クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第14章 雫 - sizuku -
きらめく銀河をあおぎながら、大きくひろげたグノモンの翼は、古い神話に登場するいくつかの星座を、クプカたちに思い起こさせました。ペガサスの羽、オオハクチョウ、イカロスの翼・・それらは、遠い日の人々が、さまざまな想いを星空にたくして創った“物語のかけら”たちです。
夜空にまたたいていた星々が、とつぜん、ミルクのようにとけて流れだしました。まるで、ガラス窓にはげしくつたう雨つぶのようです。すべての星たちが雫(しずく)となって流れ落ちたとき、“銀色の乗り物”の姿も、いつしかとけるように消えていました。
気がつくと、クプカたちは『暦の間(こよみのま)』のまんなかにいます。
いまは回転も止まり、部屋のようすは、はじめて案内されたときと何も変わっていないように見えました。ただ、入り口がどこにも見当たりません。
リトがキョロキョロしていると、グノモンが言いました。
「さて、おつかれになったでしょ?
ちょっと、お茶の時間にいたしましょうか」そう言うと、ぴょんぴょん跳ぶような足どりで、もう歩きはじめています。
クプカとリトもあわててついて行きました。カベのところまできたグノモンが羽を軽くばたつかせると、波紋がカベにひろがりました。波紋の中心からあきはじめた穴は、また新たな入り口に生まれ変わっていきます。
『きっと、はじめの大きな部屋にもどるのだろう』
そう思って入り口をくぐりぬけると、そこは、はじめて見る空間でした。
部屋というよりむしろ、“中庭(パティオ)”といった方がいいかもしれません。不思議な素材で出来ていたほかの部屋とちがって、ここは親しみのある石と木でできていて、そのせいか落ち着いた雰囲気がただよっています。石畳の回廊に囲まれた庭の中央には、古風で小さな噴水がひとつ、ここちよい水音(みずおと)をたてていました。そのまわりには、みどり豊かな植物や、色とりどりの花々が、ひっそりと咲きみだれています。庭の部分は吹き抜けになっているらしく、見上げると青空がのぞいていました。それにしても、ひさしぶりに見る空はなんて目にしみる青さなんでしょう。
「ここはお気に召していただけましたか?」
グノモンは、クプカとリトの表情をたしかめると、にっこりほほ笑んで言葉をつづけました。
「暦の間では、あまりにもいろいろな光景を
いちどにお見せいたしましたから、
さぞかし、お疲れになられたことと思います。ここは、おふたりのためにご用意したスペースです。
どうかごゆっくり、おくつろぎください。
まずはお気に召した椅子にでも腰かけて、
お茶でもいかがでしょう?」見ると、噴水のよこの芝生のうえには、いつのまにか何種類もの椅子が並んでいます。ゆったりとしたソファーもあれば、白い椅子や、揺り椅子、片ひじだけの寝椅子までありました。それらの椅子を眺めながら、リトがちょっとこまったように言いました。
「ありがとう・・でも、
ボクたちは、イルカとウミガメだから
人間みたいに座ったり、お茶をのんだりできないんだよ」「リトさま、ご心配はごもっともですが、大丈夫ですよ!
この世界では、人間とおなじように椅子に腰かけたり、
お茶をのんだりだってできるのです。もちろん、食べたり飲んだりしなくたって
いっこうに平気なのですが・・ま、たまには
“お茶の時間”というのも、オツなものでございますよ」そう言われてはじめて気づきましたが、時間旅行の旅に出発して以来、ふたりは何も食べたり飲んだりしていませんでした。どういうわけか、いちども空腹や、のどの渇きを感じなかったのです。好奇心の強いイルカのリトが、まず“椅子えらび”をはじめました。
グノモンの言うとおり、どの椅子にもちゃんと腰かけることができます。おもしろがってぜんぶの椅子に腰かけたあと、リトは片ひじだけの寝椅子をえらびました。中世の貴婦人のように寝そべると、なかなか快適です。クプカは、からだのサイズに合わせて大きくなったり小さくなったりする、海綿のようにやわらかなソファーが、どうやら気に入ったようです。
ふたりがえらび終えるのを待って、木の揺り椅子に腰かけたグノモンは、サッと片方の羽をひるがえしました。すると、ほかの椅子はアッというまに消えてなくなり、かわりにティーカップが空中をぷかぷかと漂ってきたではありませんか。さながら、目に見えない“透明な召し使い”でもいるようです。
それぞれの椅子のそばに浮かんだティーカップには、やがて湯気をたてた香り高いお茶が、ティーポットからたっぷりとそそがれました。
クプカとリトにとって、生まれてはじめて味わう『お茶の時間』です。
こんこんとあふれる噴水の調べを聞きながら、ふりそそぐ陽光をあびて口にするお茶は、からだのしんまでしみわたっていくようでした。
お茶の時間を好む人間の気持ちが、ほんのすこしわかるような気がします。すると、ふたりの心には、あの大陸に暮らしていた人々の表情や、死んでしまったカイとソラのことが、思い出されてなりません。そんな、ふたりの気持ちを読みとったようにグノモンがたずねました。
「あの大陸のことを、思い出されているのではありませんか?」
クプカは、飲みかけのティーカップを空中にそっと浮かべると、ソファーにふかく身をしずめなおしてから言いました。
「グノモン、君は銀色の乗り物のなかで、
“死がすべての終わりとはかぎらない。
死の瞬間にかけぬけた想いは、また新しい物語を
紡ぎはじめることだってある”たしか、そんなことを言っていたね・・」
「はい、たしかに申し上げました。
ただ、あの“死”という言葉のなかには、
カイやソラといった人間の死もさることながら、
じつは、けっして忘れてはならない“もうひとつの死”も、ふくまれていたのです」
「もうひとつの死?」
「はい。クプカさま、あの“小惑星α”のことを、
もういちど思い出していただけますでしょうか?わたくしは、大陸がゆがみから移動した理由を、
“奇跡が起こった”のひとことでかたづけましたが、
じつは、その奇跡を生んだきっかけとして、
小惑星αの“奇妙な性格”が、ふかく関わっていたのです」すると、リトが首をかしげてたずねました。
「星なのに性格なんてあるの?まるで、生きものみたいだね」
「リトさま、まさにその通りなのですよ!
宇宙に存在する星には、星の数だけ性格や特徴があり、
若い星、年老いた星、年齢もさまざまです。つまり、血は流れていなくても、星だってりっぱに生きているのです。
なかでも、あの小惑星αは、特筆すべき“変わり者の星”でした。彼(小惑星α)は、しっかりとした意識と、
じつに高度な精神エネルギーをもっていたのです」これにはクプカたちも、あいた口がふさがりませんでした。
「じゃあ君は、あの星が、ものを考えていたとでも言うのかい?」
クプカがあきれたように聞くと、グノモンが真顔で答えました。
「はい。彼は、意志をもって広い宇宙を旅していたのです。
そもそも、彼が生まれたふるさとは、
地球が存在する太陽系から遠くはなれた宇宙空間だったのですが、
なぜそんなにも遠くから旅をすることができたかというと、
彼にそなわった、たぐいまれな能力のせいだったのです。“宇宙にかくされたワープホールを見つけ出す”という
めずらしい能力が彼にはそなわっていました。なにしろ、ワープホールを利用すれば、遠大な距離も
ぐっとちぢめて瞬時に移動することが可能ですからね」「ふーん、だけど、いったいなんのために、
彼はそんなにまでして、旅をつづけていたの?」「さあ、それはわかりません。でもリトさま、おそらく
“旅をすることが彼の習性”だったからでしょう。渡り鳥が教えられなくても長い旅をするように、
旅をすることは、小惑星αの
生まれもった宿命だったのかもしれません。とにかくわかっていることは、
はるかなる旅の果てに地球という星と出会い、
その星のうえで、彼の生涯は終わったということです。ひょっとしたら、その最期も
彼の意志だったかもしれませんが
いずれにしてもあの日、小惑星αは死んだのです」
「つまり、それが君の言っていた
“もうひとつの死”というわけかい?」クプカがたずねると、グノモンが大きくうなずきました。
ひと息いれるように、またふわふわと空中をティーポットがただよってきました。入れ直したばかりのあたたかなお茶が、それぞれのカップにたっぷりとそそがれます。ひとくちお茶を味わってから、クプカが言葉をつづけました。
「グノモン、それにしてもわからないのは、
小惑星αの死と、大陸に起こった“奇跡”、
このふたつの関係だよ。両者のあいだには、
いったいどんな関わりがあったんだろう?」「ごもっともです。
小惑星αに高度な精神エネルギーがあったことは
先ほども申し上げましたが。言うなればそれは、“すさまじい魂のかたまり”といったようなものでした。
しかも彼は、死の瞬間をむかえたとき
猛烈なエネルギーを発散させて、
ひかりのうずのような想いを、地球上に解き放ったのです。その想いは、地球をつつみこみかけぬけて、
どういうわけか、あの大陸に作動しました。つまり、
それが、あの“奇跡”をひき起こした原因だったのです」「大陸をワープさせるほどの奇跡を起こした
地球をつつんでかけぬけたという彼の想いは、
いったいどんなものだったんだろう?」「ひとつの強烈な“イメージ”だったようです」
「イメージ?」
「はい。彼は旅の途中で出会った風景や星たちの記録を
すべて自分の体内に焼き付けて記憶していたのです。
そしてその膨大な記録のなかにあった“ひとつの星”が、
地球のうえで果てる瞬間にオーバーラップしたようです。
強烈な精神エネルギーによって照射されたイメージは、
地球の空間にゆがみを生じさせ、あの大陸を、
彼が想い描いた星に向かって、移動させました。
その星は、大気の成分から大きさまで、
何もかも地球にウリふたつでした。
そう、それはまるで遠くはなれた宇宙空間に存在する“もうひとつの地球”とよんでもいいでしょう・・・」
「もうひとつの地球?」
クプカとリトは、思わず声をそろえてくりかえしました。するとどうでしょう、それまで、やさしい水音をたてていた噴水が、にわかに高く噴きあがったのです。
もうひとつの地球・・・その言葉には、
なにか不思議なちからでもひそんでいるようでした。
空たかくふき上がり空中に飛び散った
無数の雫(しずく)のカーテンに
太陽のひかりがさしたとき
七色に輝く美しい虹が
生まれました。