待ちつづけて・・
ついに、その時はやってきたのです!
青々とした海水を、なみなみとたたえた「海」の底深くで、ほんのちいさな“いのち”が、産声をあげました。
うれしくて、うれしくて・・生まれたちいさな“いのち”を抱きしめながら、星は泣きました。
もう、ひとりぼっちではありません。
ざぶん・・たぽん・・ぴちゃ・・
海の“ゆりかご”は、生まれたばかりのちいさな生命を、あやすようにゆらしつづけました・・ざぶん・・たぽん・・ぴちゃ・・
・・何億年・・何十億年・・
ざぶん・・たぽん・・ぴちゃ・・
夢からさめたとき、ウミガメにもどったクプカのからだを包んでいたのは、おなじリズムで脈打つ、なつかしい「海のひびき」でした。
クプカの目には、まだ涙があふれていました。
それは、生命が誕生したとき、“星のこころ”が流したよろこびの涙です。
まわりをゆっくり見わたすと、光りが落ちてくる前と、すこしも変わらない海が、しずかにひろがっていました。
空には、まんまるい月が、ぽっかり浮かんでいます・・。
あの光りさえも「夢だったのか」・・と、クプカは思いました。
けれどすぐに、そうではないことに気がついたのです。
なにしろ、背中のコウラは、見たこともないほど美しい“にじ色”に変わって、かがやいていましたからね・・。
星になった夢からさめたとき、クプカは「とほうもなく長い旅をした」と思ったものです。
けれど、それは終わりではなく
「クプカの旅」の、はじまりだったのです。