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車を走らせた先は、千葉の犬吠埼(いぬぼうさき)

九十九里浜の先に突き出したその岬には、七月になったら父と三人で来ることになっていた。そこにある一軒の宿と、宿から望む海の景色が、NHKの「小さな旅・手紙シリーズ」で紹介されたのは、いつ頃だっただろう。

そこで語られる視聴者の手記も感動的だったが、テレビ画面に映し出された海の表情に何より惹きつけられた。『ここにいちど泊まってみたい』そう思っていたら、その番組を大阪で見ていた父も、どうやら同じことを考えていたらしい。

「東京にお父さんが来た時、こんど三人でいっしょに行こうよ」

そう持ちかけると、父もうれしそうに「じゃあ、7月にそっちへ行くかな?」と、旅の計画はすぐまとまった。それなのに、六月の声も聞かないまま、心臓マヒで突然、母が待つ向こう岸へと父はひとり旅立ってしまった。



平日で道がすいていたのか、東京のわが家から三時間足らずで、目的地の犬吠埼に着いた。車のドアを開けると、つよい潮の香りがいっせいに飛びこんでくる。

東京湾や湘南では出会えないような海が、目のまえにひろがっていた。水平線のかなたから、大海原(おおうなばら)の鼓動が脈うってくるような、海だ。


波の音に包まれ、海と向かい合う。
波の調べ....そんな、生半可なものじゃない。
からだを揺さぶり、細胞のひとつひとつを震わせ

魂にとどろく、音。


感傷などすべり込ませない迫力が、

むしろ、いまのわたしには、
ありがたかった。



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<This page's photo by Osamu Murata.>