あれからもう5年の歳月が流れたのですね・・・2011年の3月11日以来、震えるような悲しみと畏れを抱え毎年この日を迎えている人たちがいったいどれほどの数いるのでしょう。
絵・村田收 書・村田香葉 詩・村田明美
あの日、私たちは那須高原から郡山にふたりで出かけ、震度6弱の時間的にも長い強烈な揺れを体験しました。歩道がヒビ割れ白い煙が噴出す町の真ん中でハリウッド映画のようだ….と現実味のない感覚を覚えたものです。
揺れがおさまると、横殴りの雪が荒れ狂いました。地下駐車場に入れた車に戻れず(天井が落ちているかもしれないと夜まで足止め)寒さに震えながら大きな公園に避難。そこで始めて津波の映像を見たのは、公園の中に窓をあけて停めてあった車の小さなカーナビサイズのTV画面(想像ですが役所関係の方が情報が伝わるよう公園に駐車して配慮してくれたのでしょう)
小さな画面だったけれど生涯忘れることの出来ない映像です。その時には想像もしなかったことですが、私たちもまた、あの震災による原発事故をきっかけに(夫の両親の高齢化もありましたが)岡山に移住を決めました。
『鎮魂歌 – Requiem -』という私の詩の中の一節を、夫の絵のうえに義母が書いてくれた作品を鎮魂と祈りを込めて飾ります。
『鎮魂歌 – Requiem -』全文はこちら↓
http://www.kupuka.com/EhonCafe/eporequ.html
震災そのものは3月11日でしたが、今日3月12日はきっかけは津波とはいえ、人災だと言っても過言ではない福島原発の水素爆発が起きた日です。その直後も、政府や報道は、メルトダウンをひた隠しにして、危険はないと嘘八百を言いつづけました。そのためにどれだけ多くの人(ことに子供たちが)放射能を浴びたか想像も出来ません。
あの頃よく想定外という言葉を耳にしましたが、想定できないからこそ危険なものを作ってはイケナイのです。事故なんかなくても存在するだけで放射性のゴミを大量生産するなんて、ありえない。
五年たちましたが、何も終わってはいないのです。
クプカとしてココにはっきりと、原発反対!を声にしておきます。
