クプカのにじ
文と絵・むらた あけみ
第15章 梢 - kozue -
水滴のスクリーンにうかびあがった七色の虹が、キラキラと輝いています。もうひとつの地球・・その言葉にこたえるように、噴水からとつぜん高く噴き上げられた水の柱は、まるで、そそり立つ大樹のように見えました。なだらかに弧を描き垂れ下がる水滴の枝には、しずくの葉がそよいでいます。
そう思ったとたん、しずくのひとつぶひとつぶが、ほんとうにみずみずしい新緑にかわりはじめたではありませんか。みどりの葉は、枝の先の方からみるみるうちにひろがって、噴水は、一本の大きな木に生まれかわりました。水の音にかわって聞こえるのは、サヤサヤと風になる葉ずれの音です。
「あっ、虹が・・」
いま誕生したばかりの木を見上げて、リトが叫びました。水滴にうかんでいた七色の虹が、いつしか七つの果実にかわっています。赤、青、黄、橙、紫、藍、緑・・たわわに実る七つの果実は、虹の七色をそれぞれに宿して、木の梢(こずえ)にかがやいていました。
そのとき、グノモンが羽をはばたかせて揺り椅子からふわりと舞い上がったのです。木のてっぺん近くの梢にとまったグノモンは、七つの実のうちのひとつをもぎとってくちばしにくわえ、また舞い降りてきました。くわえてきた実は、まるくて大きな「青い果実」です。
いつのまにかクプカたちの目のまえには、うつくしい彫刻をほどこした小さな丸テーブルがありました。中央には、ちょうど実が乗るくらいの受け皿がついています。そのうえに青い果実をのせると、グノモンは、まるで水晶玉で運命を見る占い師のように、両方の翼を果実にかざしながら言いました。
「さあ、この果実をよーくご覧ください。
これは、何かに似ていると思いませんか?」グノモンの羽で影になった果実は、青い光りを放っています。すい込まれるような青さは、なつかしい海の色をリトに思い起こさせました。
『まるで青い水でできたボールみたい・・』
そう心のなかでつぶやいたリトは、まえにもいちど、何かを見て同じ印象をもったことを思い出しました。あれは何だったでしょう・・そう、暦の間で銀色の乗り物にのったとき、暗い宇宙空間から見た“青い地球”です。
「ひょっとして、地球?」
リトがつぶやくと、グノモンがうなずきました。
「おそらく、長い旅の果てに小惑星αが見た地球も
こんな風に見えたことでしょう・・ひょっとしたら
小惑星αは、暗い宇宙空間に美しくかがやく地球のすい込まれそうな“青”に、つよく惹かれたのかもしれませんね。
いずれにしても、あの運命の日、彼が死のときに放った想いは、
大陸をべつの星に移動させるという奇跡を起こしたばかりでなく
まだほかにも“奇跡の種”を、蒔いて逝ったのです」そう言うとグノモンは、青い果実のうえにかざした翼を小刻みにふるわせました。すると、なつかしい潮騒の音が、果実のなかからひびいてきます。その波の音を聞いていると、からだがふわっと軽くなりました。でも、なんだかへんな気分です・・いつのまにか高いところから下をみおろしています。リトは下を見ておどろきました。なんとそこには、椅子に腰かけている“自分のからだ”が見えるではありませんか。
どうやら、心だけがからだから離れたようです。
下には、クプカとグノモンの姿も見えます。
「いかがです?からだから離れるというのも
なかなか快適なものでございましょ?」すぐかたわらで、グノモンの声がしました。どうやらグノモンも、肉体から遊離(ゆうり)したようです。
「クプカはどこ?」
リトがあわてて、しんぱいそうにたずねると
「わたしなら、ここにいるよ」
クプカの声もすぐそばで聞こえました。おたがいに姿カタチは見えませんが、なんとなくそばに居るという感じは雰囲気でわかります。
「それではみなさま、身軽になったところで、
そろそろまいりましょうか」そのとたん、三つの心は、三すじの光りのようになって、あの“青い果実”のなかへ、吸い込まれていったのです。
心は、青い海と青い空のただなかをすべるようにかけぬけていきます。まるで、風になったようです・・いったい、どれくらい飛んだでしょう。
ようやく陸地が見えてきました。陸地といっても小さな島です。島の中央に木がそびえていました。あの噴水から生まれた大樹に、どことなく枝ぶりが似ているようです。三つの心はその梢のうえにとまりました。
「ごらんください、この果てしのない海を・・」
グノモンが話しはじめました。
たしかに360度、見わたすかぎり青い海がひろがっています。
弓なりにそった水平線が、地球の丸さを、そのまま表しているようでした。「これは、小惑星αが衝突してすこしたった頃の地球なのです。
あの大洪水で、大地のほとんどは水の下に埋もれました。
それによって失われた命や種(しゅ)の数は、かぞえきれません。
高地に住んでいて助かったわずかな生命と、
もともと海に住んでいた生き物たちが、これから進化をつづけ、
また新たな地球の歴史をきずいていくことでしょう」クプカがグノモンにたずねます。
「小惑星αが“奇跡の種”を蒔いて逝ったと、たしか君は
言ったけれど、あれはいったい、どういう意味なんだい?」「はい・・じつは、そのことを理解していただくために、
わざわざ肉体から、心だけ離れていただいたわけなのです」すると、しんぱいそうにリトが聞きました。
「ねえ、ボクたちひょっとして・・死んじゃったの?」
「いいえ、リトさま、けっして死んだわけではありません。
さっきの所にもどれば、元気なからだが待っていてくれますから
ちゃんとまた、前のすがたにもどることができますよ」ほっとしたのでしょう。リトの心がぽわっと明るい光りを出しています。
「さて“奇跡の種”の話しにもどりましょう。
小惑星αが持っていた高度な精神エネルギーですが、
その中には“想いに力を持たせるパワー”も潜んでいたのです」「想いに力を持たせるパワー?」
「はい、クプカさま。どうご説明すればよいでしょう。
そうですね・・簡単に言えば、これが食べたいと念じればほんとうに食べられたり、
こうあって欲しいと願えばその通りになったり、
会いたいと念じると本当に会えたり・・そんな風に“想いが現実になるパワー”とでも申しましょうか」
「それって、超能力のこと?」
「ええ、リトさま・・まあ、そうですね。
“超能力を秘めた可能性の種”とでも申しましょうか。小惑星αは、地球上にバラバラになってとび散ったとき、
自分の体内に抱えていた能力も同時に発散させたのです。それはまるで種のように、あらゆるもののうえに蒔かれました。
大地、海、大気、そこから生み出されるすべてのうえに・・」すると、リトの心がキラキラとはずんで、たずねました。
「わーっ、すごいな。だって、それって
想いがかなう魔法の種みたいなもんでしょ?
それを使えば、なんでも願いがかなっちゃうよね」「ところが、そうとも限らないのです。
蒔かれたのは、大地や大気や海に眠る潜在的な
可能性のようなものですから・・つかみどころがありません。それに“想い”が、いつも正しいとは限らないでしょ?
想いのエネルギーが、もし悪い方向に働けば、
世にもおそろしい花を咲かせることになりかねないのです」暗いベールにおおわれたように、グノモンの心がふっとしずみました。
「グノモン、その小惑星αが蒔いた“奇跡の種”だが、
それはじっさい、なにかひとつでも奇跡を生んだのかい?」クプカがたずねると、またグノモンの心に光りがもどったようです。
「はい、もちろんです! おふたりとも、
ちょっと、心をすましていただけませんか?
きっと、なにかを感じるはずです・・」
三つの心は、木の梢で、そっと心をすましました。
するとうっすらと、もうひとつの“はかなげな気配”を感じたのです。
その心は、捨てられて雨にぬれる小犬のように、ふるえていました。
リトはその心に声をかけてみました。でも、どうやらこちらの声は届かないようです。ただ、その心が発する“想い”だけは、すこしずつ聞きとれるようになりました。その心は、こんな想いを抱えていたのです。
カラダはドコ?・・・ワタシの・・カラダ・・
・・カラダがないから・・カエレナイ・・
モウイチド・・あのヒトにアイタイ・・
・・もう・・イチド・・アイタイ・・
・・・ア・イ・タ・イ・・・
それは女の人の声でした。とぎれながらも、うちよせる波のようにくりかえし聞こえてきます。まるで、はるかかなたへ送りつづける信号のようです。それにしても、なんて淋しげな“想いの信号”なんでしょう。
そのとき、グノモンが言いました。
「この声の主が、だれだかわかりますか?」
クプカとリトの心がだまっていると、グノモンが答えました。
「ソラですよ。あの大陸が消えた日に死んだ
ソラのたましいです・・ソラのたましいは、
こののち何百年も何千年も・・この想いの信号を
出しつづけたのです・・そして、ついに
あの小惑星αが蒔いていった種に信号は伝わりました。もともと、ソラはあの大陸の神官の娘でしたから、
生まれながらに、人いちばい霊力が強かったのです」「じゃあ・・やっぱり、
ソラはフラウディーテ姫だったんだね、ねえ、そうでしょ?」リトの心がきらきらと点滅しています。
「はい、リトさまその通りです。
奇跡は起こりました。ソラの祈りは“奇跡の種”に水をやり、
奇跡の種はカイのたましいを呼び起こして、
おたがいのかつての肉体をこの地上に再生させたのです。そして、カイとソラのたましいは、その肉体にふたたび宿り、
やがて運命の不思議な糸が、二人をめぐり会わせました。でも、それだけでは終わらなかったのです。
つぎに起こった奇跡は、クプカさまも立ち合われたはずです」その言葉を聞いたとたん、クプカの心は七色の光りを放ちました。
ふと見ると、木の梢には“むらさき色の果実”が実っています。
「では、あの日に行くとしましょう・・」
「あの日?」
「はい、リトさま覚えていらっしゃいませんか?
わたくしが透明な鳥になって、
おふたりを飲み込んだ、あの場所のことを」「あっ・・大鏡があった、宮殿の広間だね」
「そのとおりです。あのときは、ラベンダーの香りのする
“むらさき色の霧”でおふたりをからめとって
むりやりにお連れ申しあげました。
あのご無礼は・・どうか、ひらにご容赦くださいませ。それでは、フラウディーテ姫が亡くなった日の宮殿の広間へ
さあ、もういちど、ごいっしょいたしましょう・・」
“むらさき色の果実”のなかへ、また三つの心は三すじの光りとなって吸い込まれていきます。そのとき、かすかにあのソラの声が、ひいてはかえす潮騒のように聞こえたような気がしました。
カラダはドコ?・・・ワタシの・・カラダ・・
・・カラダがないから・・カエレナイ・・
モウイチド・・あのヒトにアイタイ・・
・・もう・・イチド・・アイタイ・・
・・・ア・イ・タ・イ・・・
ラベンダーの香りをただよわせたむらさき色の霧が、
とぶように周りを流れ去っていきました。